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「印象派は、つまらない」と思っていた

印象派は、つまらない。

そう思っていた。米国で美術史という学問に出会った頃、こんなに面白い学問があったなんて!と感激したことを覚えている。その学問を突き詰めてしまい(まだ途中かもしれない)、いろいろ余計な経験をしてしまい、いつしか自分の感想を言わなくなった。

いや、作品を目の前にして主観的な意見を述べないのがプロたる者と考えていた。もちろん、それは、私が学んできた英国式の美術史の考え方なのかもしれない。

だから、「アートの聖地巡礼」で出会った作品としてnoteで記事を書く時だけ、自分に「もう一度みたい作品」と言わせることをを許している。

まあ、そんなこと、どうでもいいか。

前述の米国で出会った最初の美術史の教授(米国人)は、中世美術が専門だった。その教授の西洋美術史の通史の講義を受けていた時、彼女が印象派の画家達のスライドを見せながら言ったことが、「印象派は、つまらないと思っていた頃もあったけど、最近は、いいなと思う」だった。

私も今同じことを思っている。

散々、美術史を学び、どの時代にも存在した権威とか規範を知る。当時は「理想の美」とされていたものが「時代遅れ」になるのか「遺産」になるのか、後になってみないとわからない曖昧な世界。それでも戦う者。評価される者。評価されない者。

ほんわかしたスモーキなグレーやラベンダー色のモネの絵から、モネがアヴァンギャルドな画家であったこと、一方で「サロン」や「アカデミー」という権威の象徴に反発しつつもサロンに自分の作品を出展していた若き時代があったことは、伝わってこない。何かと葛藤しながらも、新しい表現方法を模索していたモネ。

モネの作品をつまらないと思っていたのは、「アートをみる者」として自分が未熟だったからなのか。あるいは、他に理由があるのかもしれない。

画家の人生を知ることも「知識」であるのであれば、「美術鑑賞に知識があってもいい」くらいにしてくれると有り難いなと、最近、流行の「アート思考」に思う。



*見出し画像は、クロード・モネ 《ウォータールー橋、光の効果》(1903)。詳細は、以下の記事をご参考までに。