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私と休職と浜浜と

あの浜村さんが本を書いた。
あの、元「浜口浜村」の浜村さんが。もとい、浜村凡平さんが。

浜口浜村が好きだった。
初めて知ったのは2013年の終わりごろから2015年の解散までだったと思うから、大体約2年くらい追っかけていたと思う。
自分は当時2016年卒の大学生だったので、就活で「学生時代に打ち込んだことはなんですか?」と聞かれた時、テンプレ通りに「サークルで、その中でも部長として部をまとめることです」と言っていたが、本音は「お笑いを見ることで、その中でも浜口浜村を見ることです」だった。

そのくらい、浜口浜村が好きだった。
打ち込んだと言ったものの貧乏学生だったので全部のライブに行っていたわけではないし、結成当時とかもっともっと前から追っかけている人もいるし、もっともっと思いがある人もいると思うけど、でも好きだった。

好きを拗らせた結果出待ちすらできなかった。だから、全然直接お話とかはしたことなかった。リプライとかもしたことなかった。ただ一方的に見て、一方的に好きだった。好きだったら好きとちゃんと伝えたほうがいいぞ、絶対。過去の自分よ。

浜浜の思い出

浜浜を知ったのは無限大ホールで、当時バチエレからのニューヨーカーだった自分がニューヨークを目当てで見に行った、ニューヨーク主催のゲストを呼んでネタとトークをやる「New York Jam Session」というライブだった。と思う。(日付を見返したら自分の誕生日だった。誕生日すらお笑いライブに行っていたのか。。。)

もう7~8年前だったと思うので、その時のネタがなんだったかあんまり覚えていないけれど、とにかく衝撃だった。目が離せなかった。

平場での浜口さんの破天荒さも、それに合わせて狂い出す浜村さんも、なんだこのいい意味で「クラスでずっと悪ふざけしてる二人組」みたいな人たちは・・!と衝撃を受けた(本当に小学生からの幼馴染と知った時は驚きと納得感があった)。
浜村さんがオンエアバトルでオフエアだった時の点数を言い出した時は本当にめちゃくちゃ笑った記憶がある。

そこから何回かライブを見に行って(と思う)、「浜口浜村の悠々自適〜秘湯巡りと漫才ライブ編〜」で完全に「沼」に入った。とにかくやばいライブだった。君はライブ会場の入り口でお湯の入ったコップを渡されたことがあるか?私はある。

あの時の自分は浜口浜村に生かされていたと思う。何になりたいのか何がしたいのか、全くわからないダメ学生だった私にとって浜口浜村という天才を知っているというのは、誇張じゃなく本当に「自慢」だったし、お財布に入れたチケットの半券が自分にとっての「お守り」だった。

骨ライブとか映像ライブとか、思い出せば出すほど、ただの面白いじゃ語り尽くせない、本当にすごいクリエイティブを見せられていたなと思う。
あの感じをぎゅっと凝縮したら、今だったら普通にバズっていたんじゃないか?なんて思わせてくれるくらい、いまだに夢を見させてくれる、とんでもないコンビだった。

自分は本当に、浜口浜村をネバーランドだと思っていた。あの場にいた全員が、子供に戻ったように、純粋に、無邪気に、ただただ浜口浜村に浸っていた。そして、いつかこの人たちが世に出ることを、楽しみでもあり、そして少しだけ悔しい思いで見守っていたと思う。就活が忙しくなって、2015年の半ばくらいから少しお笑いから離れてしまっていたけれど、それでも、浜浜は絶対に、どんどんファンをつかんでこれから売れていくんだろうなあと思っていた。

だからこそ、「解散」の文字が目に入った時は時間が止まったようだった。
どのくらいショックだったかというと、その知らせを見たとたん携帯が壊れた。急に熱を持ってぶっ壊れた。自分の代わりに携帯が壊れてくれたんだと思う。ありがとうあの時の携帯。今じゃiPhone Pro Maxです。ありがとう。

浜口さん


解散を知ったのは、浜口さんのTwitterだったと思う。告知と、ふざけた(すごくいい意味で!!)呟きがほとんだった浜口さんから発せられた、堅い口調での「解散」は信じられなかった。確か堅かったと思う。自信はない。とにかく掴みどころがない、本当に不思議で本当に面白い人だった。浜村さんも言っているけど、本当に面白かった。

