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くちなしの花

サイゼリヤ問題


 アラビア語の勉強を続けて一年近く経つのだが、思いの外面白い.空いた時間に参考書と辞書を開いて、練習問題を解きつつウンウン唸っては「ユーリカ!」と腑に落ちる感覚を味わう作業を繰り返している.見知った言葉がアラビア語に由来すると知ると、さらに詮索をしてしまって、肝心な勉強が進まなくなることもしばしばだ.最近私はとある言葉に出くわして、その言葉の音の類似性に興味を惹かれた.

 薬局のことをアラビア語で「صيدلية」( ṣaydaliyya)という.ざっくりとカタカナ表記すれば「サイダリィーヤ」と読む.初めて聞いた時は「ふーん、そうなんだ」程度に思っていたのだが、よく考えると「ん?どこかで聞いたことがあるなぁ」と考えを改めた.

 そう(?)、「イタリアンワイン&カフェレストラン」、サイゼリヤである.日本のみならず海外展開もしているサイゼリヤはリーズナブルな値段でイタリア料理を味わえるファミリーレストランの店舗名になるが、どうやら本社はこの「サイゼリヤ」の名前の由来を「くちなしの花」だとしている.それも「イタリア語(古語)」らしい.(私が再度確認しようとした所、この説明は公式ページから消えてしまった.)

 それは本当なのだろうか.と思い、くちなしを辞書で調べることにする.まずイタリア語は「gardenia」 (ɡɑːˈdiːnɪə)という.英語もgardeniaという.ロシア語でもフランス語でもドイツ語でもgardeniaという.アラビア語でも「غاردينيا」(gardiniya)という.皆一緒だ.なぜこの名前なのかをたどると、十八世紀のスコットランド生まれの米国人植物学者、アレクサンダー・ガーデン博士(Dr. Alexander Garden)に由来するようだ.家族の姓をラテン語にしたものであるという.それは良いのだが、それまでこの植物には欧風の名前がなかったのだろうか.ちょっと気になる.

 というのもくちなしの花の原産は東アジアであるからだ.中国語では梔子(zhi-zi)というので、およそサイゼリヤとほど遠い.歴史的には中国の宋朝にくちなしに関する最古の記述があるので時を経て欧州に輸出されたようである.やがて十八世紀にはアメリカまで渡った.

 そもそも「イタリア語(古語)」という説明が妙だ.古語はラテン語ではないのか.と思ったら同じような人がいて安心した.十年前のブログに同じ疑問を抱いた人がいて、その人はサイゼリヤのカスタマーサポートに問い合わせたのだそうだが、なんという行動力!これぞ行動力の化身.サポート側も大いに困惑したであろう.「イタリア語の古語はラテン語なのか」「綴りは何だ」「出典はどこだ」と尋ねるあたり私と気が合いそうな人ではあるが、大学のゼミじゃないのだから答えられる人はほとんどいまい.

 その奇特な人はさらに調べ上げ、「cytherea」という単語に行き着く.様々な植物の学名に「cytherea」がつくことがあるらしいのだと言及して力尽きてしまう.これは美の女神アフロディテの別名でもあり、ギリシア、ペロポネソス半島の南の島、キティラ島の英名でもある(Kythira).語源はもちろんギリシア語である.これをイタリアではCerigo(チェリゴ)というので元とは全く異なる.だが、これを英米では美の女神にあやかって「シセリア」「サイセリア」という女性の名前で用いることがあるようだ.実際にサイセリアという女優が実在することを確認した.「i」や「y」を「ʌɪ」と読むのは英米の習わしだろう.特に後者ならだいぶ「サイゼリヤ」に近い.「th」音を「ザ行」で当てるのも無理はない.これはなかなか良い線を行っているのではないか.

 ここでアラビア語に話を戻すと、「صيدلية」( ṣaydaliyya)という言葉は「صيدل」という四文字の語根からなる.アラビア語はヘブライ語と同じくアブジャド(単子音文字 consonantary)であるから、三、四の子音を基礎として接頭辞や接尾辞を加えて名詞や動詞にするわけである.よくわからない方は聖書における唯一神を「YHWH」とすべて子音で表記するのを思い出していただければいいと思う.もしくは一部のインターネット界隈で知られる「TDN表記」が参考になるだろう.

 さて「صيدل」という語の組み合わせは「薬理」に関する用語を表すようである.学問なら薬理学、場所なら薬局や調剤所、人なら薬剤師や薬理学者を表す.おそらく植物やアフロディーテとはなんら関係がない.いわんやくちなしの花をや.たまたま音が似ていただけなのだろう.(究極的に詰めるにはアラム語やフェニキア語まで頑張るしかないが)決定的に異なるのは、「サイゼリヤ」における「saizeriya」の「R」だ.日本人は「R」と「L」を区別できないが、外国の人々は明確に区別する.「صيدلية」( ṣaydaliyya)は「L」であるから語源が異なることは推察がつくのだが、もし仮にアラビア語起源説が真であるとすれば、我々のガバガバリスニングによって「saizeriya」表記が成立してしまった線は最後まで否定できなかった.私の中で以下の判断を下すのには時間がかかった.

 したがって、私は「サイゼリヤ」問題に関して次のように予想を立ててみる.まず、「サイゼリヤ」は「くちなしの花」には由来しないだろう、ということ.説明に破綻をきたす.よって私は美の女神「cytherea」から着想を得て「サイセリア」から「サイゼリヤ」へ転記した可能性を推したい.

 命名者の立場で推測をしてみよう.命名者は新しいレストランの名前の構想を練っていた.とある植物の学名に「cytherea」というのがあり、英米人経由でそれを「サイゼリア」と読むのを知る.なぜか本人の中ではそれがイタリア語で「くちなしの花」だと勘違いをする.そして新規立ち上げのレストランに「サイゼリヤ」と命名した.

 実際の真偽はわからない.公式サイトは「サイゼリヤ」の名前の由来を掲載していたのだが、いつの間にか消してしまったのだ.なぜ消してしまったのだろうか.やはりくちなしの花ではなかったのだろうか.企業側も一貫性のある説明をくちなしの花に求めることは難しいと判断したのだろうか.このような疑問を「どうでもいい」と思う人は多いと私は予想する一方、公式が消したからには何かしら理由があると思う.「どうでもよくないから」こそ消したのだと考えてしまう.皮肉にも急に口をつぐんでしまったサイゼリヤはくちなしの暗喩になってしまった.

 言葉を勉強していると、思いがけず言葉の由来や隠された意味に興味が湧くことがある.さきほどの「صيدلية」とサイゼリヤのように、アラビア語で「ポルトガル」と「オレンジ」の発音はものすごく良く似ている.似ているようで全然違うこともあれば、語源が同一のこともよくある.言葉がたどってきた変遷に思いを馳せるのは楽しい.先人が紡いだ言葉には物語があるのを切に感じる.何気なく言葉を発する時、記すとき、私たちはその物語を再構成しているのかもしれない.私がアラビア語に手を出した理由はその言語が持つ独特の物語性に惹かれたのもある.またいつかお話ができれば良い.

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