混乱の幕開け

「アルデン粒子濃度レベル二、月面官制局へのコール開始……。月面基地からのコールバックを確認。司令官、入港許可が下りました」
 まったく、どいつもこいつも、司令官司令官煩いんだよ。
「ああ、分かった」
 怠さを隠すことなく存分に部下へとアピールしつつ、これまた面倒臭さ全開で無線を開いて彼は話し出す。
「全艦、ワープ用意並びに第三種戦闘配置を継続せよ」
 本当に、どうしてこうなった、と。彼は心底これまで行いに後悔する。
 何故、どうして自分がこんな船に乗って宇宙を漂わなければならないのだ。
更に不愉快極まるのは、その周りに数百もの戦闘艦がおり、そして、その全てが私の指揮下であるという事実だ。
 これがゲームであるならば壮観極まり、愉快痛快という所であるのだが。如何せん、これは現実なのだ、と己の不幸を呪う以外に彼に出来ることは無い。
 それ故に、彼は身近な娯楽である本を手に、大嫌いな現実から逃避を試みる。
しかしながら、現実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものだ、と。彼は思い返す。
辺境のコロニー出身の自分が何の手違いか士官候補生に志願する羽目になり、偶々、そう偶々の偶然なのだ。艦隊戦を模したシミュレーションで上官を倒してしまうという快挙とやらを不本意ながら成し遂げてしまったというのは、きっと何かの手違いのはずだったのだ。それに、私にとってソレは不幸中の不幸にすぎない。
幾ら周囲に担がれようとも、当の御輿がそれを望まない以上は評価こそされども、必要以上に担がれるのは不愉快だ。
 そこから全てが狂いだしたのだ、と。心底、他称司令官であり、自称自宅警備員である彼は内心で呪詛を唱え散らかす。
 なぜなら、彼は今も昔も自宅警備員の予備役であり、何なら自宅警備員の志願兵ですらある。引き籠りとして一生を終えたいとすら願う彼だが、それが叶うどころか、かけ離れた重役を担っているという事それ自体が非常に嘆かわしい事なのだ。
「ワープ終了まで……三……ニ……、次元ゲート閉鎖。月面基地より現在位置、距離二千」
 如何に不労所得を錬成して見せるかと思考を巡らせていた出来の悪い頭脳は、何時しか如何に労せず人を殺めるかと考え始めざるを得なかった。
 戦術の研究、兵器の特性の理解といった勉学のそれ自体を学ぶことに苦はなかった。
 だが、と彼はここで付け加える。
 これはゲームではなく現実であり、人を殺す術であるという事を忘れてはならない。
 元来、好きでもない事に思考を割き続けるという事は、ただの苦痛でしかない。知識の吸収という面において、それは自身の成長に繋がるのだろう。
 しかし、常にソレ自体に思考を引っ張られ続けるというのは不愉快も甚だしい。
「着いちゃったよ……」
 故に、彼は読みかけの本をパタンと閉じ、すでに慣れ親しんだ溜息を大きく吐くに至る。
「司令官、月面基地より通信です。回線を開きますか?」
「これが最後だ、繋げ」
 そう言いうと彼は、自身にとって苦痛の象徴ともいえる玉座から立ち上がり姿勢を正す。
『これはこれは、マーズヒーロー(火星の英雄)様ではありませんか!』
 モニター越しに映し出されるは、なんとも丸っこい中老の男性。まるで腹に樽でも抱えているのではないかとすら疑いたくなる程のデ……。福与かである男は、地球圏第二星都、科学の進歩と人類の繁栄の象徴である月を収める、所謂大統領的な存在だ。
「ご無沙汰しております、パブロ卿」
『貴官の武功、この月においても聞き及んでおるぞ』
「小官の働きなどパブロ卿の功績と比べれば、矮小なものでございます」
『ハハハ、良く分かっているではないか! 火星の……何といったか?』
「ヴォルガ卿です」
『ああそうだったな。いやはや、ヴォルガは良い番犬を飼いならしたものだ。どうだ? 火星の田舎者に使えるのは貴官にとって分不相応だとは思わぬか?』
 このおべっかじじぃが。
「いえ、小官は火星での待遇に不満はございません」
『そうか、誠に残念よのぉ。それで我(われ)が誇る月へ遥々と何用か?』
「はっ、地球圏での地火合同演習への参加の折、補給を頂きたく参上した次第です」
 事前の連絡は既に行っているはずだが、という恨み事はこの際どうでもいい。
『良いだろう。貴官の要請を受諾しよう。それと、今夜パーティーがあるのだが、貴官もどうかね』
