「それから」 夏目漱石著
日本の大文豪夏目漱石について、私がレビューを書く事すら恐れ多いのですが。
漱石は慶応3年(1867)、明治が始まる前年に江戸に生まれました。
亡くなったのは大正1916年。胃潰瘍の大出血だったそうです。
年表には49歳とあります。
夏目漱石は私のイチ推しの作家です。昔から私の一番でした。
幾つかの本は何度も読み返しました。何度読んでも飽きない。何度でも読める。そして読む度にクスリと笑い、「成程な」と共感したり、「ぐずぐず考えていないで普通に言えばいいじゃん」と思ったり、「なんて憐れな・・」とか思ったりします。
「三四郎」、「坊ちゃん」「彼岸過ぎまで」・・それぞれに好きですが、最も好きなのは「それから」と「行人」です。
では、まず今回は「それから」について。
レビューを書くためにまた読み返しました。
主人公は長井代介。
何時まで経っても定職に就かず、「高等遊民」として好きな事をして過ごしている。家族の誰もがそれに困ったと思いながらも、まあいずれ嫁を貰ってちゃんと仕事をするだろうと、大目に見ている。
お金持ちなんですよ。彼の実家は。
お父さんとお兄さんが稼いでいる。そして彼に月々の生活費を支給してくれているのです。
代介は繊細で臆病で自意識が高くプライドも高く、それでいて本当はとても誠実な人間です。誠実過ぎる程誠実です。
その彼が密かに心に想っている女性は友人平岡の妻である「三千代」です。
それも有ろう事か淡い恋心を抱きながら、平岡と三千代の間を取り持つと言う愚行までやっていたのです。三年前に。
それが若かった彼の一番の失敗でした。
彼は自分の恋心よりも友情を優先すべきだと思ったのです。
「阿保だなあ・・代介」と現代に生きる私達は思う訳ですが、そこがほら、明治の理性が勝った知識人ですから。
自分はそんなのには捉われないと思ったのでしょうね。言っちゃ何だが、恋情などその頃の彼に取っては下位の範疇に入るものだと思っていたのかも知れません。自分の恋心の深さに気付いていなかったのかも知れませんね。
彼は自分の中に在る「自然」を見縊ったのです。
三千代と平岡が幸せに暮らしていれば、きっと代介はそれで良かったのでしょう。けれど、仕事で失敗をした平岡は妻を連れて東京に帰ってきました。
金に困窮している平岡夫妻は夫婦の愛情も冷めていて、代介はどうにも三千代が可哀想でならない。三千代は産んだ子供を亡くしてしまい、それ以来体が弱くなってしまったからです。三千代の表現は薄幸の女そのものです。
昔の女性って大変だったなあ・・。大部分の女性が男に依存すべきものだったから。
三千代に頼まれて平岡の為にお金を用立ててやる。しかし彼は、自分が働いていないものだから、用立てるにも借りなくてはいけない。
三千代は昔、結婚祝いに代介が送った指輪も質に入れてしまうのです。
けれど、次に代介が渡した数枚の紙幣でそれを戻し受けて来る。それを生活費に充てなかった訳です。
代介の父は家の為に資産家の令嬢との婚約を迫ります。代介は動きが取れなくなります。何故その娘を娶らないのだと言われても、言えないんです。好きな女が友人の妻だから。言える訳が無い。そんなのは家の恥だから。
とうとう代介は決心します。
平岡から三千代を譲り受けようと。
仕事も無いのに。
どうすんの?
「僕の存在にはあなたが必要だ。どうしても必要だ。僕はそれだけの事をあなたに話したいためにわざわざあなたを呼んだのです」
(それから 角川文庫 P237)
代介は三千代に告白します。
凄い恋愛ですね。
三千代が帰った後、代介は部屋に百合の花をばら撒きます。
月光に百合の白い花弁が点々と光ります。
印象的な場面です。
私が漱石を好きな理由は内容がどうのと言うより、文章表現そのものが面白いからです。
ユーモアとアイロニーがある。思わず笑ってしまう表現が沢山あります。
すごく端的に本質を言い表して、それでいてそれが面白い。
例えば代介が父親と話す場面があります。
『お父さんは論語だの王陽明だのという金の延べ金をのんでいらっしゃるから、そう言う事をおっしゃるのでしょう」
「金の延金とは?」
代介はしばらく黙っていたが、ようやく
「延べ金のまま出て来るんです」
と言った。 (角川文庫 P39)
お父さんの人と成りが想像できます。
また、甥っ子の誠太郎についての文章もあります。
彼は奇妙な希望を持った子供である。毎年夏の初めに、多くの焼き芋屋が俄然として氷水屋に変化するとき、第一番に駆け付けて、汗も出ないのに、アイスクリームを食うものは誠太郎である。(同 P30)
共感を覚えますね。(笑)
深刻なんだけれど、その深刻さを濾して蒸発させて後に残ったその乾いた物質を描くような。そこには温かい目がある様な感じがします。
私達一般人とは違って世の中を深く鋭く見つめ、西洋文明が人間疎外に陥り易く、過酷で厳しい生存競争を孕んでいる事を的確に予見していました。経済優先の文化だと。それは否応なしです。
私は夏目漱石が自殺しなかったという点もすごく好きです。
まあ子供が何人もいたから、当然と言えば当然。
人間の「エゴイズム」を描きながら、人間を否定していない。
こんな矛盾だらけの人間を『是』と言っているように思えます。
もしも現代日本に夏目漱石が生きていたら、彼は今の日本をどう思った事でしょうね。
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