ダイタクヘリオスのでかきも討論会

その日のトレセン学園は囂しい豪雨に包まれていた。グラウンドが使えない雨の日は、校内のウマ娘分布が普段よりも局所に偏る。今日その代表例である図書室では、

「ほんっと無理!!!」

議会スペースの一班から悲痛な叫び声が響く。そこから間を置かずして、部屋をおずおずと退出していくトレーナーの姿があった。

「ちょ、どうしたの?」

近くにいたゴールドシチーが部屋を覗くと、そこには辟易した顔のダイタクヘリオスが椅子に凭れながら仰向けになっていた。

「ど、どうしたんですか?」

さらに後ろから図書室の番人であるゼンノロブロイと、共にいたであろうアグネスデジタルが駆け込んでくる。

「……キモい」

ダイタクヘリオスの吐き捨てるような一言は、言葉の浅薄さにそぐわず、その疲労と苦渋に満ちた声色から場の空気を重厚感で支配した。

ゴールドシチー一同は神妙な面持ちで見合わせると徐ら席に着き、"待ち"の姿勢を取った。

斯くして「でかきも討論会」開演である。

***

なぜ自分の担当トレーナーがあれほどまでにキモいのか。ヘリオスの主張は一貫してそこにあった。

「社会人にもなってコミュニケーションをまともに取れないの、ガチで危機感持った方がいいと思う。それこそがヘリオスから嫌われる最大の理由だと思う」

「それ!そもそも生物って、雄が雌をリードするのが一般的だろって思っちゃう。なのに、なんでウチが気使って合わせないといけないわけ!?」

「……まぁ雄雌はともかく、話を聞くに年上のくせに阿諛追従する姿がみっともないということですよね。多分。」

「あゆ?なに?」

何言ってんのこいつみたいな顔をするダイタクヘリオスを見て、ゼンノロブロイは会話の相手が普段話す人種とは大分異なることを今一度認識した。だから、ロシュフコーの箴言は彼女には必要無い。

"声の調子や目つきや姿のうちにも、取捨選択した言葉に劣らない雄弁がある"

「要するに、自信がなくて毎回ヘリオスさんの顔を窺ってるような感じなんでしょう?」

「そう!んでいざ口開いたかと思えば何言ってるか全然聞こえない笑 ボソボソ喋ってんなよ」

ダイタクヘリオスが続け様にトレーナーを論い愚痴っぽく溢していると、

カタカタカタカタ

と机が小刻みに揺れ始めた。やめてよね、貧乏揺すりとか。きもトレーナー思いだすから。

「で、でもそれは悪気があってのことじゃないと思いましゅ!」

震源地は今まで黙っていたアグネスデジタルだった。堪えきれなくなったのか、突如立ち上がりそう告げた彼女の顔からは蒸気のようなものが立ち昇っており、肩は震え、呼吸が荒いのを抑えるように前傾姿勢で机に手をついている。

「や、いきなりすみません。でもトレーナーにも考えがあるのかと……ぎゃ、逆に年頃の女の子相手だから気を張りすぎちゃうんじゃないでしょうか?……気持ち悪がらせないように。」

「いや、だからそれがキモいっつーの」

「普通に接してればよくない?変に意識してるからキモいんでしょ」

精一杯の主張を一蹴されて泡を吹いているアグネスデジタルを他所に2人はうんうんと頷きあっている。アグネスデジタルは引き下がる他なかった。それでも、彼女にはトレーナーの気持ちが痛いほどわかるのだ。だって、かわいいウマ娘ちゃんたちの前で常に心臓ドッキンドッキンのあたしと、そのトレーナーはきっと同類キモオタだから。

「結局そういうキモい反応になるのって、心から私達に向き合えてない証拠だよね。真っ向から人と向き合えない精神的未熟さ、そこからくる"おどけ"こそがキモい態度の正体なんじゃないの」

