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「saladbowlでカラダぼっ!」2021/12/11

今日は、同級生のグループ展を観に行った。
いやー、本当に良かった。色んな展示を観てきたけど、今感じてる、余韻とはまた違う心臓に色んな木を焼べられた感覚みたいなものは早々味わえないと思う。
同級生・同い年・同期・同郷・同僚 とか、自分で計らずにその環境に飛び込んだタイミングで、横で一緒に飛び込んだ人間って、特別感ある。投げるものも受け取るものも全然違ってくる。
そんな特別感も相まって、よりこの展示が楽しみだった。とても良かった。

楽しみだったといえば、広報がとても素晴らしかった。主にsnsで情報を受け取っていて、流れてくる投稿が少し楽しみになっていた。自分の中で、ただの宣伝の域を超えて、刺激や高揚感を受け取るツールみたいなものに昇華していたのかも。

ここからはただの妄想に過ぎないんだけど、展示までの道のりもとても大変なものだと思う。展示は自分の制作だけでは成り立たないし、作品制作で使う頭とは全然違う頭を用意して動かないといけない。しかも、2、30人くらいで行うグループ展なんて、考えただけでもカオスだ。誰か外からファシリテートしてくれる人がいればまだしも、自分たちで作り上げてくのなんて、もうめちゃくちゃ大変だろう。
会場は、そんなたくさんの作家の色んな空気が混じり合いながら、個性的な間合いを空けて調和していた様な気がして、グループ展の輪郭の部分も本当に凄かった。

広報もグループ展の枠もめちゃくちゃよかったけど、展示自体も、もうものすごく良かった。
各作家の感想はその人と話したいので、ここには、全体の空気の感想を書く。
展示の中には、作家として作品を完全にコントロールし切ってる(堺俊輔視点では!)完成された様に見える作品もあった。
それはもちろん凄いけど、この展示で1番印象に残ったのは、作品が作家の手に馴染み過ぎず、少し独り歩きしてるところだった。
普段観ている様な、作家を生業とした人間の展示は、既に完成した道を観ている感覚があるけど、この展示では、道を開いていく様を観れたって感じがした。作家と作品が対等に向き合いながら互いを理解していく様みたいなものが、リアルタイムに観られた気がした。それがものすごく心に刺さった。ありがとうございました。

何人かの知り合いから撮影を頼まれたのもあって、鑑賞者の視点以外の視点からも作品を観る事ができて、その面でもとても充実していた。こんな素敵な機会を恵んでくれたのは、とても嬉しいし光栄だ。ありがとうございます。

トータルで、本当にすごく良かった。
今は、自分も頑張らないと!と思ったり。でも眠かったり。

最近ハマっている「仙水忍ごっこ」が楽しい。
仙水忍のように、自分の中に別の人格を作り出して、脳内でその人格を振る舞う遊び。
側から見ると気の狂った遊びかもしれない...。でも脳内だけで遊んでいるのでそこはセーフと思いたい。
この遊びは、仙水忍からなるべく忠実に踏襲しており、人格一つ一つに名前があったりする。仙水カズヤみたいな怒りを表に出す人格がいたり、ミノルみたいに裂蹴拳を使う人格がいたりする。

日記が、日を追うごとに徐々にキモくなってる気がしないでもないな。

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