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自由とは

名刺の肩書き

もう20年くらい前かなぁ

異業種交流会などに積極的に参加している時期があったんだよね

学生時代は工学部
学科の同期の多くはSE(システムエンジニア)として就職していた

私が就職した会社は、事務の方はいるが、社員はSEばかりの会社だった
営業(顧客開拓)は、親会社の営業さんがやっていた

という環境にいた

学生時代の仲間や会社の人たちとだけ接していると
SEにドップリ浸かってしまう

少なからずこのような気持ちもあったように思う

まぁ、私自身が色々な人と触れ合うのが好きという
性質も関係はしていたんだけどね

異業種交流会に行って、会社の名刺を出すのもなぁと思いつつ
ある時に、個人名刺を作った

最初は専用の用紙を買ってきて、自分でパソコンで印刷していた
ミシン目で切り離すんだけど、やっぱり渡す時には

「あぁ、自作の名刺だとどう思われるんだろう」

ということを考えたのも今となっては懐かしい

あるタイミングで、知人の知り合い関係で、
印刷会社の方にほぼ原価で名刺を作っていただける機会があった

何か肩書きを作りたいなと思った

色々考えて、決めた肩書きは

『目指せ!自由人♪』

だった

今思うと色々と考えることもあるし、当時も経営者の方からは

「『目指す人』になるから変えた方が良いよ」

というアドバイスももらった

でも、ゴロが良い感じに自分に入っていたからしばらくはそのまま使っていた

自由になりたい

こんな気持ちを持っていたけど、ある時にふと気づいた
「自由って何?」

自由になりたいと言いながら、自分の中で”自由”ということが定義できていなかった

そんな時に、本田晃一さん(こーちゃん)という方のお話を聞く機会があった

成功者に聞いた”自由”の定義

事前情報で、こーちゃんは、私とほぼ同じ年齢
20代にして、すでにセミリタイアとしての生活もできる状態だと聞いていた

どんな人が現れるのだろう?

とドキドキワクワクしていた

目の前に現れたこーちゃんは、

無邪気な笑顔の素敵なその辺にいる若いにいちゃん

という印象だった(失礼な表現ですみません)

私のイメージする”自由”を体現している人だなと思った

最後に質問をする時間があった

普段、このような場では質問などできない私だが
この時は、思い切ってこんな質問をしてみた

「こーちゃんにとって、”自由”って何ですか?」

その時に、こーちゃんはこんなことを話してくれた


僕の思う”自由”っていうのは

「選択肢が多いこと」

だと思うんだよね

例えば、いま東京で話をしているけど
これから名古屋に行くとするでしょ

どうやっていきますか?

僕はね
新幹線を使うこともできる
それも、グリーン車に乗ることも
自由席で行くこともできる

ヒッチハイクで行くっていうのも面白そうだよね

あとは、僕は自転車が好きだから
自転車で行くっていうことも可能なんだよね

でね

大企業の重役さんだったらどうなるかっていうと
「グリーン車で行ってください」
ってなるんだよ

グリーン車しか乗れないの

これって、自由じゃないよね

だから、自由っていうのは選択肢が多いことだと思うんだ


こんな話だった

もうね、衝撃的だった

一つは、まさにこの”自由”を表した説明

そして、もう一つは重役さんは自由じゃないって事

この時に、ある話も思い出した
それは、このこーちゃんの話を聞く3年くらい前に
ある会社の社長さんがこんな話をしてくれていた

「私は、初めて買った スバル360 にもう一度乗りたい
 でも、社員から『社長、危ないのでセルシオに乗ってください』
 と言われる」

という話だった

この社長さんがセカンドカーとしてスバル360を手に入れたかどうかはわからない

このことが繋がり、「あぁ、あの社長さんも自由がないんだな」と思った

自由とは、選択肢が多いこと

本当にそうだなと思った

子供が自由に見えるわけ

家の前の公園で遊ぶ子供たちを見ても
自由だなと思うことがある

それは

ある一人の子供が「ドロケイしよう」と声を出す
周りの子供は「いいよ〜、やろう」と集まってくる

そんな中でもある子は「えー、鬼ごっこならやる」と
正直に自分の気持ちを伝えている

大人になればなるほど「みんながドロケイやりたいなら」と
自分の気持ちを言わずに周りに流されることも増えるのかもしれない

でも、自分がやりたいことを言ってみる
そうすることで、もしかしたらその願いが叶うかもしれない

実際、公園で遊ぶ子供たちは
流れに乗ってドロケイをやる場合もあるし、
「だったら鬼ごっこしよう」と鬼ごっこになる場合もある

自分の意見を言うかどうか
これも一つの選択肢だと思う

みんなが・・・と思って意見を言わないと言うことを決めてしまうと
その時点で、意見を言うと言う選択肢が無くなっている

結局ドロケイをするかもしれないけど
自分は鬼ごっこをやりたいと言ってみよう
言わなくても良いんだけど言ってみよう

と言う気持ちの場合は、言うか言わないかの選択肢がある

まずは、自分の中で「〇〇しなければ」と言う限定的な思いが出てきたら
「〇〇しなくても良い」と言う選択肢を横に置いてみるのはいかがだろうか?

多くの人がドロケイをやりたいと言う中で
鬼ごっこをやりたいと言うこと

子供は素直に言えるけど、大人になるとなかなか言えないですよね
このような場面で、どのように伝えると良いか

この辺りのコミュニケーションのコツについては
後日覚えていたら書いてみたいと思います



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