生身の男の人が苦手

mixiの過去日記の言い訳はタグでする事にしたのでそれ以外の自分のことを少し書いてみようかと思い書いています。別に本当に大したことのない話なのですが私は生身の男の人が苦手です。見てるのは別に良いし、男性の推しもいます。苦手になった理由を、私の思い出せることを書いてみようと思います。当然私の経験したことが理由ではないかもしれないし間違ってる可能性は高いです。なので私は私に起きた事実をできるだけ客観的に書くように頑張ります。

小さい頃から私は人見知りで母親がそばにいないと不安ですぐに周囲に溶け込めるタイプではありませんでした。姉が幼稚園に行ってた時は一緒に行きたいと言っては母を困らせていたのに、いざ自分が行くことになると入園式でギャン泣きし母から離れず周りの大人を困惑させ結局私だけ母にしがみついたまま入園式を終え、それから幼稚園に通った2年間毎朝のバスのお迎えで行きたくないと抵抗し無理矢理バスに押し込まれるという行為を繰り返したものです。

ギャン泣きした入園式の直後
記録写真大好き父親から
「きちんと真っ直ぐ立ちなさい」
「ちゃんと笑いなさい」
などと叱られまくり渋々撮った写真


幼稚園に行っても友達と遊ぶよりもひとりで幼稚園のすみで積み木を組み立てて遊んでいた記憶しかないです。違うクラスのひとりの女の子から執拗にいじめられてたのも覚えてますが。でもその頃は別に男の子とか女の子とか気にせずに暮らせていました。幼稚園外では同性も異性も関係なく友達と楽しく遊んでました。ちなみに幼稚園でどうしても嫌なことから逃げるために仮病を使うことを覚え、また宇宙の始まり等を意識してしまい怖くて眠れなくなるというきっかけから不眠気味の子どもになりました。

幼稚園1年目の5歳誕生日記念の写真
撮影者が父親ではないので少し笑顔
他の子よりも背が少し高かった
幼稚園2年目の6歳誕生日記念の写真
他の子たちよりも背が高かった
男の子によく間違えられた


話がかなり脱線してるのですがもう少しで本題?に入ります。写真からわかるように特にかわいいわけでもなく母の好みで髪も短く同い年の子達よりも背が高く特別な日以外は普段スカート等を履いたこともなくしょっちゅう男の子に間違えられ成長した私はそのまま小学校に入ります。小学校も学校に行くのが嫌で仕方なかったです。そんな中、我が家はそれまで社宅の借家だったのですが家を建てることになります。家が完成したのは小学2年生になったばかりのことでした。無事に引越しも終わり市内の親戚を呼びささやかな宴会が行われました。髪は短いままでしたが母もこの時は娘たちにオシャレをと考えてくれて私は初めてワンピースを着せてもらいました。初めてのワンピースは落ち着かないけれど他の女の子たちと一緒になれたみたいで子供心に嬉しかったです。当時はそこそこ交流のあった小6の男の従兄弟とその母親がやたらと「かわいいね、かわいいね」と言っていました。ワンピースを着たらこんなに褒めてもらえるのだと私も嬉しかった気がします。新しい新築の家には姉と私の部屋もあり、従兄弟が部屋をぜひ見せて欲しいと言ってきました。大人たちは宴会で忙しく自由にしていいよと言われたので案内することになったのです。居間を出る瞬間、従兄弟の母親が「かわいいからっていたずらしちゃ駄目よ」と言いました。当時の私にはその意味はわからないし従兄弟の母親がどういう意味でそれを言ったのかは今もわかりません。そして私は2階の私の部屋に従兄弟を案内しました。でも特に見せる物もまだなく一緒に遊べる物もないので割とすぐに居間に戻ろうとしたと思います。特に会話も弾んでたわけでもなかったです。おもむろに従兄弟はドアの前に立ち私の耳元で小声で「パンツの中見せて」と言いました。小2になったばかりの子どもですからそれがどんな意味を持つのかはわかってませんでしたが、相手がわざわざ小声で言ってることで何か良くないことでありなんだかとても怖く感じたのでその場から離れようとしました。すると従兄弟は近くにあった畳んであった布団の上に私を押し倒し私はなんとか逃げなきゃともがきまくりました。多分ほんの短い時間だったと予想できるのですが私にはとても長い時間に感じました。もがいてもがいてなんとか逃げようとしたらスカートがめくれて「パンツ見ーえた」と言われ、なんだかゾッとしてそこで更にもがいてなんとか逃げてドアを出ようとした瞬間に「誰かに言ったら殺すからな」と言われたのを後ろから聞きながら急いで居間に降りました。居間では大人たちが相変わらず宴会をしていて、私はホッとしたのですが「誰かに言ったら殺す」と言われたのが怖くて結局何も言えずに普通を装ってその日を過ごしました。

急に簡潔になりますが、まずはそれ以降スカートが履けなくなりました。そして年齢を重ねるごとに自分がされそうになった事がわかってくるようになりました。いえ、相手がどこまでしようとしてたかはわからないままなのですが。その従兄弟とはその後何度か顔をあわせる機会はあったものの全く話すことはありませんでした。私が結構鮮明に覚えてることも相手からしたら取るに足らないことなのできっと忘れてるでしょう。その後の学校生活でも男子からのいじめにあったりとかしたのですが、やはり小2のあの日に体験してしまった事が生身の男性が苦手になった原因なのではないかと思ってしまうのです。男子からのいじめはそれに拍車をかけたかもしれませんが直接的な理由ではないと感じています。

もちろん私よりひどい被害にあった人やこんな事くらいでと思う人もたくさんいるでしょう。私だって書いててこんな事くらいでと思います。そして私は男の人が皆こんな人間だとも思っていません。男性差別だと言う方もいるかもです。いろいろ考えてはいるのです。でも頭と体が拒否してしまいます。また脱線するかもですが見る分には大丈夫だと言いましたが裸が少し苦手です、局部は誰かに見せられたわけではないですが一生無理です。見たら吐くレベルです。父親の介護することになっても無理。見れない見たくない。ここで男女平等ではないですが女性の局部も無理です。女性の裸は少し大丈夫。そうです、局部無理人間なのです。理由はわかりません。気持ち悪いと思ってしまいます。さっきから長々書いてますが本当の理由なんてわからないです。自分でこれがきっと原因と思っても大したことないって思ってますし、私が関係ないような幼稚園の頃のことを書いたのもこういう子どもでこういう事があって苦手になりましたってことで、私の元々の性格から判断してもらう材料になるかなと思って書いただけなのです。大したことじゃないと言いつつも従兄弟のことは一生許さないし一生不幸になれと願い続けています。そんなちっぽけな人間の生身の男性が苦手という話でした。

ここまで読んで下さったかたがいらっしゃいましたら、たいへん読みにくく下手くそな文章を読んでくださりありがとうございました。一応タグにトラウマと付けますが正直微妙です。

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