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私のこと②…はあなたのこと。耳をすまして道を選ぶ

どうして糸を紡いで、布を織るようになったのかということ、少し書いてみようと思います。

なぜそんなことを書くのかというと、①で書いたけれど、その話を聞いてくれた方が勇気でた!って言ってくれたのがひとつの理由。

で、なんで勇気がでたのかなって思った時、やっぱり自分の深いところから来る声に、耳を澄ませて道を選んだら、みんなそうなるようになってるんだろうなって思ったから。

声は小さいしはっきりしないし、聞こえた気がしたって、でもなぁって思っちゃう。
自信なくなる時があっても、こんなことしたって仕方ないって気がしたって、やっぱり自分の信じることしていった先では、どこかできっと、大きな流れや守られてるなってこと感じる。何より、生きてることが楽しくなる気がする。これを書きながら思ったのは、そういう、でもなぁって思考にやられそうなとき、自信なくなってる時、たくさんたくさん励ましてもらって、その声をちゃんと聞くことができたなぁってこと。
誰かの力にもしかしてなれば、の気持ちと、今の私にも、そうなんだよ、行け行け!って自ら応援するためにも書いてみようと思います。

始まり以前

始めに布に関わることをしたのは、年上の友人がお先に大学を卒業するにあたり、一緒にどこか行こうよってことになり、たまたま私が雑誌で見かけた草木染の工房を訪ねたこと。
それは楽しいけれど、それだけだったように思えたのだけど、私の中にも外にも何かが残って、後から繋がってくことになりました。

それから少し経って、雑木林保全の会で出会った方が、棉を栽培し、糸を紡ぎ、羊毛も紡いで織られるとてもかっこいい方でした。
わぁ、いつかお訪ねしたい!って思ったら、どうぞ!っておっしゃって頂けて、ほんとに図々しいことに何泊かさせて頂きました。

山のおうちは、薪ストーブで、薪のお手伝いとかしながら、あれこれ見せて頂きました。
それはそれは美しい仕事で、なんというか、糸や布の中に、あるいはその前の植物の中に、私には見えないものを見てつくっておられるんだな、ということだけはわかるような、なんにもわからないんだけど、ただただすごい!!!っていう体験でした。そして山のおうちは、暗い暗い夜も、なにもかも、とても居心地がよかった。

その頃には私も大学を卒業して、青少年育成を謳っているNGOで働き始めた頃でした。だから、自分がしたいというよりは、若者たちにこんな世界があるよって知ってもらいたいなって思っていました。

ある時、職場で何か企画していいよ、と言われました。でも、個人でされてる染織の現場にたくさんの人と訪れるのも現実的に難しく、その近くで盛んだった酪農家さんのところにファームステイする企画をしました。

高校生を引率して、何泊かお手伝いさせてもらった酪農家さんは、やはりとてもかっこいい方で、牛のことはもちろん、地域全体の酪農のこととか、やはり牛にまつわる仕事をしたいと思ってる娘さんとの話など、あれこれ話してくれました。
牛はかわいいし、ミルクはおいしいし、糞のそうじは大変だけど、なんていうんだろう、都会の暮らしになんとなく疲れてた私には、なんて地に足の着いた暮らしなんだろうって、たぶんその時、そんな言葉で考えたんじゃないんだけど、そのどっしり感が心地よくて、過ごした時間が楽しくて、私は街から若者を連れてくる人じゃなくて、いつでもおいで!って言える人になりたい!って強く思ってしまいました。(この時、一緒に行った高校生に、私がいちばん楽しかったんじゃなかろうかー、って漏らしたら、企画した人が楽しんでない集まりなんか、楽しくないよ、どんどん楽しめばいーやん!って言われました。今も私に残る言葉。楽しいは、大事だ!)

そんな風に思いながらは、仕事を続けられず、しばらくしてその仕事を辞めてしまいました。なんのあてもなかったので、南の島でも行ってみようかと思ったけど、父親がまぁちらっと帰ってくれば、荷物もあるし、って言ってくれ、一旦実家に帰ることにしました。

始まり

私の実家のまあまあ近くに就職していた、初めの草木染の工房に行った友人が、今度は私が誘う番だよ!って言って、彼女が仲良くしてはった染め物屋さんにたくさん連れてってくれました。
ある時参加した会で染めた藍とカリヤスを重ねたショールを巻いて実家に帰宅したら、母の友人が遊びに来ていて、あ、それ素敵ね、どうしたの?って尋ねてくれたので、染め物のWSで、って話したら、うちに織り機があるのよ、要らない?って!

