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また、未来でね

 みなさん、こんにちは。……あ、時間的にはこんばんはですね。私は夏目かこって言います。夏目書房で時々お店番をしてるので、知ってる人もいるかもしれませんね。

 みなさんはタイムトラベルって聞いたことありますか? きっと一度はありますよね。有名なのはホーキング博士の研究でしょうか。難しくて理論はあんまりわかりませんでしたけど……エントロピーがどうとか……? あとはマギえもんもありますね。青いネコロボットが未来からやってくる漫画。『私のどら焼きがないわね……私の……』は有名な台詞ですね。

 ホーキング博士は、過去へのタイムトラベルは不可能だって言ってたみたいです。でも、それって本当なんでしょうか。魔法少女が存在するこの世界で、不可能って存在するんでしょうか。

 ……え、どうして私が突然こんなことを考え始めたか、ですか? うーん……現実逃避、でしょうか。

「なーかこ、お願いだからー!」

 目の前にいるフェリシアちゃん……自称、未来から来た……から、意識を背けるための。


また、未来でね


「おい、かこー! 聞いてんのかよ!?」

 フェリシアちゃんのそっくりさんが私を揺さぶった。その手は今の……じゃなくて本物のフェリシアちゃんよりもガッシリとしていた。反射的に顔を上げると、鼻先10センチメートルくらいの距離に顔があった。ぱっちりと開いた目とか、微かに幼さを残す整った顔立ちとかは、本当に数年後のフェリシアちゃんに見えて。

「かこー?」

 頬に触れてきた手は、雪の中歩いてきたみたいな冷たさだった。……違う、私の顔が熱くなってるんだ。

「あ、あの、ええええ、えと」

 顔だけじゃなくて、頭まで茹だっちゃってる。まだ本物かどうかなんて全然わからないのに、どうしてこんな。

「か、顔……離して……くださ……」

「お、わりーわりー」

 力を振り絞って伝えると、そっくりさんはあっさり引いてくれた。胸をおさえて息を整える。

「大丈夫かー?」

 フェリ……そっくりさんがのんきに心配してくる。あなたのせいです! って言いたいのをぐっと堪えて向き直る。

「……ええと、まずあなたは」

 改めて、さっきの発言を再確認する。もしかしたら聞き間違いかもしれないから。

「だから、言ったじゃんか! オレは深月フェリシア! 5年後から来た! 18歳の!」

 聞き間違いじゃなかったみたいだった。言うことを信じるなら、この人は5年後のフェリシアちゃんで、タイムトラベルしてきたみたいだった。

 …………。

「なんで信じてくんねーんだよー!」

 自称未来のフェリシアちゃんは、ジタバタと暴れ始めた。今はお客さんがいないからいいけど、やっぱりやめてほしい。

「本当に未来のフェリシアちゃんだとして……どうしてうちに来たんですか? みかづき荘に行ったほうが……」

「あそこ大所帯じゃんか。あんまりこれが広まっても面倒だし」

「やっぱり偽物ですね!」

「なんでだよ!」

 私は変身しようとしたけど、フェリシアちゃんの手が卵型に戻りかけたソウルジェムを押さえ込んだ。私より一回り大きいフェリシアちゃんの手が、私の手を。

「お、また赤くなった」

 ……そんなこと、言われなくてもわかってる。

「なあ、頼むよー……。どうしても信じられねーか……?」

 自称フェリシアちゃんは弱った表情をした。それは、お腹が空いた時とかによくする表情とそっくりで。……それに、本物かどうかわからないけど、フェリシアちゃんが私を頼ってくれたっていう、そのことが嬉しくて。

「あ、変身してみせんのが手っ取り早いか?」

 フェリシアちゃんはソウルジェムを掲げると、一瞬の後、紫色の光と共に変身した。魔法少女の衣装は、よく知っている紫色のもので。帽子を脱いでる以外何も変わってない。変身後の衣装は調整するくらいでしか変えられないはずだから、幻惑魔法でも使わない限り、そうおいそれと他の魔法少女に変装もできない。……怪しい部分がこれでゼロになった、っていうわけじゃないけど。

