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男社会で働く28歳女性が『裸のムラ』を観た

夫がサンマを買って帰ってきた。
お手洗いで上司(50代男性)に「最近なにか秋らしいものを食べたか?」と
聞かれ、「サンマが食べたい」と答えたらしい。
上司は夫に、「週末奥様に焼いてもらいなさい」と言い残していった。

映画『裸のムラ』

三連休のなか日、ポレポレ東中野に『裸のムラ』を観に行った。
https://www.hadakanomura.jp/

我々は家父長制のムラから逃れられない。

古い日本社会の枠組みを出て自由になろうとしても、そこにはまた小さなムラができる。個人として誰かを透明化し、自分の意に沿わない発言をしないよう、相手に忖度させてしまう。
五百旗頭監督は、そこから自由になりたいと願いながら、泥沼に足を絡めとられて顔面から転び泥まみれ。我々観客も、その泥を浴びて苦笑しながらハッとしてほほを拭う。そんな映画だった。

大きなムラと小さなムラ

大きなムラとして描かれるのは、谷本県政の舞台となる石川県庁。谷本(前)知事は一見物腰柔らかなオジサンと見せかけ、家父長制の煮こごりのようなジジイである。
谷本知事がヤバいだけならまだしも、周りを囲む県議会議員や県庁の重役も100%男性で占められる。革新政党の女性議員や、子育てをしながら昇進した女性の県庁職員等は画面に見て取れる限りいない。

一方で、若い女性職員が議会で知事の飲む麦茶のデカンタを丁寧に拭いている。氷が沢山入っており、キンキンに冷えているのだろう。
(どうでもいいが私が知事の立場だったら自分で水筒持ってくるし、ダメならせめて氷いらないからと言いたい。冷え性なので。男性っていくつになっても冷た~い飲み物好きですよね)

私が印象的だったのは、知事の2つの言動だ。
これがマジで弊社役員のオッサンとまったく一緒である。
・コロナ禍において、女性記者に「君は焼酎で消毒しているから(大丈夫)」と大勢の前で言う(おそらくこの女性記者はよく飲むキャラでやっているんだと思う)
・高校生が作った抹茶エクレアを食べて手が汚れ、「知事の手が汚れても誰も気が付かない(気が利かない)」とぼやく

偉い人が言う冗談は絶対に笑わなければならない。
それが誰かをコケにするような内容でも。
それは自分が働いている会社でも全く同じである。

小さなムラとして描かれるのは、バンライファーの中川家である。
バンライファーとしての生き方を文字通り発明し、複数社の広報としてフリーランスで活躍する生馬さん。

誰もが憧れる自由な生き方を実践する彼は、アメリカ留学歴も長くさぞかし考え方も新しいと思いきや、奥さんの結花子さん曰く「亭主関白」。
結生ちゃんは、毎日の日記ですらお父さんに嫌と言えない。嫌々やらせていることを、娘のためになると生馬さんが純粋に信じている姿は滑稽ですらある。

結局、こんなに自由なように見えてもがんじがらめなのである。日本に生きている限り、私たちはムラの構成員になってしまう。

ムスリムの松井家は個人的にとても好きだった。
松井さんはヒクマさんと結婚して、ムスリムの風習にきっちりと合わせに行く。会社で出てくる仕出し弁当のおかずもすべては食べられない。
家で夫の愛情表現が足りないとぼやくヒクマさん。
確かにそれも家父長制の弊害!
「口に出さなくても、一緒にいるんだから愛してるにきまってるだろう」みたいなやつね。

家父長制って結局何がダメなのか?

映画全体を通して思ったのは、
「で、結局家父長制って何がダメなんだっけ?」である。

映像だけを見ると、県庁の中には怒っている女性職員はいなさそうだし、結花子さんやヒクマさんも夫にムカついてはいるがなんだかんだ幸せそうである。結生ちゃんもお父さんに付き合って日記や英語を強制されていたことを感謝する日が来るかもしれない。

この映画を谷本前知事や馳浩が観たか知らないが、こんな谷本前知事の声が聞こえるようである。

何もかも切り取り方の問題だろう、自分はもっと女性や弱者にやさしく接しようと心掛けている」
「麦茶のデカンタを拭いてなんて頼んでいない、勝手にやっているんだ。
やめてくれなんて言ったらあの女性職員の仕事を奪うことになる」
(ワハハ、と取り巻きのオジサンたちの笑い声)

馳浩はひと世代下なのでもう少し反省するかもしれないが、せいぜい「次の選挙から気を付けよう」くらいのことだと思う。

客観性と修復力

私は、家父長制のムラにおける最大の問題は、想像力を伴った客観性と修復力がないことだと思う。

私は、谷本前知事や馳浩が、ヒジャブを被って居間の隅で静かに怒る松井家の長女と向き合う日が来るとは到底思えないのだ。

君がつらいと思っていること、全部聞かせて。
何もできないかもしれないけど、オジサン何か力になりたいんだ
、と。

なぜなら、このような生活をしている市民が自分のおひざもとにいて、日々泣いたり笑ったりしていることが想像できないから。自分の言動や政策が、この子の生活にどう影響しているかなんて考えもしないからだ。
そして、同質的な集団の中ではそれに気づく人も糾弾する人もいない。票にもならないし。

長女にカメラを向ける五百旗頭監督も暴力的だと感じるが、長女の側も、自分がなぜカメラを向けられなければならないのか、その怒りの矛先をどこに持っていけばよいかわからず持て余しているように感じた。
五百旗頭監督を殴って、クルーが「ゴメンナサイ」と言って帰ればいい、それだけの問題ではないのだ。

結局私は、想像力を伴った客観性と修復力がないことを、家父長制の問題だと思っている。

カオスの果てに

ちなみに、個人的には五百旗頭監督も根本的には何が問題なのか確たる答えは持っていないように感じた。パンフレットに引用されていた監督の奥様の発言には、「この人もムラの住人なんですよ」と書いてあった。

「王様は裸だ!」と叫んだ子供も裸だった。でも、皆何を着たらよいのかもわからず、そろって吹雪の中で凍えている。そんな感じがした。

余談:夕食のサンマ

家に帰ると夫が自分で買ってきたサンマを焼こうとしていた。

サンマの焼き方を聞かれ、わからないので適当に答えたら、片方の皮がアルミホイルにくっついてはがせなくなった。

夫は「アルミホイル引けなんて言ったから!悔しいから明日もう一度やり直す」と言って怒り出した。
こちらも、「食べられるんだからそんなことで怒るな」とキレ返した。

ここもムラではあるが、まだ凍り付いてはいない。
日々キレていく。ムラにはならない、ムラにしない。

今年初めてのサンマは脂がのっていておいしかった。もうすぐ冬が来る。



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