元親友(高校)

やっと高校まできました。高校に関しては受験とかで家庭内が壮絶なことになったりしたのですがそれはまた別の機会に書くとして、とりあえず志望校に合格して入学しました。

問題はここからで、まあ友達ができない。1ヶ月くらい友達いなかった気がする。学習面も学校生活で疲れ果てて家で勉強を全くしなくなった。元々賢いわけではなく学校の授業で何かを理解できたのは低学年までだった。学年が上がってからは家での予習復習などでなんとかしていた。だから授業はノートをとるだけで精一杯。ノートだって見直すとかしても意味がわからない。なので授業態度が悪いわけではないけれど授業中は何も考えてなかった。高校ではノートをとることすらしなくなった。入学してからのテストが終わって初めての面談で担任が入試の成績とテストの成績を見比べて、何があった?と驚いていた。悪い意味で。

1ヶ月も経つとクラス内もグループとか仲のいい人とかで固まるようになる。特に女子は。そこからあぶれていたのが私だけではなくAさんだった。Aさんと私ははぐれ者同士自然と仲良くなり一緒にお弁当食べたりバスは違うけど一緒に帰ったり行動を共にするようになった。2人目の親友と言えるかもしれないけれどお互いに気をつかっていた。でもAさんのお陰でひとりぼっちではなく学校生活が送れるようになった。だけど私は中学生までで全てのやる気を使い果たしていたので週に一回は病欠したり早退したりしていた。一学期が終わり成績表を父親に見せると父親は激怒したが私が何も言わずに家を出て自転車で市内のあちこちを何時間かぐるぐるして戻ったらその日から何も言わなくなった。完全に父親は私の未来を諦めた。そうして1年が過ぎた。

2年生になってクラス替えがありAさんと私は違うクラスになった。隣ではあったけれど。電話したり一緒に帰ったりはしてたと思う。Aさんは新しいクラスで友達ができたけれど、私は友達ができなかった。頑張ってみたけれど無駄ではじめの頃こそお弁当を食べる時だけ何人かで食べてる人の中に混ぜてもらったりしたけれど、それもどうでも良くなってひとりでお弁当を食べることに何も感じなくなった。修学旅行は悲惨だった。でも別に今書くことではないな。Aさんの新しい友達の中に元親友がいてお互いにそんなに話すわけではないけれど顔見知り程度にはなっていた。2年生の時はしょっちゅう早退してた気がする。でも仮病ではなく本当に体調が悪かった。担任に朝、今日は大丈夫か?とか声をかけられて、大丈夫ですと答えた2時間後に腹痛を起こして早退を願い出るということも珍しくなかった。担任にとってはかなりの問題児だったらしい。

3年は理系と文系でクラスがわかれた。私はどれも成績は悪かったけれど理系よりはマシという理由で文系を選んだ。ちなみにAさんは理系を選び3年間同じ担任という珍しいパターンになっていた。私は2年の時のAさんの友人たちと同じクラスになり顔見知りだったこともあって仲良くなれた。3年にしてやっとグループに落ち着いた。元親友とも仲良くなったけれど元親友にはとても仲の良いなかなか目立つタイプの友達がいたのでその子がいつも元親友のそばにいた気がする。私も元親友ともっと仲良くなりたいなあと思ってはいたけれど別に無理に割って入ることもないので他の子と過ごしていた。

ちなみにうちの高校は公立だけれど私服の学校だったので好きな格好をしたいという理由だけで選んだ人も少なくはなかった。育ちのいい子も多く当時流行っていたブランドとかを着てる子も多かった。そんな中では相変わらず私は服装迷子でどうにかおかしいとだけは思われない格好をしようと毎日それなりに頑張ってはいた。

あと進学率は99パーセントでほとんどが大学に進学する。進学しないのは途中で学校に来れなくなって卒業の単位が足りなくなった子とか留学の子、家庭の事情で浪人ができず公務員になる子とかだった。今はどうなのかわからない。あくまでも私が通ってた当時の話。

