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愛しているなら、皿を洗え

6月8日は結婚記念日、12年前のこの日に新しい戸籍を作った。
(ちなみに結婚式記念日もある。違う日なので、便宜的に6月8日を結婚記念日と呼んでいる)

オットは律儀にどちらも記憶しており(または記憶してるように見せかけており)、小さな非日常を用意してくれる。
今年は平日だったので、当日は家族で夕食後にタルトを食べた。週末は、レストランディナーが予約されてる。

オットは、大切にしているという気持ちの表現においてはトコトン「行動の人」だと思う。
家事、めっちゃやる。
育児、めっちゃやる。
ご両親への孝行、ブツブツ言いつつめっちゃやる。

こないだあるPodcastを聴いてたら、夫婦ゲンカのエピソードが妻の目線から語られていた。

夫が不機嫌な私を見て、I love you honeyとすり寄ってきた。
その態度に、うっせえって思った。ムカついた。
本当に私を愛しているなら、皿を洗え!
Show me, show your love!! と。

私はひとりで大いに笑った。そして、唸った。

正直に言うと、私は「I love you honeyって言ってくれれば、私がなんだってどこまでだってやる」って生きていた時代が長かったと思う。
今は違うんだよね。I love youがなくても私は脅かされないし、I love youが目の前にぶら下げられてもそんなに走れない。

どうした?私になにがあった?

「私が、私の命を生き始めた」という言葉が浮かんでくる。

”I love you” を稼ぐために命を削る必要がなくなった。
自分の命を生きることに忙しい。
その忙しさの中にいる私にはエネルギーが永遠に湧き続ける。
人からもらわなくって大丈夫。
むしろ、よかったらどうぞ!と差し出せる。

たとえるなら、スターを取ったアンパンマン。
顔をちぎって差し出す。食べた人が元気になる。
それを見てるとパンが復活して、勇気100倍!になる。

だからさ。I love youは私にはいらない。
お皿を洗って、洗濯を干して、子どもの送迎当番をシェアしてくれることが一番うれしい。
それがないと、私は私の命を生きられないもの。

その人と共に営むシステムを機能させるために。
なされるべきことが、なされるように。
オットはそんな気持ちでやってるのかもしれない。

でも、私はもっと大きなものを受け取っている。
私は、私の命を生きさせてもらっている。

彼とともに育てているこのシステムの中には、私たちが共にファンクラブ会員になっているムスコが守られている。
私たちを力強くしてくれる。
私たちに、覚悟と楽しさを与えてくれる。
生きるべき命を教えてくれる。

一周回って、今いる場所へのありがたみがすごい。
今このように私たちが生きていることがすばらしいな。
オットが毎日皿をきれいに洗っていることが、それを支えている。