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声を聴き分ける能力

歌を聞いていて思うことがあります。

声だけは真似できない。

モノマネ的に似せることは出来るけど、無意識に歌った声は本当に千差万別で真似が出来ない。

聞く方だって、あっ!あの人ってわかる。

これって、声を発する方もだけど、それを聞く方もだと思うんです。

つまり、声を聴き分ける能力によってそれがなされている。

声を聴き分けることで他者を認識、区別することは生存においてもすごく重要だったのでしょう。

また、同じ人の声でも声の出し方、声質などで、その人の今の状態を聴き分けることも重要だったに違いありません。
人間は言葉を有しているので、その意味を理解することは大変重要ですが、その音自体にも情報は乗っています。
右脳的、左脳的両方で言葉を理解してたのだと思います。
そういう意味では話し言葉と書き言葉では持っている情報量も違うと言えるのです。

元々、人類は話し言葉で社会を作っていたと考えられます。
書き残すという手段が出来てから、書き言葉が生まれ、外側に情報が残されることになりました。
それより以前は声という音声情報だけなので、その場限り。
音による言葉はその時間にのみ生きるのです。

おそらく、人類の歴史を紐解くと、音による言葉を使っていた時間が圧倒的に長いので、私たちは声というものを聴き分ける能力に長けているのだと思います。

どんどんAIが進化しています。
テレビ番組でも、もう亡くなった歌手やある歌手の若い頃の歌声をAIで再生したりしています。
聞いてみると、やっぱり全然違う。
何だか表面的にしか聞こえない。
これから、どんどん進化してその差は埋まっていくのかもしれないけど、今のところは何かが違う。
逆に他の楽器の音色はデジタルの音源とアナログの音源は聞き分けが出来ないくらい、差はなくなっています。

取り替えが効かない一人一人の声。

唯一無二の自分を感じられる要素の一つだと思います。

だから、しゃべり、歌うのです。

内容以前にその人の声が物語っているものがあります。

その人の生きてきた道。

その人が育った環境。

その人を育てた人。

色々な情報が既に、その声には乗っかっているのです。

だから、隠すことなんて出来ない。

隠す必要もない。

それこそ、あるがままです。

そして、僕は最近、薄々気がついていますが(笑)自分の声が好きなようです。
ただそれだけで良いのかなと思ったりして、歌ったり、しゃべっています。