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車の事故から学ぶこと

(昨日のできごと。書いていたら日をまたいでしまっていた。)

今日は運転中に後方の車に衝突された日だった。
正確にいうと、一車線の道で前方を走っていた車が右折するために止まったため、わたしもそれに続いて止まったのだが、後ろの車が考え事をしていて止まり切れず追突してしまったのだ。

「ガコン!!」

鈍い音とともに小さな衝撃を受けた。
「あーやられたか…」
それがわたしのわいてきた気持ちだ。
衝撃音と同じで鈍くそれは熱を帯びていなかった。
心の中はざわざわもなくただ静かだった。

とりあえず、路肩に車をとめた。
あわてて60代くらいのおばあちゃんが急ぎ早でやってきた。
見るからにおろおろしていた。
「とりあえず警察に連絡入れますね。」
普段通りのテンションで伝え電話連絡を済ませた。

落ち着いているわたしと、
あわてふためいて
保険会社や息子さんに電話して忙しそうなおばあさん。
警察が来るまでの間に
連絡先等を交換しておきたかったのだが
思うように事が進まなかった。

そうこうしてるうちに、警察よりも早く息子さんが到着をした。
母親をののしることもなく落ち着いていて、知的な印象を受けた。
人はあせったり余裕がなくなると人を責めてしまったり、
いいわけを並べ始める。
それがないのは見ていて清々しかった。

ひたすら謝り続ける親子に
「いくら謝っても現状は変わらないのだから、もう謝らなくていいのに」
そんなことを思っていた。
そんな中でも息子さんの言葉には関心させられた。
「時間大丈夫ですか?時間取らせてしまって本当にすみません。」
ひたすら「ごめんなさい」を言われ続けることよりも
よっぽど効果がある言葉だなと思った。

その日の夕方、親子で菓子折りを持って自宅まで再度謝りにきた。
正直、人身事故でもないのにここまでする人を聞いたことがない。
むしろやりすぎとさえ思う。

衝突されたことを責めることしないうえに
相手があまりにも動揺していたものだから
帰りの運転は大丈夫かなどと心を寄せたりした。
それが相手には「呪い」だったのだろうか。
むしろ多少責めを受けたほうが気が楽になったのかもしれない。
涙をうっすら浮かべながら菓子折りを差し出す姿にそんなことを思った。


車の事故は何度も経験していて、
それは単独事故だったり
追突してしまったり
今回のように追突されたりしている。
事故が起こるとお金がからむ。
本性が丸見えになる出来事でもある。

初めての事故

20代のとき自分の不注意で初めて事故を起こした。
足ががくがく震え
うろたえ泣きそうだったとき
相手の30代女性がやさしく励ましてくれた。
そのとき気を許してしまい
叔父が自動車屋をやっていること
父がJAFに勤めていることまで話してしまっていた。
その後、互いの保険会社同士で決まった過失割合が
相手方には納得のいかないものだったらしく
自宅に怒り狂って電話をかけてきた。
言い分はこうだ。
「叔父や父のコネを使って過失割合を操作したのだろう」
冷静に考えればそんなこと不可能だと気付くだろうに
理不尽に感じて冷静さを欠いてしまったのだろう。
わたしの方の保険会社さんにも
怒りの電話をかけてきていて、
相手の保険会社さんにも
その方の夫やお兄さんが怒りの電話をかけていて
話も進まなく
どちらの保険会社の担当者さんも
困っているようすだった。
わたし自身心底うんざりしてしまって、
お金を捨てて時間と平穏を取ることにした。
このことがきっかけで
「人はお金に翻弄されるものだ」
「人の考えは瞬く間に変わってしまうものだ」
と身をもって知ることができた。

夫の事故

子どもが小さかったとき、仕事で早朝にでかけた夫が
凍った路面でスリップして対向車と正面衝突してしまったことがある。
救急車で運ばれて、夫の両親が病院からの連絡であわてて向かった。
わたしは子どもが小さかったために自宅待機で夫の両親がすぐに連絡をくれることになっていた。
一時間が経っても連絡がこなくて「死んだのかも」と死を受け入れる覚悟をした。
子どもとわたし、どうやって食っていくかあれこれ考えたりしていた。
しばらく入院を余儀なくされたけれど、夫は無事だった。 
夫がとつぜん死ぬこともあると気づいた出来事だった。


衝突事故に巻き込まれ…

夕方、子どもたちを乗せて自宅に向かっていた。
太陽は沈み辺りはすっかり夜の雰囲気で
車内は子どもたちのおしゃべりで騒がしかった。

前方で「ガッシャーン!!!」とすごい音がした。
と、思ったときには
わたしの車の方にはじかれた車が
突っ込んでくるのが見えた。
子どもたちは悲鳴をあげ
わたしはあわてて急ブレーキを踏んだが
間に合わなかった。
突っ込んできた車はわたしの車の右側面に食い込む形で止まった。

子どもたちは怖がっているし
わたしはパニックだった。
バックの中身が飛び散っていて
なかなかスマホが見つからない。
どうにか見つけ出したスマホを握りしめて、
開く方のドアから車の外に出る。

わたしの車にぶつかってきたおじさんは
自力で車外にでたようで、
「ケータイを見つけてこい!!」
と喚き散らしたりウーウーうなったりしていた。

喚く元気があるからとりあえずそのままにして
もう一台を確認しに行くことにした。

行ってみると電柱に車がめり込み
フロントガラスがばりばりになっていた。
その場に居あわせた人と
「死んでしまってるかもしれないね」
と話しながら恐る恐る近づくと
頭から血を流している人が立っていて
興奮した様子でしゃべっていた。
出血がひどかったため、私は車にダッシュでもどり
念のためにと積んである新品のタオルをその人に渡した。
その人は夫の友だちだった。

その後、救急車が到着すると二人を乗せて居なくなってしまった。
現場検証はわたししか居なくて、
あいまいな記憶しかないのに
足をがくがく震わせながらなんとか立ち会った。

その夜、長男はうなされていた。
わたしは初めて子どもが死ぬ夢を見た。

それからしばらくして電話がかかってきた。
わたしの車に衝突した人の奥様からだった。
「主人が大変ご迷惑おかけしました。お子様も乗っていたそうで、大丈夫でしたか?」
その話し方、その雰囲気から
しっかりとした女性の印象を受けた。
子どもが怖がっていたこと、夜うなされたことを伝えた。
「主人に代わります」といって当事者に代わったのだが、
心に届かない言葉を話す人だった。
さらっと謝り、自分の体のダメージをアピールしてきて
この人は奥さんに謝るように言われただけで
謝りたいわけではないんだなと思った。
「子どもが死んだ夢をみてつらかった」とだけ伝えた。

当事者のふたりには事故の記憶がなくて
警察から連絡がきて「調書をとりたい」と言われ
小さな部屋で2時間拘束されてあれこれ聞かれた。
なにも悪いことをしていないのに犯罪者の気分になった。

夫の友だちは相手に腹を立て、
「金をとってやる!」といって裁判を起こした。
あれから3年が経つが未だに決着がついていない。

わたしのあの2時間は無駄だったなと思う。

彼はお金も時間も労力をもつぎ込んで
何を得ようとしているのだろう。

人は忘れてしまう生き物なのに
怒りだけはなかなか忘れられない。
怒りの元は悲しみなのだからそこに気づくことができれば
争わない方法もあるのでは…
願いにも近い思いが頭に浮かぶのだ。


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