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愛するということ

好きな人とお付き合いすることになった。

ずっとずっと好きで、最後の方はもう何で好きなのか理由が分からなくなっちゃうくらい好きだった。

以前お付き合いした人は、相手からアプローチされて付き合って、結局私が好きになりきれなくて別れた。だから次に付き合う人は絶対に自分から好きになる人と決めていた。

そんな願いも叶って、今や私の好きな人も私のことを好きでいてくれる。とても嬉しいし満たされた気持ち。

彼は私のことを大切に思ってくれていて、お互いの弱みを開示して受け入れて、長期的に関係を築きたいと思ってくれている。とても嬉しいけれど、正直「好きな人」から「彼氏」になると、軽々しく物を言えないなと思う。

「大事にするよ」って言われると「どうしよう、私も彼を大事にしなきゃ」とか「そこまで責任取れないよ」とか考えちゃう。本当はとても大好きなのに、変に責任感を感じてしまう。それはこれだけコミットしてくれているんだから、自分もコミットしなきゃって。

以前から友人関係もそうだった。中学時代の仲が良かった友達に過剰に依存されてから、どれだけ好きでも自分も他人もお互いに依存しない関係を築きたいなと思うようになった。

大好きなはずの彼との関係なのに、強張って責任感を持ちすぎちゃダメ。気楽に行こう。自然と「この人のために生きたい」「この人を幸せにしたい」って思う瞬間がくるから。焦って無理矢理今そう思わなくてもいい。

私が好きな小説、「君の名前で僕を呼んで」。


最初は、タイトルにもあるような互いを自分の名前で呼び合うということが理解できなかったけど、映画を見て何となく自分なりに解釈した。愛っていうのは、互いの境目がわからなくなるほど自分と他者が溶け合うことなんじゃないかなって。だからあなたは私だし、私はあなたでもある。

またまた別の芸術作品。数年前に見たツイートで、ムンクの「接吻」のモチーフは「愛は個人の喪失」らしいということを知った。これを聞いて何かが腑に落ちた。

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誰かを愛するということは、ムンクが描いたように自分と他者が溶け合って一つになってしまうこと。エリオがオリヴァーと呼ばれ、オリヴァーがエリオと呼ばれたように、私も彼で、彼も私になるということ。

やっぱりそうやって溶け合うには、燃えるような熱い情熱も必要だけど、お互いの傷や弱さを相手に見せる勇気、抱擁する勇気が必要なんだ。

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