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補足:愛憎相半ば(『君たちはどう生きるか』ネタバレ感想6.5)
大叔父のことについて、考えたことがあったのでもう少し。
大叔父の思惑について自分は、その「閉じた世界」の犠牲的な側面について触れてきました。これに関して基本的なところで変更はないのですが、
ツイッターでとある方(ご了承頂いてないので、とりあえず匿名)で、本作の好きなシーンとして、ヒミが落ちていく石たちを見て「大叔父様、ありがとう」というシーンを挙げていらしたのを見ました。
うん、ありました。
遊びについて(『君たちはどう生きるか』ネタバレ感想6)
友達について書いたならば、遊びについて書かなければなりません。
積み木・積み石?
まず全体の枠組みとして、大叔父がこの閉じた世界をコントロールするものとして使っているのは積み石です。それはこの塔に掛けられた魔法であると同時に、なんと玩具染みているのでしょう。にも関わらず、大叔父は真面目そのもので、石を僅かにずらし「これで一日は持つ」と言っています。
大叔父はマヒトにこの積み石を継がせたい訳です
友情について(『君たちはどう生きるか』ネタバレ感想5)
我に返って思うのですが、前々回あたりから、読解が思い入れの強い感じになってますね。読みを補填する根拠も、想像でつなぐものが多い感じになってきております。
児童文学者・宮崎駿
その中でも今回は特に、主観性の強い読みになっております。自分の中の強い仮説は、宮崎駿監督が「児童文学」をアニメにおいて遂行しようとする希有な児童文学者であり、私小説的な作家ではない、ということにあります。つまり、作品はすべ
石と血脈、あるいは流れ星と心(『君たちはどう生きるか』ネタバレ感想4)
謎の呈示
この作品で石にまつわる領域は、最も抽象性が高く、かつ扱いの難しいものになっていると思います。なぜ石は敵意を持っているのか。墓の門にはなぜ「ワレヲ学ブモノハ死ス」(付記:「コレヲ」ではなく「ワレヲ」だと教えて下さいました。謹んで訂正します。キタローさんありがとうございます。)と書かれているのか。なぜナツコはあの塔の「産屋」にいかなければならなかったのか。「産屋」に入ることはなぜ禁忌なのか
閉じ開き(『君たちはどう生きるか』ネタバレ感想 3)
機会を得て二回目を観ることができました。
「境域」「結界」は、児童文学ではよく出てくるものだと思います。例えば家、例えば庭は、それ自体が一つの結界をなしていて、その圏域のなかで何かが育まれるということ。守りであり、魔法のかかる領域であると言えます。
作品の中で煙草ー「火」と関係づけられるキリコさんは、とりわけ結界や境界に関係づけられているように思います。扉を閉じ、石の悪意に晒されそうになる主
石と鉄(『君たちはどう生きるか』ネタバレ感想2)
宮崎駿監督作品『君たちはどう生きるか』についてまだ考えています。前回空のものと海のもの、火のものと水のもの、という二項対立と、その三項関係がいかに物語を駆動しているか、ということについて書きましたが、その中で第三項としての「石」について扱うことが難しく思えておりました。
糸口と思えたのは、「悪意に染まっていない石」という大叔父の発言でした。
悪意に染まってない石がお守りとして主人公に残される
インデックスとしての(追補:「君たちはどう生きるか」と神話論理)
ここからはまったくの余談。いや、作品からみたら最初から全部余談なのですが。
「君たちはどう生きるか」を基準のお話として立てることで、今までの宮崎駿の作品は、それぞれがお互いにヴァリエーションであるような一連のお話のまとまりとして味わうことができるのかもしれません。
例えば『もののけ姫』においての「タタラ場」と「石火矢」とはなんだったのか、
原初の水ー森としてのシシ神の「生きるー死ぬ」という
神話論理(『君たちはどう生きるか』ネタバレ感想1)
家族で宮崎駿監督「君たちはどう生きるか」を観ました。「心理的な盛り上がり」「カタルシス」が奇妙に欠けているように見え、それがエンターテインメントとしての失敗に見えてしまう危険を持っている一方、その操作が意図的な、巧妙な回避なのではないかと感じてもいます。
宮崎駿がコンテを描きながら呻吟している場面は、他作品のドキュメンタリーで繰り返しうつされるところではありますが、彼が苦しみながら、「脳の蓋