志望大学の関係でセンター試験の選択科目で倫理を選べたのが私と元親友だけだったので倫理選択を決めてから急激に仲良くなった気がする。2人で倫理の先生に相談に行くと地理の先生を紹介され、その先生が作った何枚くらいか忘れたけれどこれを全部暗記するだけで誰でも100点がとれちゃうすごい冊子みたいな手作りのコピー用紙をまとめた物をもらって2人で暗記して問題を出し合うみたいな時間を過ごした。私にはめっちゃ倫理の暗記が合ってたらしく模試でも100点はとれなかったけれど90点以下になることはなくなった。センター試験はマークシートなので楽だった。今の学生は大変ね。

元親友はシングルマザーの家庭だったので金銭的な問題で私立は絶対にダメで市内の大学に進学しなければいけなかった。その中でも元親友が選んだ学部は推薦で受かるのがほとんどで推薦で受かることができないと定員20人に入らないと受かれないという厳しい学部だった。元親友は私と違って成績は悪くなかったので推薦まではいったものの運悪く落ちてしまいセンター試験に望みをかけるしかなくなってしまった。特殊な学部だったのでセンター試験で受けた中から点数の良い3教科を選び合計点で競うのだ。

一方私は高二の三学期の時に父方の祖母が脳梗塞で倒れ、祖母と二人暮しだった高齢の祖父と半身不随になった祖母をうちの母が介護することになり、疲れた母が市内の大学から選んで欲しいと私に言ってきたので、市内の大学を受験することに決めた。

そしてセンター試験。高校受験に比べるとそこまで緊張してなかった。なぜなら勉強したところがでたらラッキー程度にしか勉強してないから。ほぼ落ちることが確定している私は数学は0点はさすがになと思い確率しか勉強してない状態、確率だけに全部賭けていた。他のことは全くわからん。理科は生物で7割とれたらラッキーくらいにしか考えてない。英語は知ってる単語が出たら嬉しいな、100点こえたら上出来。国語は感覚次第と思ってしまっている。倫理は勉強したから頑張るって感じ。元親友はもちろん全力なのでかなり緊張してたのかもしれない。

センター試験は待ち時間がとにかく長いので(科目の科目の間が1時間ある)その間に友達と談笑しながら最後の悪あがきをする。一番記憶にあるのは古文の単語、みんなで話したところがバッチリ出たのでラッキーって思った。終了後友達とあの単語が出たねとか話してると元親友だけそんな話したっけ?ってなってた。やっぱり緊張してたんだと思う。私と違って人生かかってるから。最終日の2日目の最後の科目、倫理は受ける人数がめっちゃ少なくて冬の北海道は外がもう真っ暗だった。友達では元親友だけなので私を迎えにきた車で家まで送ってあげた。

センター試験の次の日は普通に学校なので自己採点の結果を持ってみんなに会う。元親友は普段の模試より点数が低かったらしい。パッと見は元気そうにしてた、でもよく見ると手の甲に無数の傷があって私は元親友の家に猫いなかったよなと思いそれどうしたの?と無神経に聞いて元親友が慌てて隠しながらなんでもないのって言ったのを覚えている。当時は自傷行為の知識が私には全くなかったから。なので元親友はその頃から自傷行為をしてたのだとあとから気付くことになる。

私の受験した大学はセンター試験の成績と小論文で合否が決まる。このnoteを読んで下さったかたにはわかると思いますが私は文章を書くのが本当に苦手なので小論文の出来も最悪だった。一応練習はしたのだが書けば書くほど下手になっていったので、あの受験の時の小論文は本当にひどい。大学側が求めているだろう内容と全く関係のないことを書いてしまった。

そして私は一浪が決定。ちなみにAさんも一浪することに。元親友は公務員になった。

すみません!三部作とか書いてたのですが三で終わりませんでした!意外と高校で書いてしまった。書きすぎた。次から高校卒業後になります。さすがに終わると思います、次で。まとめるのが下手なのです。これ何時間かけて書いてるんだろ。これでも推敲してるんだから怖い!読み返したら「けれど」を多用しすぎてる!どうしたらいいんだ?!

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