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脳性まひ児、歩くをめざす④1回目の手術

こんにちは!宇宙人双子のどんまい母さん
すしたまです。

前回歩くを目指すために
•きっかけ
•何回手術したか
を書きました。

今回は
1回目の歩けるようになるための
整形外科手術について書きます。



ご興味のある方はぜひご覧ください!
泣いて喜びます!😭💕

入院期間

約1ヶ月

短い方だと思います。
医師からは3ヶ月という提案もありました。

3ヶ月入院のメリットとしては
入院しながらリハビリを定期的に院内で
できるので通院の負担もないし
医師もこまめに足の状態もチェックできるためです。

ただ、こちらの病院は完全付き添いが必須。
兄弟もいることに加えて、犬も飼っていたため
私たち家族でこの期間どちらかが
ずっと付き添うことはどうしても難しかったです。
というわけで私たちは通院を選び、仕事を調整して
週2程度リハビリに通いました。

手術をするために考えたこと

①仕事の調整
②付き添い

ざっくり2つでした。
当時仕事は父は会社員、私はパート保育士。

どちらも休みをとるのは
当たり前ですがなかなか難しく
私は休みをもらうことが、仕方ないけど
上司にどう伝えようかなど
神経すりへらしてました。笑
職場の保育園行事が重ならないか願うばかりでした。
はい、ビビりなんです。私がいなくてもパートなので
仕事はまわることは重々承知しています。

そして理解あるお父ちゃんがかなり仕事の調整をしてくれました。
感謝感謝です。

家族のやりくり

・父が手術前付き添い
(母が付き添い時はテレワークに切り替えて
保育園送迎もシフト)
・母は手術後付き添い
となりました。
他兄弟は保育園へ。
2人とも同じ保育園だから助かりました。涙
万が一体調を崩したとしても父がすぐにお迎えにいけることも
安心材料でした。

ぐるんぐるん回るような日々。
毎日共に過ごしていた家族が1人かけるだけで
不思議な感覚。
心配もあり、心ここにあらずな時期でもありました。

でもこんな風に産んでごめん!なんて
懸命に頑張ってる兄の姿をみたら
絶対思っちゃいけないぞー!
と心に誓ったのでした。

術後どのように過ごしたか

術後1ヶ月くらいはギプスを外してはならず
車いす使用も認められなかったので
基本的にベッドで過ごす生活。
術後3週目くらいから
病院前の公園に散歩許可が
おりました。

この頃はiPadなども持っておらず
電車好きのための絵本やら雑誌やらを
たくさん持ち込みました。
どうしても飽きてしまう時は父の携帯から中央線動画を
よくみていました。

トイレも介助がないと難しく
術後数日経過して
安静にしているためのおむつが外れたあとは
目の前にトイレがあったので申し出があったら
抱えてトイレに連れて行ってました。

体力勝負でしたが
比較的兄は体重が軽かったので
小脇に抱えるような形でいけましたね。
もう慣れっこでした。

そして同じように
整形外科手術をして過ごしている子どもたちが
いるんです。
4人部屋でその時は2人いたかな。
みんな時間を持て余していたりするので
一緒にカードゲームしたり
話をしたり
カーテンを開けてご飯を一緒に食べたりして
過ごしていました。

大きな病院だと
同じように入院している子と出会うこともありますね。
2回目の入院でも
たくさんの仲間に出会ったようです。

術後、
足の状態はどうなったのか

1回目の手術では左右の太もも近くの筋肉をゆるめました。

こつこつとリハビリを重ね
少しずつ歩行できることが増えていきます。
10歩進む程度。これでもすごいことです。
歩くことがどれだけ当たり前ではないか
日々日々感じています。

それが
年長児になり(術後約1年半くらい)
50mほど歩けるようになりました。
何度も転倒を重ねながら。
短下肢装具を履くようにもなります。
手術でゆるめた筋肉をこれ以上硬くならないようにするためのものです。
(我が家の使い方の場合です)
これがなかなかつけるのも面倒で←がんばれすしたま
本人も嫌がるし、私も仕事でクタクタの中
よっしゃー!つけるよー!とならず
何度も挫けまくってました。
ごめんなさい。懺悔。

長距離歩行はなかなか難しく
クラッチ(杖)を試してみましたが
身体が小さく不向きだったり
歩行器(PCウォーカー)を使って
少しずつ歩数を増やし、
足の筋肉を鍛えていきます。

保育園のお散歩や遠足は
バギーを使って連れて行ってもらい
活動はもっぱらハイハイでやっていました。
保育園のこともこれから書いていきますね☺︎

ほんとたくましい!!

以上1回目の手術報告でした。

最後までお読みいただき
本当に本当にありがとうございました。
次は2回目の手術について書きます。

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