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Whyから始まる

どうして~なのか?

そこから始めてみている。

なぜだ?という根源的な問いを大切に。

今、下の子は五歳。盛んに「どうして?」「なんで?」と聞いて来る。
それを子供に分かりやすく説明することが難しくて、思わず「そういうもんだ」と返してしまうこともあるけど、ひとつひとつは大切な問いだ。

落ち着いて後から考えると、きちんと分かりやすく説明すればよかったと思う時がある。自分もそれを深く考える良いきっかけになったと、プラスにすることも出来る。

なぜ?という問いを封印されたのはいつだろう?

僕が思い返すのは小学校の授業。先生が用意した「なぜ?」に答えることは求められたが、もっと根源的な「なぜ?」に答えることは良しとされなかった。それはなぜかというと将来、受験に出ないからだったと思う。
試験に役立つ「なぜ?」と根源的な「なぜ?」は完全に分けられ、気が付けば先生が問う「なぜ」を追いかけるようになっていた。
試験に役立つ「なぜ」は仕事に役立つ「なぜ」に変わり、それはいつの間に出世に役立つ「なぜ」に、そしてそれ以外は問わなくなった。

誰かの用意した問いに答えていた時代。問いと答えがセットだった時代。
それは日本では高度経済成長期だったであろうし、その頃の価値観はひとつ「物質的な豊かさ」だった。実に分かりやすい。

それから、時は過ぎ、「精神的な豊かさを」求める、今の時代、その答えは一人一人が違う。多様化の時代と言われ、違いがエネルギーを生む。
そうなると、問いと答えというセットは解体される。

Q.幸せって何ですか?
A.いい会社に入って、いい給料をもらって、定年まで過ごす。
もうこんな問いが、答えが通用しなくなっている。
こんなアンサーなんて、もうないし、こんなクエスチョンもナンセンスだ。

ひとりひとりが「幸せ」を定義する時代。
私にとっての幸せ。
その答えも私にとっての答え。

そうであるならば、正しい問い方は
Q.あなたにとっての幸せはなんですか?
あなたにとっての、という枕詞が絶対に必要になる。

あなたにとっての~はなんですか?
あなたが大切。
と、するならばそれを問うわたしも大切。

そして、あなたとわたしという関係性を構築するために、わたしのWhyにも敏感になる必要がある。

Whyからやり直すのだ。

今は五歳の子が僕の先生だ。