血のにじむ努力を重ねた人だけが見える景色がある
努力、したくないです。できることなら、毎日ゆるく暮らしたい。
でも、タイトルに書いたように、血のにじむ努力を重ねた人だけが見える景色があって、それはきっとすごく尊くて綺麗なものなんだと思うのです。ゆるく暮らしていきたいけれど、なにかを得たいなら、努力し続けるしかない。あたりまえでシンプルな事実を目の前に、淡々と努力し続けるしかありません。
今日、山田孝之の2013年から2019年を密着したドキュメンタリー映画を見ました。
彼は、この映画のなかで、こう語っています。
この映画を見た人に希望をもってほしい。何かを目指して努力をしつづけていれば、その過程で得るもの、得る仲間がある。
怪優とか、鬼才とか評される山田孝之も、努力を積み重ねて、行動を起こし続けている。その結果、その評価がついてきているにすぎない。結局、彼がやっていることは努力で、その努力をする人に、希望を持ってほしいと思っている。
誰だって、努力をしてなにかを得ている。星野源のエッセイを読んでもそうだし、鬼滅の刃の柱たちも、血のにじむような鍛錬の末に柱になり、炭治朗くんも努力をして全集中の呼吸を手に入れた。いま、社会的に高い立場にいる人たちも、最初はみんな若者で、それぞれ何かを積み上げた結果、地位や名誉を手に入れている。
私の周りの職場の方々、友人たちもきっと見えないところで努力している。いつも楽しそうで努力なんてしていなさそうな人たちもいるけれど、もし彼らが本当に努力していないのなら、いずれきっと後退していく。後退していく人のことを気にして「私も楽しみたい」なんて思っている暇はない。
この世の理で、至極あたりまえなことだけど、なにかを得たいなら努力し続けなければいけない。
23歳の抱負は「仕事もそれ以外も体力を使い尽くしてみる」
と、去年の誕生日に決めました。23歳はのこり半年、体力を使いつくすほどの努力を最近できていたか?と自分に問い、世の中は緊急事態でフワフワしてしまいがちだけど、今一度帯を引き締めて努力をしなおさなければいけないと思います。
なんだか世の中緊急事態だけど、歩みは止めてはいけないよね。
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