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人生で一番シュールな誕生日

女の、喘ぎ声が聞こえた。

ゆめうつつの中に、僕は頭から布団をかぶり、耳を塞いだ。眠ろうとした。だが女の喘ぎはペースを増し、声が次第に大きくなってきた。

アラームがまだ鳴っていないのは、まだ眠れるということだ。しかし頭が勝手に回りはじめた。今日は2022年11月20日、自分が実行委員を務める学園祭の最終日だ。そして、自分の21歳の誕生日だ。

よもや21歳が同居人の彼女の喘ぎ声から始まるとは思わなかった。僕はひどく疲労した身体を引きずりながら洗面台に行った。3日間(前日の準備も含めて4日間)にわたる学園祭で、僕は飲食模擬店やパレードなど屋外企画を担当し、毎日2万歩以上歩き、平均睡眠時間が4時間くらいだった。その苦労の最中に降臨したのが童貞である自分がはじめて聞こえた本物の喘ぎ声だというのは、神から授かったメッセージでなければ何だろう。僕は睡眠不足でニキビが増殖した顔に水をかけながらその意味を考えた。しかしどう考えてもわからなかった。意味なんてないかもしれなかった。

その日は特に誰かから誕生日祝いをもらうようなことがなかった。ほかの委員は、不審者や封鎖を突破した人の対応で一日中に忙しく、誰かの誕生日を祝う余裕がなかった。

夜中に雨が降りはじめた。雨の中にひたすらテントを撤収し、横幕と天幕を折り畳んでいた。いつの間にか日付が変わった。深夜に雨が止んだ。約10人の委員と、油で汚れた地面に洗剤をかけてブラシでゴシゴシした。深夜3時、委員会の本部に戻った。ほかの人は始発電車を待つが、僕は近くに住んでいるので徒歩で帰宅することにした。荷物を片付け、「お疲れさまでした」と言おうとしたとき、みんながすでにテーブルに頭を伏せて眠っていることに気づいた。足音を殺して本部を出た。夜道を歩きながら、雨上がりの澄んだ空気を吸い、ふと自分の人生がどこかで間違っているのではないかと思いはじめた。

20歳は個性を失った一年だった。学園祭の運営に一生懸命打ち込んだ結果、かえって学園祭が自分の個性と釣り合わないことに気づいた。向いていないことは慣れたらこなせると思っていたが、1年半が経ち、やはり何かがぎこちない。

そうだ。「苦手なスポーツ」のようだ。自分はこのスポーツに向いていない、と気づく瞬間は誰もがあるだろう。どれほど試したり練習したりするとしても、ほかのスポーツが楽で楽しいと思う瞬間があるだろう。別に苦手なスポーツをすることができないというわけではなくても、ほかのスポーツをしたほうが幸せなのだ。

コンファートゾーンを出て、自分に向いていないことに挑戦しつづけるのが僕の信念だった。けれども結果はその「自分」を押し殺した一年だった。かつてはまっていたギターも、カメラも、棚に収めた。物書きも、読書も、その感覚を失った。夏に帰省したときに、地元の友人に「なんで好きじゃないことばっかやってんの」と聞かれ、回答するのに苦しんだ。最後で「好き」を感じたときはいつだったろう。自分を鍛えなければならない、責任を果たさなければならないと思い込んでいた。いつしか自分の感情と欲望を無視し、目標をひたすら追求する人間になってしまったのだろうか。

感情と目標、欲望と責任は21歳の誕生日にて交差した。ときにも目標やら責任やら考えずに自分の感情と欲望に忠実する必要があるのだ。もし同居人の彼女の喘ぎ声が何らかの比喩的な教えを持つのなら、きっとそうだったろう。

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