 さっさとこの通信を終わらせなければ……、私の血管が持たない。
「軍務中に付き、丁重にお断り申し上げます」
『堅物よのぉ。つまらん男だ』
 パブロは最後にそう言い残し、一方的に通信を切断した。
「お疲れ様でした。司令官」
「ああ」
 副官からの労いに適当に応えつつ、彼は命令する。
「全艦、第一種戦闘配置。第二船速にてアルデン粒子を戦闘濃度で散布、全砲門開け!」
 そして、その言葉を皮切りにそれまで粛然とした艦内に警報が響き、荒れ始める。
「第一種戦闘配置を発令。総員、合戦用意。繰り返す、合戦用意」
「了解、第二船速ヨウソロー!」
「デコイ射出開始。電磁バリア、オンライン。出力六〇パーセント」
「火器官制システムオンライン。並びに飛行制御リミッター解除、艦内重力消失します」
 迅速に配置転換を行い、適格に報告を上げる部下に感心しつつ彼は嘆く。
 ここから先は、後戻りは出来ないという事実。
実質的な地球圏の植民地となり不条理を強いられ火星の独立という民衆の悲願。そして、それを表面的には支持していたパブロの殺害という任務の意味。
「司令官、パブロ卿より緊急の通信が」
 まったくもって無意味だ、と。彼は思わずにはいられない。
 しかしながら、彼は軍人であり民間人ではないという単純な事実が、現実が彼を駆り立てる。
 地位が、立場がある以上、責任とは常にお付き合いし続けなければならないのだ。
 しかし同時に、彼はこうも考える。そんな彼女は嫌だ、と。
 純情無比たるピュアピュアボーイの彼は、未だに空から美少女が降ってくるという幻想を捨てきれずにいる程の夢見勝ちな司令官だ。それはまさに、子供がサンタさんの存在を信じて疑わない様に、ソレは彼にとって幻想的であると同時に、途方もなく稚拙な妄想でもある。しかしながら、なんと残酷な事か。現実に降り注ぐのは美少女ではなく砲弾とビームの嵐という事に、彼は失望をこらえ切れない。
 尤も、仮に美少女が降ってきたとしても、恐らく目の前で落下死するだろうと、彼の愚かな脳でも理解しているのだが……。
 誰が望んで剣林弾雨の如き戦場に赴きたいと思うのだろうか。
「切れ」
短く返した彼の声音には、もはや一切の迷いはない。
あれも、これも、もはやすべてはパブロが悪い。そういう事にしよう、と。彼は思考を投げ捨て眼前の職務へと集中する。
「全艦に通達。目標・月面都市連邦議事堂および一等居住ドーム群」
 だが、これでどう転ぼうと私の名は確実に歴史へと刻まれるという、一抹の懸念が頭を過った。
 一方は火星独立の為に戦った英雄として。もう一方では、罪なき民を虐殺し、戦争の引鉄を引いた咎人として。
「報告! 月面艦隊の展開を確認。総数、およそ二〇〇!」
 なんとも忌々しい事に、もはや避けようがない現実が故に、彼は考えを禁じ得ない。
 どうしてだ、と。
「問題ない。所詮は一世代前の旧式だ」
 問題しかないという内心を押し殺し、彼は命令を下す。
「全艦、突撃体形を形成。押し通れ!」
 一通りの指示を終えた彼は姿勢を崩し、自身の玉座へと腰を下ろして閉じた本を再び開いた。
 もはや、事は私の手を離れた。
 これから始まる参事も、彼に問ってすでに対岸の火事に等しいのだ。旧式の艦隊を殲滅し、パブロを殺害して帰還する。単純明快であり、簡単な任務だ。
 言うなれば、子供がママに頼まれたお使いに出かける程度の仕事でしかない。
何故ならば、これは戦闘ではない。
これは、蹂躙だ。
「敵艦砲撃を開始!」
 あるオペレーターが叫ぶ。しかし、発射されたビーム兵器は距離を追うごとに減衰し、着弾する頃にはすでに兵器かも怪しい程に弱体化されていた。
「こちらの有効射程まで、およそ一〇〇!」
 火星で発見された最新技術の結晶であるアルデン粒子と呼ばれるアルデン博士が見つけたソレは大気中に漂う電子を取り込むという、非常に優れた特性を備えていた。
何とも安直で傲慢な命名だな、という思考はその辺に置いておくとして、ソレは凝縮した電子を一方向に発射するビーム兵器とは、非常に相性が良い代物だった。
「アルデン粒子濃度、レベル五に到達。通信回線が遮断されました」
 しかし、同時に電子を蓄えた無数の粒子は互いに干渉し、一時的な磁気嵐を発生させる。その結果として、短時間の通信障害が発生するのが玉に瑕というところではある。