えー、えー、欲しすぎる!でも使えません。って返事したら。

その後、立派な高台の組み紐をしてる方にお会いし、でも私は組み紐じゃなくて織物がしたいんです、って話ししたら、その方のお友達のお嫁さんが織物をしてはって、なんとその方に教えて頂けることになりました。教えてあげるから、その織り機はもらっといたら!って。

こうして、織物を習い初めました。
その方はとある産地で修行された方で、木綿の絣などを織られていましたが、その方から種を頂き、実家の裏の耕作放棄地を借りて棉の栽培も始めました。
その畑は幹線道路に近く、車の音、嫌だなぁって思っていた頃、染めのWSで出会った方に、実家の近くに無料で畑借りれるとこあるよ、って聞いて、よく調べたら、それは自然農を実践で教えてもらえる自然農塾でした。

そこで、自然農のことだけでなく、世界の見方とか、どう生きるかってこと、たくさん学ばせて頂きました。

その頃、友人が住んでいた奄美に度々出かけて居候させてもらっていたのだけど、その友人に紹介してもらった工房で、とても素敵な糸をもらいました。
それは、木綿と大麻の混紡の単糸で、細くて繊細で、それはそれは美しくて。
嬉しくて、帰ってから先生のところに持っていって織ろうとしたのだけど、めちゃくちゃ切れて、大変な苦労をしました。
先生は、習いに来てる今のうちにたくさん失敗して、たくさんリカバリーできるようになっとくといいよ、ってすごくあっさり言ってくれる方だったので、安心して、たくさんたくさん失敗しました。

そして、その細くて素敵な糸の布が織り上がった時、あぁ、布って糸なんだ、ってすごく思って。それまで紡績の(機械で紡いだ)糸で織るのが当たり前みたいに思ってたから、衝撃で。その頃紡ぐことがすごく楽しくて、だから、やっぱり糸からつくりたい、って思いが強くなりました。

羊の世界へ

その頃、初めて紡ぐ織るという世界を見せてくれた(↑の)方から紹介された羊毛屋さんで、収穫した棉の繊維の向きを整えるカーダーという道具を買いました。
そのご縁で、ちょっと仕事手伝ってくれない?ってお話を頂き、そのお話は数日の仕事で、しかも私の車の免許ではお受けできなかったのだけど、普段のスタッフは募集してませんか?!ってお願いして、働かせてもらえることになりました。
ここで、たくさん羊のこと、教えて頂きました。私はあんまりよい働き手ではなかったと思います。全然恩返しできてないのに、ここのオーナーには、今も優しくしてもらっています。

そこでつくってる雑誌があって、私がいた短い間に日本の羊牧場、という特集記事がありました。そのときから気になってた牧場が、今うちにいる羊たちの、産まれた牧場です。

羊のことは、また今度ゆっくりとかきたいのだけど、でも、いつでもおいで!って言える人になりたくて仕事を辞めたことなんかすっかり忘れてたのに、あの牛飼いのおじさんにつながっていったこと、なんだかとても面白いなって思います。

融合

私はこどもの頃から、みんな平和に暮らせたらいいのに、ってずっと思ってて、でもどうしたらいいのか全然わからないまま大人になって、なにもできないまま、でもその思いはずっとあったのだけど。

少し前に、ネイティブアメリカン起源の、自分の中に平和を育む叡智を学ぶという集いに参加しました。まずは自分の内側の平和を育む。そこから全ての平和が始まる。そういう生き方のプラクティス。これはとてもとても大切な時間でした。

ルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィー(人間てどんな生きものなのかという学問)を学ぶ機会も得ました。
それはどちらも、人が人らしく、人だけではなくて全ての生命を大切にして生きていける道だ、って感じています。
そのことと、大地から素材をもらって、布を織ることとを重ねてゆきたい、それが今いちばんわくわくしているテーマです。

つながる、ひろがる

こうして並べてみると、ほんとにほんとに不思議なご縁が繋がって、そこにはいつも誰かがいて、そうして、今私はこんなに幸せに、羊と共に暮らし、糸を紡ぎ布を織っている。なんてありがたいこと、って思います。

ここには書いてない方も思い返せばたくさんで、かっこよく生きてる先輩たちがたくさん見せてくれたこと、たくさん話してくれたこと、私の中で大切にしていきたいです。

全部、しっかり理解できた訳でもないし、そのまま同じことをしたいわけでもない。けど、その熱い思いや生き方に触れて感じたこと、発してくれた言葉を染み込ませて、(染み込んだものをはっきり認識できてないとしても)その私で、内側深くから聞こえてくる声に、耳を澄まして、道を選んで行きたいと思います。そしてそれは、私は私の人生で何かを完結させなくても、こうやって続いてく、という安心にもなっていたりします。

カンタンではなくて、悩むし失敗するんだけど、でも今めっちゃ楽しい。そして楽しいは強い。

みんながそうして、ほんとにその声に耳を澄ませて道を選べたら、きっと世界は楽しいし、優しくて幸せなんじゃないだろうか。そんな生き方を、励まし合ってしていきたいな、って思っています。


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