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編集部ピックアップ『暴君』

作品紹介

育児のお話です。ところで2021年1月現在、うちは長男が5歳、長女が2歳です。これを書いたのはたしか長男がゼロ歳児の時で、ぼくが「父さんな、会社やめて小説一本で食っていくんだ…!」というプロブロガーみたいなことをキメた時期でもあります。
いまウチは妻が会社員、ぼくは文筆業で、お互いの怠慢をなんとかカバーしあいながらなんとか中流家庭風の生活を保っていますが、掃除・洗濯・食事の準備などに追われて仕事をはじめようとしたらもう夕方……なんてこともしょっちゅう。こうして本作とは全く関係のない我が家の事情をダラダラ書いている今も、締め切り間近の原稿を書きあぐねているところです。

長らく眠っていた原稿ですが、先日、滝口悠生さんとお話する機会があり(https://youtu.be/pXpL5ifnnWc)、「俺は滝口悠生の影響をモロに受けてるゼ!」的なことをいったので、その例となる小説を……と思い公開することにしました。普段はSF的なものを書く機会が多いのですが、この小説ではそういうことはないです。割と個人的に気に入っている小説ですので、ご感想など気軽に書いていただけると大変嬉しく思います。

著:大滝瓶太

カオスティックでサイケデリックかつモノクロな世界観

最初に断っておくと、これは、私、高橋が思い描いたこの小説の世界観である。おそらく読む人によって大きく変わってくることだろう。

多くの人が共感してくれるであろうことを一つ述べるのならば、現実と虚構に境のない、気づけば写実と抽象が混じるような世界観だということだ。

物語の主軸は子育て。『暴君』が示すのは序盤『赤子』を指しているように見える。絶対的にかわいく、絶対的に保護され、絶対的な愛を受けるのが赤子であり、社会的絶対的価値観がそこにある。

赤子は物語の中で『アヴァレンティヌス』と呼ばれ、夫は『クタビレアヌス』と呼ばれる。

これらは主人公であるナツキの子供と夫に対する固有の『愛称』かと思って読み進めるとそうではない。

どちらかというとこの世界の普遍的な総称のようなモノなのだと考えた方よい。

この愛称を通してごく自然に『ナツキ』の物語から『幸子』の物語に移り変わり、また戻ってくる。

そして時には、中世ローマ時代や人類が滅んだあとの世界、そしてアリスの物語に移り変わる。

この切り替わりが非常にナチュラルで、読んでいてどこから変わったのか分からないまま想像していくものだから頭の中の世界がやたら乱雑に構築されてそのまま取り壊されることなく建造され続けるという不思議な感覚に陥る。そして、突如現実世界に戻されたときに気づくのだ。

アリスの気持ち、幸子の気持ち、そしてナツキの気持ちに。

感情と世界観が一体化している

彼女らは全員全く違う境遇の元、子供を育てている。けれど、共通していることがあるように思う。

それは、『アヴァレンティヌス』が『絶対的な価値』を持ちながらも、『絶対的に弱者』だということ。

彼女らの子育てには、陰りが見え始める。そのキッカケは三者三様だったが、おそらく彼女たち三人は産後鬱の状態。その混乱具合は共通していて、だからこそ、物語に堺がないのだろう。そこには抗えない力と恐怖が混在している。

 正直、序盤から中盤にかけては混乱するかもしれない。けれど、その描かれているものの本質が見えてくると途端に圧倒的な支配力を持って飲み込まれている自分に気づくだろう。

作品URL
https://sutekibungei.com/novels/3c7a76cb-e023-4165-b675-ab569251623a

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