私は、浜口さんを面白いと思うと同時に本当に本当に本当に尊敬していた。憧れだった。浜口さんになりたかった。浜口さんの才能が欲しかった。
鬼才奇才天才ブログのカルカベッキア君大跳躍も遡りまくった(seesaa絶対サポート止めんじゃねえぞ)。

浜口さんはただただフワフワしてる頭のおかしい人じゃなくて、えげつないほどインプットしてないこの人・・?と思うくらい、彼の文章にはいろんな小説やら映画やらが出てきた。私は浜口さんになりたかったので、出てきた小説をメモってブックオフで探しては買って読んだ。読んだが、自分には難しいというか独特な内容のものが多く何度も挫折したものもたくさんある。大江健三郎の「ピンチランナー調書」は、何度読んでも第1章までしか読めなかった。自分がバカ大学生だったのもあると思うが、これを読んでいるのか浜口さんは・・・!とますます神格化させていった。あ、ケストナーの「飛ぶ教室」は読めた。面白かった。児童文学っていいですね。

話が逸れたが、とにかくそんな浜口さんからの「解散」の文字を見た時、私はとてつもなく取り乱していた。当時のTwitterが以下で、今思うと青臭いことかいてるし、本当にネバーランドとか言ってるわ・・という恥ずかしい思いになるが、それを差し置いても本当になんで解散??という気持ちでいっぱいだった。

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2015年はM-1復活の年で、全ての漫才師にとってすごく意味のある大切な年だったと思うけど、当時確か芸歴11年目くらいだった浜浜はあと4回もチャレンジできるし、ていうかM-1なんか別に関係ないコンビだと思っていたから、尚更なんで!という気持ちだった(「37年来」を読んだ今は、そんな無責任なことは思えないけど。嘘。ちょっと思う。)。

そんな気持ちが爆発して、人生で初めて好きな芸人さんにDMを送った。
もう5年、6年の前のことなので、しっかりとした記憶はない。それに、浜口さんがTwitter自体を削除してしまったから、浜口さんとともにそのやりとりはデータ上から消えてしまった。携帯も死ぬほど壊してきたのでスクショもない。本当に情けない限りである。Twitterさん、論理削除してたら復活させてくれ。

浜口さんに、というか、浜浜にただただ感謝を伝えたかった。自堕落で何がしたいのかもわからないだめな人間に、もうなんもないし死んでもいいやと思っていた自分に、生きたいと思わせてくれてありがとうございました、大好きでした、と伝えた。

その数時間後に浜口さんから返信が来た。返信が来るなんて思っていなかったけど(本当はちょっと期待してたけど)返ってきていて、通知がきた時は本当に飛び上がるくらい嬉しくて、でも、本当に解散しちゃうんだな、と改めて突きつけられる複雑な気持ちだった。

内容はざっくり、君が誰かちゃんとわからないけど(出待ちも何もしていなかったから、そりゃそうだ)、君がTwitterで書いてくれていたことは見て胸熱で、僕らのネタでそんな風に思ってくれてありがとう、というようなことを返してくれた。そして、好きな歌手の高田渡の歌詞に、「オレのこと聞いてりゃまずまずさ」というよう歌詞があって、「俺らのネタを見てくれていればまずまず」だから、自信を持って生きてください(こんな強い言い方じゃなかったと思うけど)、そんな感じのことを言ってくれた。

涙が出た。ありえないくらい泣いた。本当に、ちょうど1リットルくらい泣いた。多分。

もう浜浜は戻らないし、悲しいけど、それを受け止める浜口さんもきっと悲しいだろう。でも、浜口さんはきっともう新しい気持ちで前を向いていたんだと思う。漫画とかでよくある。濡れた猫にそっと傘を差し出して、そしてさっと歩き出す主人公のように、本当にさっと、姿を消した。

ブログ以外は。

ブログが残っているという事実だけで、本当に救われた。救われている。救われているので消さないでください。
この日本のどこかで、浜口さんが生きているとう事実だけで、本当に尊い気持ちになります。