「わかりました」

 私は、信じることにした。

「よっしゃ! ありがとな、かこ!」

 未来のフェリシアちゃんは、今と全然変わらない笑顔になった。……このフェリシアちゃんが来てからの私は、どこかおかしい。ずっとドキドキしてる。

「メシと寝床確保っと。ふー」

 フェリシアちゃんは変身を解いた。私は改めて5年後の姿を観察する。服は上が白いインナーと袖を捲った緩めの赤いブラウス、下は白いアンクルパンツ。黒いブーツ履いてる、いつもスニーカーだったフェリシアちゃんが。長かった髪は肩口でばっさり切られてる。背もずいぶん高くなってて、170センチは超えてそう。やちよさんみたいに雑誌に載ってても全然おかしくないくらい、未来のフェリシアちゃんは綺麗になっていた。

 私、釣り合うかな。ふと、自然に浮かんできた思考に驚く。お友達と釣り合うかどうかなんて、気にすることじゃないのに。本当に私はどうしちゃったんだろう。

「かこー、今日はそろそろ……」

 その時、裏口からお父さんが顔を出した。お父さんはフェリシアちゃんを認めて、目を瞬いた。

「え……かこのお知り合い……?」

「はじめまして! 妹がよくお世話になってるみたいだな!」

 妹? ……あ、そういう設定?

「オレ、深月フェリシアの姉のミライってんだ! 今日かこの部屋泊まるから、よろしくな!」

「えぇ!?」

 お父さんは困惑して、私に助けを求めるような視線を向けた。知らない人がいきなりこんなにグイグイ来たらそうなるよね。私は安心させるように微笑んだ。……多分、苦笑混じりの。

「うぅん……? まあ、かこがいいならいいが……。ああ、もうそろそろ上がりな」

「うん。ありがとうお父さん」

 フェリシアちゃんを胡散臭そうに横目で見ながら、お父さんは奥に戻っていった。フェリシアちゃんは何も気付いてないみたいに「そろそろメシだな!」って笑ってる。

「それより、ずっと気になってたんだけど……」

「ん?」

 なあなあで受け入れちゃってたけど、これだけは聞いておかなくちゃいけない。

「どうやってタイムトラベルしてきたの?」

「そんな話か。メシの後でな」

 そんな話!? 人類の夢の一つだよ!?

「それより、オレ腹減って仕方ねーんだよ。財布も未来に置いてきちゃったしさー。さっさと店閉めてメシ食おーぜ」

 ……こういうところ、フェリシアちゃんなんだなあって実感できる。でもね、多分夜ご飯はもうちょっと後だよ。


 私の予想通り、夜ご飯はお店を閉めてしばらく経ってからだった。いつもだったら料理のお手伝いをするんだけど、今日はお腹が減って不機嫌なフェリシアちゃんを宥めないといけなかった。ごめんなさい、お母さん。……お腹が減ると唸り始めたり、ご飯に目を輝かせたり、そういうところは5年経っても変わってないんだなあ。なんとなく嬉しかった。


◆◆◆◆◆


「うー……ごめんな、かこ」

「ううん、全然!」

 2階にある私の部屋。フェリシアちゃんは紫色のパーカーパジャマを着てる。サイズの合いそうな着替えがなかったから、近くのお店に二人で行って急いで買ってきた。フェリシアちゃんは私にお金を借りちゃったことに対して申し訳無さそうにしてるけど、本当にいいのに。

