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紡ぐこと。 自分の奥にそっとあるものをつかまえにいく

20年と少し、木綿や羊毛を紡いできました。
それはただただ楽しかったからみたいにも思えるし、まだまだわーかった!って思えない奥深さがあるからでもあり。
でもそれだけじゃない何かがある気がして、それは何なんだろうなぁって、私の場合は、ってことではあるけれど、拾い上げて言葉にしてみようと思います。

紡ぐってなんだろう?

紡ぐことと織ることを始めた頃、友人から紡ぐってどういうこと?って尋ねられました。
確か、なにかの名前につけたくて、って言って。
<うーん、細い繊維をいくらかまとめてヨリをかけてくこと、かなぁ。長い繊維を繋いでくのは、うむっていうんだー>

その人は、そういうこと聞きたかったんじゃないのになーって空気を出しつつも、その話はそれで終わったのだけど。

表面的な言葉の意味ではなくて、紡ぐってどういうことなんかなぁ、っていう問いが、その時うっすらと残り、留まりました。

ある時に耳に残ったのは、音楽を紡ぐ、物語を紡ぐ、という表現。

ん?て思って味わってるうちに、あぁ、そうか、紡ぐって、ふわふわとそこにあるのにまだかたちをなしてないものに、意図を持ってかたちを与えること、ではない?
作家さんや音楽をつくる人たちのしてること。あー、確かになんか糸紡ぎと似てるぞ。

木綿でもウールでも、紡ぐ前の繊維はふわふわやわらかくて、そのままでとてもかわいい。

カタチを成してない分、危なっかしいけど、これからどうにでもなっていける。

太い糸にも、細い糸にも。
柔らかい糸にも、しっかり丈夫な糸にも。

だけど、それぞれの繊維にはすでに特徴があって、なりたいカタチ?あるいは方向があるような。
そんなあれこれを味わいつつ、最後にはこうするんだ、って決めて、そこに向けてカタチづくっていく。

ね、なんか人間の話みたいじゃありませんか?


はっきりしないものが浮かんでくる時

ある時、帽子を作ろうと思ったんだけど、なんだか進めない。失敗するのがこわいのか?

え、なにこれ、って思ったんだけど、

かわいいうちの羊の毛、がんばってお世話した大切なウール。台無しにしたくないんだ、って気づきました。
そうだよね、大事だもんね、ってあきらめて、毛を味わっていたら、だんだんそのやわらかさや毛先のくりくりしたウェーブを生かしたいなって思ってきて、そこからあーしたい、こーしたいがたくさん浮かんできて。その帽子は、つくる間ほんっとに楽しかった。

進む道が見えないときもあるけど、そこにあるなんだかよくわからないもの、それがたとえ恐れでも悲しみでも不安でも、よーく味わってみたら、その先に大切があるし、ほんとはこうしたい、が見えてくる、そんな気がしています。それをつかまえることができたなら、自分の道を選んでいくことも、大切な人と大切なことを伝え合うのも、少し安心してできるようになるんじゃないかなぁ。

私はそれが得意だからこんなことを言ってるんでは全然なくて。どちらかというとぱって出てきた心からの声を聞いても、でもなぁって頭で考えちゃう質。だからこそ、糸を紡ぐことにすごく助けられてきたんだと思います。

自分の内側にあるものなんて膨大過ぎて、もちろんつかみきれたりなんかしないんだけど。そんなに簡単じゃないからおもしろいんだけど。

それでも、今、ちょうど浮かんできたもふもふもやもやしたものだけでもちゃんと味わってつかめたなら、そこから自分の意図を固めてから行動すること、それを積み重ねられたなら、なんか楽しいものができるんじゃないか、楽しくなるんじゃないかって思います。

そしてできた糸が、行動が、誰かをまもったりあたためたりできる布になったら素敵だー、って思います(そんな歌がありますね)

糸紡ぎは瞑想

私は織るときには音楽をかけたいけど、紡ぐ時は静かに紡ぐのが好き。

肩がこったりしないように、姿勢を整えて、自分の身体も意識しながら、繊維と自分の身体に意識を向けていると、普段忙しく働いている頭が、少し静かになるのかもしれません。

そういえば、どなたやったかな、瞑想は、自分の魂との会話だって書いてるのを読みました。そういうことなら、まさに糸紡ぎは瞑想だ、って感じます。
もしかしたら、その外と頭の中の静けさの中で、手の中で起こっているふわふわがカタチを成していく、ってことが内側にも起こるんでしょうか?なんだかカタチのなかった想いにカタチが現れてくるような気がするときがよくあります。
糸を紡ぐ時間が、静かに自分の中にある大切なことを、見にいく時間、魂と語り合う時間になればいいな。

つながる安心

それともうひとつ、手の中にある素材が、大地と繋がってた時のことをよく知っているってことも大きいです。でも、長くなりすぎるので、その話はまた別の機会にします。

自分の魂とつながる、大地とつながる、そこからの安心て、強いなぁって思います。
それでも揺れるし、頭だけで考えて迷うから、私はきっとずっと紡ぐんだろうな。

私は糸を紡ぐのが好きだから、糸紡ぎが助けてくれてるんだけど、草を刈るとか、歩くとか、他のことでも同じようなことが起こるんだと思います。木を削るとかお料理とか、ただひととき、深呼吸するとか。

そして、そうしてつながりを取り戻した先に、自分も安心して、そして地球の上の生命みんなのことも、自然に健康と幸せを願えるようになるといいなぁと思ったりしています。でっかい話になっちゃうけど、でも小さい積み重ねで、世界はできているから。

そんな大き過ぎることも、時に考えながら、小さく糸紡ぎを楽しんでいます。そしてそんな仲間が増えるといいなって思っています。


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