過去の文章だけじゃなく、現役時代と全く変わらない浜口さん全開の、最高な文章をごく稀に上げてくれている。普通芸人って引退したりしたらキレとか何もかも落ちるんじゃないの?いまだにその才能を隔月で見せつけられるとは。おかげで、私はあなたに永遠に憧れています。

余談だけど、浜口さんの文章に死ぬほど影響を受けた私は、句読点を挟みつつ、関係ないことやちょっと関係をあることを交えた文章を書く癖がついた(もちろん近づけないけど)。ただ社会人生活では全然役に立たず、入社した直後に注意された。「平素よりお世話になっております。・・」から始まるテンプレ文章なんかより、よっぽど素敵な文章なのにとか思いながらも、社会人として生き抜くために、今じゃしっかり仕事の時はテンプレ通りに文章を書いている。社会は簡単で、厳しい。

浜村さん

そして、浜村さん。浜村さんを知っていて、浜村さんのことを嫌いな人なんていないんじゃないか、そう思わせるくらいお笑い愛に溢れ、面白くて、可愛らしくて、尖っていて、なんというか、お笑いハリネズミみたいな、オワライ科マセキ目のハリネズミみたいな、そんな感じだった。

上で浜口さんのことを長々と語ってしまったが、同じくらい浜村さんのこと大好きだった。あんなとんでもない浜口浜村のネタを生み出した、というか浜口浜村を生み出した大天才。なんというか、あんまり人間として認識していなかった。お笑い好きだけが見える妖精みたいな、人間離れしていると勝手に思っていた。ほんと、何を食って育ったらあんな面白いネタかけるんだろう。
でも、そんな浜村さんも2つだけ、人間らしさを(勝手に)感じた時があった。

1つ目は、浜浜の出るライブに行くと、自分たちがネタやっているとき以外はほぼ客席から出演者のネタを見ていた。ライブ中お客さんに混じって浜村さんがネタを見ている姿を何度も見た。しかも、悔しそうにとかじゃなく、本当に楽しそうに子供のような目で見ていた。面白いものをちゃんと面白いと認められるのって、大人になった今思うとなかなかできることじゃないよな、と思う。歌ってみてもないのに、Adoとか見たらやっぱり素直に受け取れない、自分は。うっせぇわカッコ良すぎるやろ。腹たつ。

2つ目は、完全にこれは私の性癖で「MOTHER」が好き、というところ。「MOTHER」が好きな人を私は無条件で愛す。「浜口浜村の悠々自適」の入りの時の音楽がオネットだった時、「はい、好き〜〜〜」となった。そして、妙な納得感があった。MOTHERと浜浜は似ている。オタク特有ムーブの勝手に結びつけているだけかもしれないけど、MOTHERの日常と奇妙が混ざった感じの世界観とか、「神は細部に宿る」的な、街の人全員のセリフが妙にこだわっていて面白いところとかが、浜浜のネタに妙に通じるものがあると感じていた。そして、これも勝手な自論で、MOTHER好きな人は、いい奴で、そして、生きづらそう人が多いなあとも感じていた。浜村さんとは直接話したこともないし勝手な想像だけど、きっとそうなんじゃないかと思う。

まあ、上記はほとんど自分の想像だ。何故なら、当時浜村さんはTwitterもブログも何もやっておらず、普段の浜村さんがどういう人で、どういうことを考えているか全くわからなかった。浜村さんというか、浜口浜村の素的な部分は全然わからなかった。(それ故に浜口浜村フリークになっていたんだとも思うので、完全に悪いわけではないけど)
今みたいに自分で色々と発信できるサービスがあったら全然違ったんだろうか。(浜口さんのtiktokとかめっちゃ見たい。)

生配信といえば、ニコ生(ニコジョッキー)とかも見たけど、うっすら覚えてるのが、開始早々、投票機能を使って視聴者に「殺す」「殺さない」どちらかに投票させて、殺すが多かったからって言って誰かを殺して「お前らが殺した」みたいなことを2人で煽ってるみたいな、ただの浜浜みたいな映像が生放送で見れるだけのただのありがたい番組だった。今も観れるのかな。観たいなあ。