「じゃあなんすか、オタクくんは純粋な感情に身を委ねることができず、間テクスト的なメタフィクションにしか面白さを感じられない捻くれた生き物ってことスか?」

「なに言ってんのか全然わかんないんだけど……てかデジタルってそんな話し方してたっけ」

ダイタクヘリオスら3人は要領を得ないように首をかしげていたが、雲の上で涅槃のポーズを取っているゴールドシップは窓の向こうからこちらにサムズアップをしていた。

「話変わるけどいい?オタクに優しいギャルってあるじゃん。ウチ、多分あれだった」

「え、優しくしてたの?」

「いやっ、そうじゃなくて!普通に接してただけだし。だから、オタクに優しいギャルってあれ、周りと同等に接してるだけなのに、オタク側の自尊心がなさすぎて優しくされてるって勘違いしてるだけでしょ。絶対」

「ヴォエエェェ」

具合が悪そうなアグネスデジタルに「はい、これあげる」とロキソニンが手渡される。ダイタクヘリオスは「うわ…」と露骨に嫌な表情をしたが、それと対照的にゴールドシチーは笑顔だった。

「なにしにきたの?ダイヤちゃん」

EATMEのボディコンシャスなトップスにブラックのミドル丈スカート、NOEMIEのニーハイ、当然のように厚底シューズ、腕から下げてるのはMaison de FLEURのトートバッグ

ハイブランド至上主義のゴールドシチーにとって、これらの地雷系ブランドが唾棄すべき『邪悪』であることは疑いようがない。それでも、GU以外の私服を持たないリトルココンや、全身しまむらのオグリキャップなどに比べれば幾分かマシであった。

「キタちゃん待ってたら面白そうな話が聞こえてきたので。"優しくされてるのが勘違い"とかなんとかって……」

「「「「(これめんどくさいやつだ〜〜!)」」」」

その場でサトノダイヤモンドを除いた全員は内心で悲鳴をあげながら必死に話題の切り替えを試みた。不思議なことに、それは一切の打ち合わせなしに各々が自然に且つ協調的に行われた。口火を切ったはゼンノロブロイだった。

「優しいで思いついたんですけど、トレーナーさんの良い所を見つけ出すというのはどうですか?どこがキモいのかを羅列してもただの愚痴になってしまいますし、欠点よりも長所を見つけ出す方が和解の方向性としてはいいと思います。」

「それなー!ありよりのありって感じ!」

脳死で便乗するダイタクヘリオスにアグネスデジタルも追随する。

「さきほども話したように、気を遣ってるのはヘリオスさんのためですよ。絶対にトレーナーさんは優しい人ですって」

「んー優しいっていうけど、どうかな。彼の場合、人の役に立ちたいんじゃなくて、人の役に立つことで自分を救いたいんじゃない?特になにかに秀でてるわけでもない自分を他者を助けることからくる自己有用感で補償するために」

「メサイアコンプレックスってやつですね。」

「よくわかんないけど、アタシが言いたいのは結局のとこ自己満足だってこと」

***

図書室にいる生徒の数が昼間の半分ほどになっても議論は未だ続いていた。日は既に沈み暮れ、辺り一帯を覆っていた雨も弱まってきていた。サトノダイヤモンドは議論には一切介入してこず、そんな窓の外の景色を虚ろそうな目で見つめていた。

「で、オタクがゲームのキャラメイクだったりをめちゃくちゃ凝ったりするのに、自分のファッションには無頓着なのあれはホントなんでなんかね」

「無頓着というより自信の無さ由来のものでは?イケメンがかっこいい服を着るのは相応しいけど、自分には不相応で服に着られてる感が出ちゃう……みたいな」

「まって、着られてる感ってどういうこと?服は着るものでしょ。よくわかんないけど言い訳っぽく聞こえるな。自信ないならとりあえず流行のブランド物着させとけばいいんじゃない?」

