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いまこそ、山梨へ。というポスターについて

※この文章は「いまこそ、山梨へ。」というポスターの写真を最寄り駅で撮影してから一緒に公開しようと考えていたのですが、駅に行くと件のポスターが「かわいい子には、ぐんま。」というポスターに貼り変えられておりました。
誠に不本意な形ではありますが、自前の山梨の山の写真をヘッダ画像に、不完全な形で公開することに致します。
それとは無関係ですが、最近は上毛三山の榛名山と妙義山を立て続けに訪れ、群馬の山を堪能しております。


いつも利用する駅に、「いまこそ、山梨へ。」と書いてあるポスターが貼ってある。
東京の中でも山梨にほど近い場所なので、それ自体におかしいところはない。
ただ、気がかりなのは、私は趣味の登山のためにこのポスターの掲示前からたびたび山梨を訪れていた、ということだ。

このポスターの意味を素直に解釈すると、あなたを受け入れる準備が整ったのでいまこそ山梨へおいでください、ということだろう。
これは逆から捉えると、このポスターの掲示以前には、山梨に訪れる「機」ではなかった、という意味でもある。
私が訪れていたのは、山梨からしたら「準備中」というか、ちょ、待って、みたいなタイミングだったということだ。

もっとも私の場合、お客様気分で行っているわけでもなく、山登りなので、自然のままが見たいわけだ。
そういう意味では、「準備中」の山梨を訪れていたからどう、とは思わない。
ただ、山梨にとっては悪いことをしてしまったかもしれない。
別の喩えで考えてみる。

飲み会が二次会、三次会と延びて、あげく終電を逃してしまい、おまえの家近くじゃん、泊めてよ、となったとき、決まって家のドアの前で「部屋片付けるから、5分待ってて」というシチュエーションが発生する。
つまり例のポスター掲示以前の山梨は、この「5分待ってて状態」にあったわけだ。
飲み会が終わり、酔った先輩、ここでは長野先輩としておこうか、その長野先輩が「おまえの家近くじゃん、泊めてよ」と言ってくる。
が、山梨くんにとってはそれは不測の事態だ、部屋のドアに「いまこそ、山梨へ。」ポスターも貼っていない。
ちょっと片付けるんで、5分待ってもらっていいすか、の、「ちょっと片付けるんで、5分」まで言ったところで長野先輩が被せぎみに「気ぃ使わなくていいってー寒ぃしよぉー」とか言いながら部屋に雪崩れ込んでくる。
これは困る。
まだ部屋はちょっと散らかってるし、それにいわゆる「見られて恥ずかしいもの」も普通に無造作に放ってある。
これが野郎同士なら別に頓着するものでもないが、長野先輩は山梨くんにとっては「気になる先輩」だ。
いつも真面目で冷たげな印象すら与えてくるあの長野先輩が、酔って意外な姿を見せてくる。落ち着かないのは言うまでもない。
ともあれ、「見られて恥ずかしいもの」は何とか死守したい、が、こういう試みは基本的にうまくいかないものだ。
あれよといううちに長野先輩にそれを発見されてしまい、そこからはもう散々いじられる。「へぇ~ふぅ~ん山梨こういうの好きなんだぁ~w意外…」とかそんな感じだ。
慌てふためいて赤くなったり青くなったりする山梨くんを突つきながら長野先輩は「なんか…カワイーなー山梨~w」とかそんな感じだ。
何という事だろうか。
このシチュエーション、普通に好き、である。

私の好きなシチュエーションの話はともかく、現にすでに山梨は「いまこそ、山梨へ。」ポスターを都内各所に掲示するほどの、「商い中」の山梨だ。
残念だが、皆さんがいまさら山梨に行ったところで、「山梨くんの部屋」のような油断した山梨はそこにはない。
喩えると、初めて好きな女子を部屋に招待する中学生男子並みに、準備完了している。
昨晩は床にコロコロを入念にかけ、毛の一本も残さず片付けているはずだ。
何て事だろう。
それって全然悪くないではないか。
自分のためにそこまで背伸びしてくれていると思ったら、なんだかキュンとするではないか。
ここまでされればもう、山梨、行くしかないではないか。
いまこそ、山梨へ。

いつもそんなことを考えながら、山のふもとへ向かう朝の電車に乗っている。

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