前回の続きです。阿弥陀仏はどのような想いを持った仏だったのか、仏説無量寿経の偈文を元に探っていきます。今回紹介する偈文は「歎仏偈」あるいは「讃仏偈」と呼ばれるものです。仏を称える詩ということですが、どのような経緯で詠うことになったのかをまず見ていきます。
経緯については漢文と対応箇所の梵文和訳(中村元氏)を併記し、歎仏偈については梵文無量寿経(藤田宏達氏校定)を私が和訳したものを掲載します。
私のサンスクリット語のレベルはまったく低く恐縮ですが、ぜひ法蔵菩薩(阿弥陀仏)のロマンチックな表現と熱い決意を感じ取っていただければと思います。
阿難(アーナンダ)の問い
釈尊、語る
歎仏偈
あなたの放つ輝きは限りなく、あなたの真実を見通す力は果てしない
この世界にはあなたのように輝きを放つ者は誰一人としていない
太陽や宝石の煌めきも、月の明かりも、あなたの前ではその輝きを失ってしまう
最高の悟りを開いた者の姿は果てしなく、その声も無限の響きを備えている
あなたのように正しい行いを為し、集中し、真実を知り、不断の努力をする者はこの世界には存在しない
あなたが明らかにした真実は、深遠、広大、緻密であり、あなたの心はまるで大海のようだ
それでもあなたは高慢になることなく、汚れた荒野を離れ彼岸に渡った
王たる王であるあなたが無限の輝きで十方を照らすように
私も法の主である仏となり、人々を老死から解放したい
私は最上の布施、自制、正しい行い、忍耐、努力、瞑想、集中を持って
これを誓い、一切の生ける者たちを救う仏になる
ガンジス河の砂の数ほど多くの百千万の諸仏を私は崇拝し
無比であり卓越した最上の智慧を求めて歩む
ガンジス河の砂の数ほど多くの地と、それをさらに超えて広がる世界
そのすべてに私は輝きを放つ、その思いで私は足を踏み出す
私が作り上げる地は、この世のなによりも優れ、卓越したものにしよう
悪に染まり涅槃の安楽が得られぬ地を清らかにしよう
十方から来る者たちが即座に安楽を得られる地にしよう
仏であるあなたは私の理想であり、また私が発したこの思いの証人である
世界について知り、囚われのない心で真実を知る者たちにも常に私の思いを知っていてほしい
たとえ無間地獄に落ちようとも、そこに永遠に囚われることになろうとも、私はこの思いを翻さない
私の第一印象
こんなん、惚れてまうやん。