「『流行を追う女は、常に自分自身と恋に落ちている。』」

「なんか言った?」

「……いいえ」

〜♪

やや険悪な雰囲気になりかけた場を割って流れ始めたのはNANAのオープニングテーマ曲。窓辺でメランコリーに服していたサトノダイヤモンドは、これまでの生気の宿っていない目からは考えられない耀う顔つきで携帯を手に取った。

「キタちゃんが呼んでるから私行くね」

そう言って足早に部屋を出て行くサトノダイヤモンドは「10万で足りるかな……」と不安そうに溢していった。

残された一同は安堵していた。それと同時にえも言われぬ達成感のようなものも感じていた。乗り切ったのだ。各々は晴れやかな心持ちで顔を見合わせた。その中で唯一人ダイタクヘリオスだけは、内心靄掛かった気持ちを抱えていた。

──本質的にズレている。

ダイタクヘリオスは薄々この議論が空虚であることに気づいていた。本質的にズレている。私が言いたいのは、違う。端的な私の気持ちは、そうじゃない。そこには対処法も改善策も求めてはいない。

それに対して、アグネスデジタルはでかきもトレーナーに自身の姿を投影し、それを擁護することによって、自分を弁護していた。ゼンノロブロイは、相談に乗るという体を装って、その実ペダンティズムに耽っており、浩瀚な書物を読んだことのない彼女らを見下していた。ゴールドシチーは、ヘリオスの共感者という立場を贖宥状に、その嗜虐的な性格から自身の理想とは程遠い男性を罵倒したいだけなのだろう。ここには誰一人としてダイタクヘリオスの敵はいなかったが、同じように味方もいなかった。それは、それぞれの自己承認の場でしかない、孤独の討論会だった。

「みんな、今日はありがと。みんなに話せたおかげでストレス発散できたし、そろそろ帰るよ」

「それじゃあ、お開きですね〜」

以上をもって「でかきも討論会」は閉会した。鞄を肩にかけて席を立ったダイタクヘリオスの隣にゴールドシチーも並ぶ。

「スタバでも寄ってく?」

「いや、ごめん。他に寄るとこあんだ」

「そ、わかった」

談笑しながら部屋を出て行く二人の後ろ姿を見て、アグネスデジタルは「青春ですねぇ〜」と机にドロッとした涎を垂らしていた。ゼンノロブロイはそれを見て、ダイタクヘリオスのトレーナーも、少なくともこいつよりはキモくないだろと思った。

***

図書室を出てゴールドシチーと別れたダイタクヘリオスは、今しがた口にした自分の言葉を頭の中で反芻していた。

「みんなに話せたおかげでストレス発散できたし」

ウチは大バカだ。

あれだけ3人のことを自己中みたいに語っておいて、結局は自分もあの3人をお気持ちの捌け口にしていただけだ。思い返せば、最初から全部ウチのわがままだった。トレーナーは大人だったのだ。ちゃんと他人を思いやれる、自己主張なんてしない。それに比べてウチは……

「ヘリオス……さん」

トレーナーが立っていた。こちらとは目を合わせずに、気まずそうに頭をポリポリかいていたが昼間のように逃げ出す仕草は見せなかった。

「あの、さっきは……」

「さっきはゴメン!」

先に言われるわけにはいかなかった。ヘリオスなりのケジメだった。
トレーナーは向こうから謝ると思ってなかったのか、やや驚いた様子で固まっていたが、

「い、いいんだよ。ぼ、僕もヘリオスさんの気に触るようなことをしたかもしれないしね。」

と言いながら、自分が許されたことがわかるや否や、頬を紅潮させて近づいてきた。背は低いくせにやや小太りの体型は、ノシノシと品のない足音を廊下に響かせる。調子に乗っているのか鼻息が荒く、汗の臭いもする。暗くて近づくまではよく見えなかったその下卑た顔つきからは、先程のアグネスデジタルが想起されたが、そのときにこんな悪寒は感じなかった。

ウチさ、覚悟して戻ってきたんだよ
けど、なんかこうして、こいつの顔見たらさ

悪い、やっぱキメぇわ




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