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子育てと園芸

私の趣味は園芸です。
外向きには「ガーデニングです」と言っていますが、私のこだわりで趣味は「園芸」です。

ガーデニングと言うと、おしゃれな庭で雑貨があって、見た目が大事な気がしてしまう。
私は見た目よりも草花が育つ様を見るのが楽しく、元気モリモリに育つと嬉しくて仕方ないところに留まっている。
まだ見た目までには到達していないので、いつか庭の見た目に気を遣えるようになったら堂々とガーデナーを名乗ります。

草花を育てる何がそんなに楽しいのか。
種をまくことからそれははじまる。
種をまいて発芽を楽しみにし、発芽を見て感激し、葉っぱが増えていく様子を見守り、蕾が出来ると大喜び。
1番花が咲くと撮影ボタン連打で、エロカメラマン顔負けの褒めまくりである。
それなのに、満開になるとなんだか寂しいような気がするのかテンションが少し下がる。
どこか、手放すような気持ちで距離が生まれる。
そこからしばらくして種ができると、また種取りに熱を入れはじめて、種が取れるとニマニマしてしまう。

多年草、宿根草は春になり芽吹いてきた時の喜びは計り知れない。
ざっくりと地上部を切るものもあって、霜で凍っていないか、元気なのかドキドキしながらただ春を待つ。
そこに出てきた芽に嬉しさが溢れ出す。
年越しした宿根草が前年よりも大きくなる姿を見るのも楽しみの一つ。

それらの草花たちが混ざりながら育ち、自然に調和していく様子も好きだ。
特に計算していないのに、どれもこれもステキになる。
また、その新しい組み合わせに、私の好きが広がっていく。

もう一つ私が好きなのが、見切り品の苗を元気にすることだ。
見極めながら「これはいけそう!」というものを家に連れ帰り、枯れた部分を切り取って鉢に植える。
そして、待つ。
ジワジワと元気になるのを待つ。

花の時期が終わったため見切られた多年草や宿根草もあるので、3シーズン後にやっと花が見れるものもあるし、
シーズンはこれからなのに何故!?という状態のもある。

これは本日のお買い得品↑
アジサイで今年新発売の品種のもの。
約3000円が500円に!!
アジサイの季節はこれからだ!しかもアジサイは来年もその先も生きていく植物。
この苗は元気な新芽も蕾もあって、元々このアジサイが欲しかった私からするとお宝以外の何者でもない。
ホームセンターに行ったら見切り品コーナーから見始めるのが私のセオリーなのだ。

それくらい大好きな「園芸」と草花たち。
彼らと関わっていくと、どうしても「育児」も同じじゃないか?と思えてならない。

成長をただ信じて待つ。
これも、育児においても植物にとってもとても大切なこと。

植物の多くは、切り戻しや剪定をすることでより元気に成長する。
これをしないために育ちが悪かったり、株の寿命を縮めることもある。
そして、やるならちゃんとやった方が植物のためになる。
かわいそうと思われることが、植物のためには良かったりもする。
育児だって同じようなことがあって、「無責任な可哀想」が親も子も苦しめることだってある。

庭の草花と関わっていると、とても考えさせられることが多い。

最近は土と肥料と水やりについて少しこだわりだした私。
肥料と水やりは奥が深い。
過不足なく、と言うのは難しい。

母の子育ては水やり、父の子育ては肥料と例えているものもあり、
水やりは手間隙や触れ合いなどの愛情をかけること
肥料は物質的な愛情をかけること
母は、過保護過干渉になりがちで
父は、おやつやおもちゃなどを買い与える甘やかしをしがち
なのだそう。

水も肥料も与えないと枯れ、与え過ぎても枯れる。

水の与え過ぎは水切れに弱い株に育ち、
肥料の与え過ぎは病気に弱く虫が寄ってきやすい株に育つ。

子育てに関しても、同じような事が起こるなあと思う。

話題が少々戻るのだけど、
私の「花が満開になるまでは楽しいのに、満開になると楽しくないのは何でだろう?」
の問いに、我が家のパパはこう答えた。

「子どもと同じで、成長するのを見るのが楽しいんじゃない?大人になったら面白くないじゃん」

・・・そうかも。

子育てって、育てている間が楽しいんだ。
何で私は草花を育てるのは大好きなのに、こんなに子育てが楽しくないのか。
「育つ過程」を楽しめる人間なのに。

草花たちは確かに大切な存在だけど、何が何でも絶対に見事な花を咲かせなければならならない!!
と植える必死さは、ない。
もしダメでも仕方ないかな、失敗して次に上手くいけばいいなとすら思っている。
だから、信じて待てる。
開花が翌年になっても、きっと素敵な花を咲かせるんだろうなと思って静かに待てる。

それなのに子どもの事はどうして待てないんだろう。
待ってあげられたら、もう少し放っておいてあげられたら良いだろうに。

子どもは「失敗」ができない、と思ってしまう。
よくよく考えれば、口うるさいのもキーキー怒るのも放っておけないのも、失敗につながるような気がするのだけど、
言うこと聞かないのが子どもとわかっていながらも、これがずっと続くような、今何とかしないと取り返しがつかないような
そんな気がしてしまう。

ダメな事をダメだよって教えないと!
子どもがダメな事をするのは、私が教えてないからかもしれない。
なんて、冷静に考えたらあり得ない事を本気で思ってしまう。

植物の結果は、割と早いうちに出る。
でも、子どもの結果はだいぶ後になって出る。
この、結果がすぐに見えないことも放っておけない理由なのだ(私の場合)

↑のクローバーはチリチリに枯れていたので、10円で投げ売られていた。
でも、これはきっと元気になるぞと思って購入し、時々水をあげて放っておいたら元気モリモリになった。

子どもはそんなに弱いものなのだろうか?
クローバーと何が違うのだろうか?

子どもだって、きっとこのままでもステキな子に育つぞって思って、放っておいても大丈夫かもしれない。
クローバーがしんなりしたり、晴れが続いて土が乾いた時だけ水をやったように
子どもからのアクションがあったり、環境の変化があった時に助けられたら、良いのかもしれない。

植物も、肥料を与え過ぎると弱くなる。
我が家の子どもたちもこれまで放っておかれなかった分、放っておかれることに弱くて当然だ。
だから、お互いにお互いを放っておけるように、少しずつ強くなりたい。

私は子どもを放っておく勇気を。
子どもたちは私の事を放っておける安心を。

それぞれが持てるように毎日を生きていきたい。
そのためにはまずは私から、子どもを信じて少しずつ放っておこう。
お庭の植物たちで練習しながら一歩ずつ進んでいきたいものです。

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