炎上の残像|正義と悪・理想と現実の境界線はいつも曖昧
noteに適当に書き殴っただけの記事が軽くバズってしまい(1日で1万PV越え)、困惑している。
「ただの文字情報でこうまで人の感情は動くのか…」と、様々な発見になった。
あれだけ「君たちの思ってる本音ってこうなんでしょ?」という要素をぶち込んだ記事だ。
賛同や共感の声もあれば、批判も反論もあったし、冷静な意見や見解も返ってきた。
その反響に対し、絶望と失望が重なることもあったが、それ以上に希望につながることの方が多かったのは救いだ。
それについては、追々、今後の活動方針で拾い上げたいと思っている。
形はどうあれ、あの記事に反応してくれた方には、感謝している。
さて、あの記事に対して反応をいただいた方から「ぜひ見て欲しい!」と紹介されたVTuber動画を紹介しておきたい。
そう やってることはみんな同じだ
それに気づかないなら私たちは終わりだ
加害者にもなり得るし 被害者にもなり得る
そういう不安と私は戦ってる
情報や作品の受け取り方は、各々の感性や判断に委ねられる。
あの記事が「多くの人に読まれてしまった」以上は、私もすでに加害者であるし、被害者にもなり得るかもしれない。
誰に恨まれてるか知れたもんじゃないし、大なり小なり反感や敵意を向けられる結果になったには違いない。
だが、責任や覚悟とは、本来そういう類のものだ。
自分では善意だと思っていた行為が悪意と受け取られることもあれば、愛ゆえに他人を傷つけてしまうこともある。
結局、傷ついて傷つけ合いながらでしか、人は成長できない。
傷つくことも、傷つけてしまうこともない世界は、たしかに平和で居心地がいい。
だが、そんな平和な世界でも、我々は「敵」を欲している。
「あいつは悪だ!」と論じ、誰かを攻撃せずにはいられない。
「誰が悪で、誰が正義か?」と論じて、自分たちの正義を確認しなければ、VTuberという居場所を守れない輩が一定数いるのだ。
踊らされてることに気づきもしない
踊らせてる側も何も考えちゃいない
正解を見つけるのは簡単じゃない
そもそもそんなもの無いのかもしれない
何が正しいか間違いかが知りたいだけなのであれば、小学校のテストで100点取って勝ち誇っておけばいい。
正義と悪、現実と理想の境界線が曖昧なバーチャルリアリティーの中では、誰もが不安になる。
そこに自分だけが決めた「正解」を提示するのが、VTuberの存在意義のはず。
もう、誰かの顔色を伺って、批判を恐れて、周りに合わせて、自分を押し殺すだけの日々は散々だ。
VTuberのセカイは自由だ。
各々、自信を持って、信じた道を進めばいい。
それだけのカンタンな話なのだ。
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