【電車に乗るということ】
電車に乗るということは首都圏に住んでいる人間ならば日常的なことだろう。
しかし、そこを深く掘り下げて考えたことのある人は多くないはずである。
まず電車に乗るにはお金を払わなければいけない。短時間で数キロ先に生けることへの対価である。
無料で行くことも勿論可能ではあるが、それは親にもらった脚をつかい、労力と時間を要する。
時は金なりという言葉があるように実際、その時間や労力はお金で買った方が特なのかもしれない。
首都圏で言えば140円前後から電車に乗ることができる。
その金額を払うということは、乗る権利を得るということだ。
当方はこれに関して非常に感心している。
線路の整備費、車両の代金、各駅の建設費等を考えると途方もない額が費やされているだろう。それに対して、わずか最低140円で一回利用できる。
こんなにも安く済ませることができるのは、言うまでもなく利用者の数が多いからであろう。
当方は今、某私鉄内で本記事を投稿しようとしているので、1車両の人数をざっくり数えてみよう。
……
……。
わからない。
少なくとも100人はいる。
多少上下はするももの、その人数で10両編成だとすると、1000人乗っていることになる。
その1000人の行き先はそれぞれであるので、仮に一人の運賃を平均的に250円としよう。
すると
1000×250=250000円
となる。
その電車が1日往復で200本あるとなると、
一日の運賃での売り上げは
5千万円にものぼる。
しかも、複数路線所有している会社であれば、それに留まらないだろう。
なんと言えばいいのだろうか。
意外と高くない額だ…。
素人の感覚的なざっくりした計算なので、実際はもっと多くの人を乗せ、一人当たりの単価もたかいはずだ!
言いたいことがわからなくなっている。
電車を考えた人は偉大だ。
電車がなければ、現代人は基本的に徒歩での移動を余儀なくされていただろう。
すると、どうたろうか。
脚の筋肉はパンパンに膨れ上がった現代人で溢れかえっていただろう。(あり得ない)
その結果、脚力を軸とした走力や跳躍力が発達した日本人が誕生し、オリンピックのメダル総なめとなったいただろう。(あり得ない)
もし日本のスポーツ庁が、オリンピックでさまざまな競技でのメダル獲得を期待するのであれば、まずは電車を廃止すべきだろう。
そうすれば100年後には日本人のメダルラッシュに期待できるであろう。(あり得ない)
酔っぱらいの記事はこれくらいにしておこう。
あとは力業で纏めさせていただく。
電車便利で良い。
以上。