# 45 悩める人間
日常茶飯事に遭遇する二律背反への対応、態度について考えてみたい。これによって、日本社会の実相が垣間見れるかもしれないから。
漸進法で進める。
1。二律背反はアンチノミーの訳語。あることがらについて互いに矛盾する命題が,同じように有効な基礎づけをもって主張されること。
創造的中道法は、二つの要求を同時に満足できないとき、二つの要求を入れて解決できるような「第3の道」すなわち「真ん中に道、中庸をつくる」ことで相反問題を解決する手法なのであり、漸進法と名付けている。これは背後にある真実に到達できる思考方法でもある。
実際は他の方法で二律背反に対応している場合が多い。それは線引きであり、灰色問題に線引きして、白黒つける方法である。それを決疑論という。
西欧では適当に線引きをしてきたイエスズ会への批判からあまり評価されてこなかった時期もある。線引きが教区(コミュニテー)間で違い、いい加減さが批判の的に晒されたのだ。
2。だが、線引きをしたり、丸く収めるというのは実生活で有意義であると思う。
3。決疑論は公平性、公正性の点で問題である。これをクリアできるのか?
4。公平性や公正性が問われ無い灰色もあるのだ。そんな場合に線引きは汎用されて来た。医師は常にこの方法を使っている。一見灰色と思われる病態に試行錯誤の末に線引きして、病気を同定しているのだ。
グレーな課題にはケースバイケースでどのような方法を選択するのか選択する事から始めるのが適切ではないだろうか
5。漸進法も決疑論も使え無い場合があるのでは?
6。異論の場合は功利主義の観点から最大多数の最大幸福の立場に立ち多数決という事になる。
7。それは広義の決疑論ではないか?強引に白黒つける線引きであろう。多くの不満を押しつぶすリスクが生じる。トランプ元大統領が選挙結果を認めず、不正が行われたと主張し続けているのは典型例であろう。社会の分断化には抗せないのである。
8。今回の政倫審では線引きもしないし、第三の道を模索することもなしのまま、時間が経つのを待つている様に見える。ほとぼりが冷めるのを待つということで、課題は残ったままになる。
この様は、権限を持つ与野党国会議員が権限を行使しないという事だ。職務怠慢である。国会議員には権力という属人的な能力を権限の範囲でフル活用してもらいたい。
9。二律背反への無対応や、職務怠慢と言うのはどうかと思う。
新たな政治資金規制法は出来ないかも知れないが、パーティー権による資金集めは自粛するように党内で線引きはするはずだ。野党が要求するような新たな法律ができれば、線引きで厳しい処分を課すことになろう。
10。社会には白黒つけ難い重要な問題が山積している。そこで生まれる二律背反を線引きだけで終わらせる傾向は先進国で多く見られる。言い換えると、安定はしているのだが硬直した組織でそうなる傾向があるようだ。
第三の道を模索して、抜本的な改革に繋げ、新たなる世界を開拓する、その様な気概が先進国一般で必要となるのではないか。
11。日本人の気質からは難しいと思う。日本人は慎重であり、ダイナミックな変化に殊更、慎重になるから。
12。日本人をその様に固定観念で捉えるのはどうかと思う。今後益々、グローバル化が進み、情報化社会が進化する。線引きだけでは通用しない世界になるはずだ。日本人も日本社会の構造も大きく変わって行く、世界も変わって行くはずだ。
第三の道のイメージが朧に浮かんでくる。慌てる事はないと思う。
楽観論でしたか?
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