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日本語教師への道② ~文法への歩み寄り~

今回は、日本語教師養成講座で学んでいる文法について書きます。今はテキストと動画で理論部分を勉強していて、文法から取り掛かっています。全体的にとっつきにくいんですが、理解すれば面白い。ということで面白かったことを一部ご紹介したいと思います。

1.とっつきにくいもの。それは「文法」。

分野は「文法」「音声」「社会・心理」「言語・教育」の4つに分かれています。英語で苦労した経験からか、特に「文法」「音声」と聞いただけで逃げたくなるというか・・・大事なのは分かるのですが、とにかく難しいイメージがあるのです。

文法とは「文章を構成するきまりや規範。また、文章を書く上でのきまりや書き方」。きまりは守らなければいけないから窮屈!でもきまりがある程度なければ、無秩序になってしまうのでそれも不快なんだよねーと思い、何とか文法と仲良くなるべく、動画を聞きながらテキストにメモしています。

2.様々な品詞。多すぎて瀕死。

とか言っている場合でもないんですが、品詞とは「文法的機能・形態による語の分類」だそうです。テキストの目次にはあまりなじみのない品詞が並びます。「連体詞」とか「格助詞」とか。「・・・だ、大丈夫よ、読めばきっと理解出来る・・」とテキストを読み進めると「イ形容詞」とか「ナ形容詞」とか、「属性副詞」とか更に小分けされて出てきて「・・・これ全部覚えるの?え、私、先生に向いてない?受講料払っちゃったんだけど・・・」と不安になってきます。

ただテキストや動画の先生の説明が明確なので、理解は出来るのです。さすが言葉の専門家だなあと感動したりします。まあ、人に教えるには正しく理解する必要があるので、細かく分類されている理由も分かります。後は何回も繰り返して覚えるしかないですね。頑張ります・・・。

3.「可能表現」に見る可能性

使う言葉で、現実の見え方が変わってくる、ということは良く聞きますし、私も気を付けています。そういう意味で面白かったのが、可能表現でした。テキストで学んで、改めて「『出来ない』ってあまり言わないようにしよう」と思ったのでした。

その部分ですが、テキストによると可能表現は「能力可能」と「状況可能」に分けられるそうです。検索してみると、以下論文では可能の意味を「能力可能」、「条件可能」、「属性可能」、「認識可能」に4分類されていました。

・参照『日本語における可能の意味について』、中井 政喜呂、 雷寧著、名古屋外国語大学

https://core.ac.uk/download/pdf/235012474.pdf

「能力可能」は「ある動作または状態を実現する能力が主体にあるか否か」だそうです。
例文として、「花子は酒が飲める」が挙げられています。

一方で、「条件可能」では、「主体の能力の有無ではなく、何らかの条件により主体の動作・状態の実現が可能か否か、あるいはその条件自体」が問題にされます。
例文として、「頭が痛いので、お酒が飲めない」が挙げられています。

・・・ここで「あれ?」と思われた方はいらっしゃいますか?もし花子さんが今「お酒を飲めない」として、それは彼女の能力・もしくは条件、どちらのせいなのでしょうか・・・。どちらでもあり得ますよね。

また同じ能力可能表現であっても、「それによって表される主体の能力は一様ではない。(中略)本来備わった能力と習得した能力とがある。」と論文に書かれているように、後で得られる能力もあります。私はお酒があまり飲めませんでしたが、社会人で飲まざるを得ず、3杯くらいは何とか飲めるようになりました。

まあお酒は体質的なものもありますし、飲みたくなければ飲まなくて良いと思います。ただ、よく聞く「出来ない」は個人の先天的能力から判断されて、その人の状況や後天的に身につけられる可能性は軽んじられる気がするのです。でも周りに協力的な人がいたり、練習をすることで「結果的に出来る」ことって意外にあるのですよね。

・・・可能表現の分類が心に響いたのは、このブログを「文章が上手く書けるようになりたい」という気持ちから続けているからかなとも思います。今は「うまく書けていない」と私が思っているからなのですが、先天的に上手ではなかった(能力)、今まで書く環境になかった(条件)という認識で、後天的に身につけようと練習しているのです。

テキストを読んで、10年前くらいまではこの能力(先天性/後天性)・条件を詳しく考えずに、すぐに「出来ない」と思ってコンプレックスだったことを思い出し、「あああ・・・」と感傷にふけってしまったのでした。・・・勉強に集中しなよ、って感じですが(笑)

そういえば、不当な「出来ない」に抗議したくて、こんな記事もかいたなあとも思い出しました。

まあ千里の道も一歩から!毎週少しずつ進めていきますー!