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本当にやりたいことをやるって、実は奥深い話

やりたいことをやればいい。

ベストセラーになる本なんかでも「やりたいことをやろう」「死ぬ前に後悔する〇〇のこと」とかやりたいことをどうやってやるか?というテーマについて書かれた本って多い。よく売れる。

それだけ多くの人にとって魅力的なテーマで、なかなかそれが現実的に出来ない・・・だからこそ売れ続けるのだと思う。

やりたいことをやるというテーマ・・・なんだか一番シンプルな気がする。

要は子どもの頃のように深く考えず無邪気になって一歩踏み出せば、直ぐにでもできそうな「やりたいこと」。

しかし、しかし、これって実はすごく、深いテーマで、奥が深い話なのだと思う。

なぜなら、やりたいことをやる前に、本当は自分のことが一番よくわかってないことが多いから。

自分がやっていることも、本当に好きで自分の本質から湧き上がっている場合もあるけど、決してそうではないこともある。

それくらい、人間の性格は複雑だ。
この複雑さの先に本質はある。
この本質にすっとつながる人もいるけど、それは稀なことかも知れない。
ほとんどの人がつまずくか、そもそもそこまで考えない。


ここのところをひとつひとつ理解する為に、僕は心理的な面から、性格の作られ方を理解する必要があると考え始めた。

そのきっかけはイデアサイコロジー。
心理学、精神分析、エニアグラム性格診断を基に一人一人の性格の作られ方を理解する方法。


イデアサイコロジーを通して学んでいるのが「無意識に沈んだ自分の存在」。

人間は独り立ちするまで、大変長い時間がかかる。
なので、長い間育てられなければいけない。
その間はひとりで生きていくことが出来ないから、扶養される側、主に親の保護に置かれる。これは絶対的な人間社会のシステム。

だから、非保護の子どもは、親に見放されないように、関心を惹くように行動する。
そして親からの要求を無意識的に感じ取り、生存の道を選んでいく。
ここは本能的、無意識的に。

そして、その結果、本質からは遠ざかり、歪んた認知構造を持つようになる。
その遠ざかった自分を自分だと思い込む。
それが最初の自我。

イデアサイコロジーでは
・遺伝
・エニアグラム性格診断のタイプ
・乳幼児期の経験
・中学生以降の経験
の四つの層に分けて性格の構造化する。
それぞれの人がどの層に同一化しているのかというところに焦点を当てる。
深い階層から遺伝、エニアグラム、乳幼児期の経験、中学生以降の経験と浅い階層に上がる。浅ければ意識化しやすいし、変えやすい。しかし、深いところは無意識で変わりにくい。

そういった、自分の内面を見て、自分の人生を振り返って、確認していかねばならない。

それって、なかなか大変な作業。
でも、浅い階層の性格に同一化してしまうと、それ以下の深い階層が見えなくなる。意識化できなくなる。無意識化してしまう。

ある意味本質とは離れた仮想的な自我が「やりたいこと」って何だろうと考えて、右往左往するわけだ。

本人は意識で「やりたい」って思っている。思い込んでいる。
でも、なぜかしっくりこない。
もしかして、違うのではないかと、別のことを試したりする。
それも違う気がする。その内、自分は飽きっぽい、長続きしない性格だとか思ってしまう。

または、一度始めたことはやらなければという思いで、とにかくやる。
継続は力なり、という言葉を支えにとにかくやる。
そんな進め方の人もいる。やることがゴールになる。

しかし、どちらにしろ、一番大切なのはその時その時の自分の感じ方だ。

無意識の衝動とか、一貫性を欠いている自分とか、そういったことの理由も分かっていながら、自分をコントロールして進めていくやり方。
そういった持って行き方が大切だと思う。

その先に自然に出てくるのが本当の「やりたいこと」。

まず、自分自身を十分見切ってからでないと、本質が分からない。
本質的なパワーが出ないと、達成もされにくい。
そういう構造だと思う。

そういった、地道な作業の末に出てくる「やりたいこと」。
本当の自分が思っているやりたいことは意外なことかも知れない。
意外な自分に出会ってしまうかも知れない。

でも、きっとそれに出会うことが出来たら、自然な形でやりたいことは形になっていくと思う。

何はともあれ、初めはとりあえずやってみるしかないことは確かだ。