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8/17 日記


電車に乗って、美容室に出かけた。伸びてきた髪を切って、パーマをちょっとかけ直してもらうためだった。

2ヶ月ぶりくらいに赴いた美容室で、久しぶりに会った美容師のお兄さんはロン毛からめちゃくちゃ短髪になっていた。
「髪、切ったんですね~」とわたしが言うと、お兄さんは「そうっす。別人みたいになっちゃいましたよ!よく俺だってすぐ気付いたっすね」と軽快に答えて、くしゃっと顔をほぐして笑った。「うれしいっす」

しばらくチョキチョキ、クルクルなどしていただき、無事髪の毛がいいかんじになったわたしは颯爽と店を出た。足取りは軽い。髪の毛がいいかんじであるって、とても喜ばしいことだね〜。そう思いながらご機嫌で電車に乗り込んだわたしは、一番端っこの席に腰かけて鞄を膝の上に抱えた。


するとそこで、自分の手首に巻かれているビーズのブレスレットがなんとなく目に入った。

それは友だちがビーズのアクセサリーをつけているのを見たときに、わたしもこういうの欲しいな~と思って最近買ったやつだった。ちいさなビーズが一つひとつ透き通っていて、買ったときも思ったけど、やっぱりとても可愛い。

その瞬間、なんだかふと


「あ、わたし、生きようとしてるんだな・・・・・・」


と思った。

私達がいる世界はいつもめちゃくちゃキショくて凄惨なのに、そんな中で少しでも可愛いものを身に付けて、わたし生きようとしてんじゃん、、、と思った。日々、首吊って死んじゃおっかな〜♬などと口ずさみつつ、しっかり足掻いてんじゃないですか?と。
そのビーズは、愉快に生きることを諦めていない自分がいることの証左であるようにも見えた。そう思うとビーズのキラキラも自分の細い腕も急に愛おしく感じられてきてしまって、それだけのことでわたしは電車の中で泣いてしまった。

妙なことで泣いてしまう精神状態のときも、あるものだ・・・。そう思いつつわたしはマスクをつけた顔を伏せて、しばらく涙が引くのを待った。

やがて泣き止んだので顔をあげると、どうやらそのタイミングで、乗っていた電車が日陰から抜け出したらしい。さえぎるものが無くなった車内には突然明るい西日がなだれ込んできた。

その西日は、ドア付近に佇むお姉さんの指輪を光らせる。優先席に座るお爺さんの眼鏡に当たって跳ね返る。高校生が抱えるエナメルバッグの表面を滑り落ちる。少年が読んでいる本の白いページを痛いほどに眩しくする。サラリーマンの革靴をつややかに照らす。女子高生の横顔の輪郭をあいまいにする。


その光景を見たわたしは、困ったことに、今度はむしょうに腹が立ってしまった。


だって、いま目の前にある景色が綺麗だということは、すなわちものすごく残酷な景色もどこかにあるということだから。喜びがあるということは悲しみがあるということだから。きょうがどれほど愉快でも明日には絶望しているかもしれないということだから。生きるということは死ぬということだから。望んでもいないのに命と自我を与えられて、それは取り返しのつかない理不尽で、その理不尽と毎秒同居しながら、それでも生きていかなきゃいけない世界がキモくて狂っているのはくやしすぎると思ったから。世界は我々のために隅々まで美しくて平和でサイコーじゃなきゃ割りに合わないだろバカがよと思ったから。
同時に、“世界”とかいうデカすぎる対象、絶対どうにもならないことにいちいち腹を立てている自分の愚かさにも心底嫌気が差したから。みんなの幸せを願っているようなそぶりを見せている自分が、そのくせこれまで色んな人を傷付けてきていることが許せなくなったから。半径数メートル以内の人間を幸せにすることもできなかった奴が赤の他人の幸せを願うなんて百年はやいのに、百年フライングして願いそうになってしまったから。そんなわたしはぜんぜんやさしい人間ではないということは自分が一番よくわかっていて、だから人から「やさしいね」と言われると、その人に嘘をついているような気がして心が苦しくなってしまう、その感覚を思い出したから。


西日があんまり眩しかったので耐えられずにまぶたを閉じたら、引いていたはずの涙がまたこぼれてきた。いや、いくらなんでも感情がせわしなさすぎるだろ。そう思うと今度はちょっと笑えた。









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