原罪

眠りとは、自由であるべきだ。
 眼下に広がる光景を前に、私は切に願う。どうか、自由たれ、と。
 湯気立つ珈琲を嗜み、ガラス越しに一望できる大量の培養カプセル。ただでさえ無機質な空間、白一色の施設がさらにそれを引き立てている。
 そしてカプセルに囚われた無数のクローン、その光景はまさに悪趣味である、と。感情が希薄な私でさえそう思う程だ。
「異常は無いかね。助手」
「異常ありません。博士」
 無機質に、ただ簡潔に。無機質な空間で、指定された時刻に指定された内容の確認を忠実に行う。自身が有機質である事さえ、この空間では忘れられるほどに。
 睡眠という行為は本来、生物がその身体を維持する上でとても重要な役割を持つ。
 だが、ここでは違う。
 この施設において〝眠る〟という行為は、システムの処理装置となり果てることを意味するのだから。
高度に発達した科学は、人々から倫理という枷を外してしまった。
ここは総合統括システムと呼ばれる物を管理している。それは、都市の無人車両やドローンといったものから、ガスや燃料、電気の供給など。ありとあらゆる生活インフラを一挙に管理する革新的で、夢の様な代物だ。
 だが、同時に膨大なデータを管理するには途方もない演算処理が必要なのだ。
そこで科学者が目を付けたのは、最も身近にあり、最も禁忌とされるもの、人間の脳だ。脳は人体を維持する為に、常に途方もない演算をこなしている。脳科学の発達により、人間が意識的に使用できている領域は僅か数パーセントにも満たない事が判明した。
 ならば、AIにより効率的にその機能を管理したならばどうだろうか? そのような疑問を持つ科学者が出現することは、まさに必然だろう。
結果。処理能力の観点だけで見た場合、スーパーコンピューターですら凌駕する結果を得ることに成功してしまったのだ。であれば、使わない手はないだろう。
 身近に無数に存在し、地球上に八〇億もいるのだ。百人やそこら失踪した所で大した問題ではない。だが人間というのは非合理的な生き物だ。倫理という、人々の感情という枷がそれを許さない。
 少数の犠牲で大多数の人類が幸福に生きられる。だが、人間のちんけな正義感が、非合理的な感情が、それを拒むのは自明だ。
 
 思考を変えよう。
 
 一人の子供と一〇人の老人がいるとしよう。どちらか片方を救えば、片方が死ぬ。簡単な問題だ。
 数で見たならば一〇人の老人を生かすべきだろう。だが、本当にそれは正しい選択だろうか?
 一〇人の老人はすでに生産性を欠いた、いわば死を待つ存在にすぎない。だが、一人の子供はそうではない。彼は原石であり、教育という加工を施すことにより、彼はその真価を発揮するのだ。
例えるのであれば、一〇個のひび割れた歯車を捨てる事により、新品の歯車が一つ手に入るとしよう。そう考えた時、なるほど。老人を生かす理由が見つからない。
 だが、子供一人をクローン二〇人に置き換えるとしよう。
 そうした時、人間は老人を生かす選択を取るだろう。新品の歯車二〇個よりも、ひび割れた歯車一〇個を選ぶのだ。正しく非合理的であると言う他にない。人工的に作られたクローンに、人権など存在しないのだ。
 少数の犠牲を拒むが故、その犠牲を人口的に作り出した他者へと強いる。
「クローンは人間ではないのだから」という冤罪府を盾に自身を納得させ、目を背けるのだ。自身の小さな自尊心を守るために。
そうして身体的、ましてや思考する自由でさえ持たない彼等を前に、私は願うのだ。
いや……、違うな。願う事しか出来ないと言った方が正しいだろう。
故に、眠りとは、睡眠という行為自体が、自由たれ、と。眼下で眠る幾千もの同胞に対し、目覚める事すら叶わぬ同胞に対して。
 人間というのは数百年の時を経ても尚、本質は何も変わらない。搾取(奴隷と)する対象が時代と共に変化して行くに過ぎない。まさに、悪趣味と言わざるをえないだろう。
「D1708号、交代だ」
 扉が開き、聞こえる声。
 自分の声を聴くというのは、何とも形容しがたい心境である。が、これも複製体の宿命だろう。同じオリジナルを元に作られたのだから、同じ顔に同じ声になるのは仕方ない。
「D1710号、後は任せた」
 冷めた珈琲を飲み干して彼に応え、私は管理室から退出する。
 この施設には人間はいない。AIが全てを管理し、我々(クローン)がその指示に従うのだ。人間の精神的な負荷を軽減する措置、と。理解はしているが、いやはや、人間というのは我儘なものである、と。自分が呆れるという感情を抱いている事に多少の驚きを覚える。
 そして、目的地に着き、目の前にあるのは一つのカプセル。
 さて、眠るとしよう。
 次は何年後に目覚め、何か変化があるのだろうか、という期待。同時に、そもそも目覚める事は出来るのか、目覚めたとしても何も変わっていないだろうという諦めの感情。前回も前々回もそうだったように。
 微かな期待。自由であるならば、その方が良いだろう。
 だが今、私がそれを考えた所で未来が変わらないという事は自明だ。ならば、大人しく眠るとしよう。未来は、未来の私に任せれば良いのだ。

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