 だが、物は使いようだ。
 我々は既にどのように行動するかを複数案用意し伝達済みである以上、ソレは緊急発進してきた敵艦隊の連携を阻害するという形で友軍の利となる。
 そして、何よりもビーム主兵主義の結果として、対ビーム加工に全力を注いだ敵艦の装甲は実弾に対して非常に脆弱だ。
 熱量で装甲を融解させるビーム兵器対策の結果として、表面装甲の対ビームコーティングが採用された。そして、表面のコーティングで全て解決する以上、装甲に厚さは必要ないとの結論に至ったのが運の尽き、と言ったところだろうか。
「敵艦隊、有効射程まで三……ニ……一……、撃ちー方はじめっ!」
 故に、これは戦闘ではなく、蹂躙なのだ。
 兵器の性能によって開いた戦術では埋めきれない程の圧倒的な格差、それは何処までも残酷な現実を敵へと押し付ける。
 ビームが効かない? ならば運動エネルギーで、物理で殴れば良いではないか、と。そう唱えた同志脳筋に、今だけは感謝するとしよう。 
 そして、およそ三〇分程度たった頃だろうか。既に敵は艦隊と言える程の戦力も統制すら欠いた物へと成り果てていた。
 これが権力に胡坐を掻き、我欲に塗れた政治の結果であるのだから非常に嘆かわしいものだ。故に、彼は敵ながら彼らへの同情を禁じ得ない。
 上官が有能あれば、これ程までに無価値な死に直面する事は無かったのだから。
 多くの血が、何の意味も無く流れるという事は非常に感化しがたい事であると同時に、戦略資源と人的資源の途方もない無駄遣いですらある。
 今頃、ダース単位で流れ着く魂の群れに、三途の川の渡し船も困惑している頃だろう。
 そうして、読みかけの本を熟読している間に終わった戦闘は、我が方の圧勝で幕を閉じた。
 前菜は平らげた。次はメインデッシュを頂こうではないか。
「アルデン粒子濃度レベル四。間もなく通信が復活します」
 元来、博愛主義者擬きである彼は、無駄に命を散らした敵兵士の分までパブロの豚野郎にその責を取らせんと艦隊を進める。
 ある将軍の残した言葉だが「真に恐れるべきは有能な敵ではなく、無能な味方である」というのがある。
 また、ある者は軍人を四種類に分類した。有能な怠け者、有能な働き者、無能な怠け者、そして、無能な働き者だ。一から三番までは使い道がある、しかし、四番目の無能な働き者だけは使い道が無い。この説を説いた当の本人ですら「今すぐ殺せ」と言わざる負えない程に、邪魔な存在ですらあるのだ。
故に、働き者かは存じ上げないが、無能で邪魔なパブロ卿にはご退場願うとしよう。これは、火星の主であるヴォルガ卿の望みでもある。
上官がやれと申すのであれば、実行するのが軍人である以上、仕方ないのだ。
「全艦、核兵器を使用する。射線上より速やかに退避せよ」
 そう、これより如何なる惨事が発生しようと、それは私の責任ではない。
「セーフティー解除、発射管解放します」
 それまで旗艦である彼の乗る船を守る為に前方に展開していた無数の戦艦が、上下左右に広がり射線上から退避して行く。
「司令官、認証をお願い致します」
副官に差し出された端末に指を乗せて認証を完了した彼は、大きく息を吸い、吐き出す。
「火星に栄光を!」
 そして、思ってもいない事を声高々に宣言し、彼は発射のスイッチを押した。
 いとも簡単に、呆気なく、と言うべきだろうか。スイッチ一つで発射された大量破壊兵器は、それこそ、あっという間に月を地獄へと変えた。
 人類の、地球の繁栄の象徴たる月面都市は、一瞬の灯の間にガラスの大地へと姿を変え、真空の大地に栄光と繁栄を築き上げたドーム群は塵すら残らず消え去った。
「同胞諸君、賽は投げられた。繰り返す、賽は投げられた」
 まったく、核兵器とは恐ろしいものだ。
「今こそ、火星に住まう全ての者達の為に、諸君一人ひとりの奮戦を期待する」
 誰だよ、宇宙空間は既に放射能塗れだから、核使っても問題ないとか言い出した奴は。
「全艦、任務完了。即時撤退を開始せよ」
 眼前の大虐殺に意も介さず、わっと湧き上がる友軍諸君の有様はまさに、世も末という言葉を体現している。 
だからこそ、彼は自身の真紅に汚れきったおててを見つめ、切に思うのだ。
お家に帰りたい、と。

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