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本州縦断フットレースR7ステージ青森-新潟433kmその5(象潟-酒田)

象潟のホテルで、温泉に入って、洗濯して、足裏のマメの治療をして、16日の朝9時半くらいにリスタートしました。この日は雨予報でしたので、Itoitexの5本指ソックスに履き替えることにしました。この選択が失敗でした。足がむくんで、そもそも足の爪先にマメができていたところ、無理に5本指ソックスに押し込んだために、左足の薬指の皮が爪ごとまるっと剝けていまいました。痛いのなんのって。足裏のマメは切開して、キズパワーパッドをあてたので、痛みは退きましたが、それ以上の痛みに襲われました。歩くしかない。結局、この日は、酒田までしか進みませんでした。

「にかほ市」のあたりから酒田まで
宿泊したたつみ寛洋ホテル

ホテルをでてすぐにまた豪雨に襲われます。たまらずに、道ばたの廃屋で雨宿り。予報を見ると、さらに雨がひどくなりそうだったので、先に進むこととしました。5kmくらい先のローソンで早めの食事を買って、小学生用のバス待合所で食事。ここの待合所は広かったです。

雨粒が見えるほどの雨
さらに激しくなるみこみ
バスの時間が限られているのがわかります。

この道中、いろんなところに「菅江真澄が歩いた道」という標示がありました。山形県境まで最後の集落にも、菅江真澄が宿泊した「磯家」跡という看板がありました。調べてみると、天明年間(1780-)に東北を旅して、紀行文を残した人だということです。芭蕉さんの「奥の細道」は、元禄年間(1688-)なので、それよりも100年くらい後ということになります。

磯家跡、1784年に菅江真澄が泊まったということ
奥の細道 三崎峠
三崎峠の説明板

わたしの生まれた伊賀上野は忍者で有名ですが、松尾芭蕉の生地でもあります。伊賀上野では、小学生のころに「芭蕉さん」という歌を歌わされます。♪野の草や谷間の花に杖止めて(うろ覚え)と歌い出すのですが、芭蕉さんは「杖を持っている老人」というイメージでした。とんでもないです。たぶん、芭蕉さんの杖は、ウォーキングポールだったのではないかと思います。象潟から新潟までの海岸線は、奥の細道で芭蕉さんが通った道なのですが、昔は、トンネルも橋もなかったんだと思うと、大変な困難だったのではないでしょうか(いずれ「奥の細道」をたどる走り旅もいいかも)。

ようやくチェックポイント、秋田-山形県境

秋田-山形県境(255.7km)を通過したのは、16日13:26です。この日は、酒田の快活クラブまで進むこととしました。少し進むと、例の19.8kWの小型風車が5台並んでいるところがありました。設置者の看板を見ると、それぞれ設置者を変えています。20kW未満の小型風車価格で高く売電するための姑息な工夫ですね。まあ、酒田市の業者なので、地元資本ではありますけど。

小型風車が5本並んでます
明らかに家族総出で名義を変えてます

足の痛みは退きません。道の駅鳥海で、遅めの食事をいただいて、また、外のベンチで仮眠します。雨はやんでました。

生姜焼き定食
好物のミニトマト

酒田市街に入り、コースを少し外れたところにあるネカフェ快活クラブをめざします。10時前にようやく着いたら、なんと、酒田の快活クラブにはシャワーもコインランドリーもありませんでした。これでは、キズの手当ができません。そこそこに出て、市内のコース沿いのホテルに泊まることとしました。まあ、出たおかげで、ウエルシア薬局にも行けたので、この判断で良かったのだと思います。

高速道路を建設中でした。
酒田は北前船で繁栄した町です。
ここもチェックポイント 酒田市役所前

酒田市役所前のチェックポイント(281.5km)は17日0:27に通過しました。ホテルリッチ&ガーデン酒田に1時チェックインしました。結局、この日は50km弱しか進みませんでした。(つづきます)


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