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ロロ『マジカル肉じゃがファミリーツアー』

2019年12月26日。
一日早く仕事を納めて、下北沢トリウッドにてロロの上映会を観た。
次回作のチケットを取った日に出張が入ってしまったから、どうしても観たくなってしまった。初ロロだ。

左から、父・祖母・次男・長女・長男・母。

長女 めくるめくは、最初の記憶を探す旅へ。
長男 湾は、想いを寄せる女の子とデートへ。
次男トチは、祖母 祖母子とイマジナリーフレンドのさるすべりとともにかくれんぼへ。
母 奈津子は、父 孝志とともにのど自慢大会へ。

町田家を舞台にして各々の物語が展開し、そして1つの家族へ収斂していく。

回転舞台の妙や各々の物語が収斂していく鮮やかさは先達たちによって認められているので、そちらをご覧いただきたい。


人だって木だって悲しみだってぴったりの名前をつけたら反応するんだよ。

長男 湾が想いを寄せる女の子 古内一日(ふるうちいちにち)はこんなことを言う。
悲しみは悲しみが名前だと思っていたけれど、そんなことはないか。
悲しみへの解像度が低かった自分にハッとしてしまう。

ところで、一日を演じる望月綾乃さんは、我らが伊藤万理華御大の主演作品『ガールはフレンド』の同居人リカだ。あれはベストタッグだった。
脚本はロロの三浦直之だということは知っていたが、あのナイスなリカさんもロロだとは…
ガールはフレンドを見返す度に好意を寄せていたのでなかば恋である。いやぁ、嬉しい。これだけで楽しく観ることができた。

『ガールはフレンド』はエンディングに使われたCHAIの『ウィンタイム』も最高だった。ポップでキュート。今思えば僕のロロの原体験だ。

生きているってことをしていると段々と死んでいるような気持ちになってくるの。

町田奈津子は夫 孝志と散歩しながら何気なく呟く。
思い出の道にかつての自分たちの残像がいるらしい。
過去の自分を見つめる自分と、そんな自分を見つめる未来の自分(の予感)。
朝吹麻里子は「自分が偏在する感覚」と表していた。

生と死を連続的に捉える人生観は子供たちにも共通している。めくるは通学路の途中に小学1年生だった頃のめくるを見つけるし、トチは家中に貼られたプリントシールのなかに過去として小さくなった若き日の両親たちが生きていると思っている。「思い出はチビパパとチビママみたいに小さくなっていくんだね。」と。

そう。過去現在未来の連なりが、町田家の世界なのだ。
しかし、こんな世界にも断絶が存在する。大人とこどもの断絶だ。

「ピクニック!」
「ピクニック?」
「ピクニックのこと、もう忘れちゃったの?」

ピクニックの約束を忘れた母へ怒るめくる。
"1週間も前のこと"と"1週間しか経ってないこと"
こどもの頃は時の経つスピードが早くなったり遅くなったりすさまじく変化を繰り返していた。
時間がおおむね均等に流れるようになったのはいつからだろうか。気付いたところで戻ってはこないのが、大人の哀しいところだ。

それでも大人にだって良いところはある。
経過は省略するが怒りが爆発しためぐるへ奈津子はこう言う。

愛が最初にあったの。
そのあと、私はめぐるのママになったの。
もしママでいることでめぐるを愛せなくなるなら、全部捨てちゃう!

これはもう、涙腺にきた。逆説的に母の強さだ。
見た目も腹から響く声も完璧だった。
マッチョな母はこのメッセージを体現するためだと信じたい。母は性別ではないのかもしれない。

こういう劇中にさらっと潜んだ小さな気付きがロロなんだろう。ますます次の公演が見たい。。

作中にも登場するが、めぞん一刻調である。
五代君と響子さんがボートに乗ったのは石神井公園らしいのでいつか乗りに行きたい。

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