雑文・日々
先日は1日で、3回分のエッセイを執筆できたのに、昨日ときたら何も出来ずに寝てしまった。いや、何もしてない訳ではないのだけど。ファミコン版のドラクエ3がやりたくなって、ゲームを起動してみる。セーブデータを見てみたら冒険始めたばかりのデータがあったので、おもむろにフィールドを歩き回って、レーベ村南の小屋みたいなとこからナジミの塔に侵入。まだレベルが1、2のパーティーなのでダンジョン攻略できるはずもなく、岬の洞窟経由でアリアハンの自宅まで戻ることを目標とする。防御キャンセルの裏技でダメージを軽減し、出現する敵は倒しながら進むが、MPは尽き、ホイミも使えない。薬草くらい持ってるだろうと思ったら、まさかの装備以外のアイテムは未所持。リメイク版以降は、棚やツボから拾ったり、敵がドロップしたりと、買う必要がないくらい手に入る薬草も、ファミコン時代は自分で買わないといけないのだった。体力ギリギリの中、戦闘をこなしていくも、ついに勇者のHPは残り1に。仕方無しに逃げながら、どうにか洞窟を脱出し自宅まで命からがら帰るのだったが、いやーこれだけのミッションだけでも楽しい楽しい。ドラクエ3の最初の大陸はマップデザインが、当時のファミコンの表現力の中で最大限に凝った構造で、今見ても感心する。洞窟と城が繋がってると知ったときの驚きときたら。堀井さんのゲームデザインのセンスはやはり卓越していると思う。
私の家では読売新聞を購読していたので、ナベツネさん逝去のニュースには、ああついに、この方も亡くなってしまったのかと、ひとつの時代の終焉を感じてしまうのだった。最近は表舞台に名前が登場する事もなかったので、体調は芳しくなかったのであろう。私の母親は色々あれで聖教新聞も購読していたので、池田大作氏とナベツネさんの支配者級(クエストクラスと、なぜか幽遊白書的ルビを振りたくなる)が相次いで亡くなってしまい、寂しさがある。子供の時から大組織の大ボスだった人物も、いつかは倒れる。いつまでも生きていそうな大物も、死んでしまう時は来るのだ。時代は移り変わっていく。この歳になると、子供の頃から馴染み深い各分野の著名人たちが次々に亡くなっていくのが当たり前になってきて、当たり前になるのが怖いというかなんというか、、、彼らがもたらしてくれた思いを忘れないようにしよう。それは、私という人間が生きた証でもあるのだから。