浜浜解散の後、卒業ギリギリまで就活していたダメ学生だった私はみんなより一足も二足も遅く就活戦線に飲まれていった。そこから今までお笑いからはだいぶ離れていた(M-1とかは見ていたけれど)。

だから、「浜村凡平」としての活動を追うことができていなかった。本当は一番ファンとして支えていかなきゃいけない時期に自分は離れてしまった。
浜村さんからしたら知らねえよと思われるかもしれないけれど、少し負い目も感じていた。そして「浜口浜村」への未練もあって、ピンでの活動を直視できなかった。でも心のどこかで絶対に報われてほしいと思っていた。ファンってのは本当に自分勝手だと思う。

37年来

とにもかくにも色々と謎に包まれたまま浜浜は解散し、結局2人が、浜村さんが、浜口さんがどうおもってあの時期にいて、どう言う経緯で解散に至ったのかを知ることができないまま、このまま一生未解決事件のように、うっすら未練を残しつつたまに思い出したように浜浜を偲びながら死んでいくんだろうと思っていた中、『37年来~敗残の記~』が出版された。

いや、タイトル重〜〜〜!!!が最初告知ツイートを見た時の感想だった。
敗残って単語あんまり聞いたことないし、実際にタイトルに忠実だったとしたら人間失格的な読む人をえぐり散らかすような内容で、あるいはイニシャルでいろんな芸人の暴露とかしてたらどうしようとか思って、告知を見た瞬間に購入したものの読むのに少し勇気が入った。

私が大好きだった「浜口浜村」で、浜村さんが死ぬほど苦しい思いをしていたらどうしよう。浜村さんが大好きな「お笑い」で辛い思いをしていたらどうしよう、そんなことを思いながら本を開いた。

そんな心配はなかった。読みながら、ずーーーーっと笑っていた。
浜村さんのネタだーーーー!!うおおーーーー!!!
勿論、ほろりとくるところや、胸がぎゅっとするところもあった。
でも、めちゃくちゃ笑った。タイトルからは考えられないくらい、「自信」っと「覚悟」に溢れた文だった。

なんというか、「浜口浜村」を吹っ切れた、そんな気持ちになった。私が長い長い失恋の余韻に浸っている間に、浜村さんはどんどん自分が行きたい道を進んでいた。勝手に妖精のように繊細だと思っていた人は、泥臭く前に進む1人の人間だった。浜村さんは自分の人生を、誰にコントロールさせることなく生きている。対して、世間体を気にして就職して、いまだに何がやりたいのかわからない自分。MOTHER2の、あるキャラが最後に残したセリフが頭をよぎる。

「シーユーアゲイン! ほんとにカッコイイのはどっちかな?」

そして自分

ここからは自分語りになるが、自分は今、休職中である。
いわゆる適応できない奴がなるアレになってしまって、これから先どうしようと結構お先真っ暗な状態で、世界に「敗残」してしまった、と思っていた。
(余談だけど、自分の昔のつぶやきを遡っていて、「浜浜は精神安定剤」と呟いていたけど、実際の精神安定剤は副作用もあるし、本当に聞いているかわからないから浜浜の方が素晴らしいんだよと伝えたい。)

そんなタイミングで、あの浜村さんが本を出した。

あんなに大好きだった小説とかも社会人になってほとんど読んでなかった自分が、予想もしていなかった長期休暇中に、久しぶりに手に取った小説がまさかの学生時代大好きだった芸人が書いたものだった。
ネバーランドから脱して「大人」になったつもりの自分が、また結局同じ人に救われてしまった。
その人が、自分のことを書いているだけなのに、こんなにも救われるなんてすごいことだ。こちらにはっきりと向けられた、口先だけの自己啓発的なものはたくさんあるけれど、こっちからしたらもう十分頑張ってると思うような人が言っている。

「もうちょい頑張らねえと!しっぺでこぴんばばちょっぷ!だかんな!」

自分はもうちょっと時間がかかりそうだけれど、もうちょっと元気になって少しずつ自信が出てきたら、上の言葉を自分に言ってやろうと思う。そして、覚悟を決めて、自分の道を歩いていこうと思う。



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