「ぜってー未来で返すから! 覚えとけよ、かこ!」

「う、うん……」

 覚えとけよって、あやめちゃんに言ってるのはよく聞いたけど。私に言われるのは初めてだなあ。

「それで……」

「ん?」

「タイムトラベルの詳しいところ!」

「あーそれか」

 フェリシアちゃんの返事は、それがペンか訊かれたくらいの軽さだった。もしかして、未来ではそんなに簡単にタイムトラベルできるの? でも理論的に不可能って……でも魔法少女がいるから……。

「いつもの灯花たちの実験だよ。マギアストーンでエントロピーを凌駕するだのなんだの……まさかマジで飛ばされるなんてなあ」

 灯花さんとねむさん。直接お話したことはないけど。噂はよく聞いてる。元マギウスのトップで、大人顔負けなくらい頭が良くて、今も解放のために色々してるとか。ななかさんはあんまり良い感情を持ってないみたいだけど……。

 実験に巻き込まれたってことは、いくら未来でもタイムトラベルは一般的じゃないみたい。でも、こうして未来のフェリシアちゃんが来たってことは、もうすぐそうなる可能性もないわけじゃないんだ……SF小説みたい……。

「マギアストーンって?」

「すげー赤い石。1年くらい前からめちゃくちゃ流行り始めたんだよ。オレにはよくわかんねーけど」

「へえ……」

 マギアストーン。聞いたことないなあ。赤いってことはルビーみたいな見た目なのかな。……あれ?

「そういえば、この時代のフェリシアちゃんはどうなってるの?」

「さあ、知らねー」

 私の結構深刻な疑問を、フェリシアちゃんはさらっと受け流した。いや、知らないじゃ済まないよ!

「未来のフェリシアちゃんがここにいるってことは、今のフェリシアちゃんが未来に飛ばされてるかもしれないよ!?」

「はぁ? なんでそう思うんだよ」

「それは……エネルギー保存則とか……時間の修正力、みたいな……」

「本ばっか読んでるからそういうこと考えるんだろ」

 ……ちょっとだけイラッとしたのは置いといて、未来から来たフェリシアちゃんが言うならそうなのかな。でも、こういうときって大体……やっぱり修正力とかが……。

 その時、軽快な音楽が聞こえた。私のスマートフォンからの、デフォルト着信音。画面に映る名前に驚いて、2回スワイプを失敗してから電話に出る。

「もしもし、ななかさん!?」

『夜分遅くにすみません、かこさん』

 珍しい、ななかさんからの電話なんて。緊急時とかじゃない限り、あんまりかかってこない。……もしかしたら、今がその緊急時なのかもしれないけど。横目で見ると、フェリシアちゃんは苦い表情をしていた。まだななかさんのこと苦手なのかな。

『お聞きしたいことがあるのですが……今日、フェリシアさんを見ていませんか?』

 やっぱり。予想が当たって嬉しいような、焦るような。

「……うーん、今日は学校から帰ったらすぐにお店番をしていたので、フェリシアちゃんは特に……」

 ななかさんに嘘つくの、すごい緊張する……! でもフェリシアちゃんはあんまり広めたくないって言ってたし……それにお店番してたのは本当だし。

『…………。そうですか。これはやちよさんからの情報なのですが、どうやらフェリシアさんが帰ってこないようで』

「っ……!」

 全然私の考えすぎじゃなかった!

『あまり騒ぎにはしたくないとのことで、一部のお知り合いにしか話していないようなのですが。かこさんは仲がよろしいようですし、もしかしたらと……』

「フェリシアちゃんが……。ごめんなさい。私何も……」

 ちょっとした沈黙。心臓がドキドキする。さっきフェリシアちゃんに対してしたものとは、全然違う感じに。

『……そうですか。ありがとうございます。それでは、おやすみなさい』

「いえ……おやすみなさい」

 大丈夫そう。ほっと胸を撫で下ろす。

『信じますよ、かこさん』

 通話が切れる直前、ななかさんはそう言った。体の芯がすっと冷えたような気がした。

 バレてる。確信できる。ななかさんは、私がなんらかの隠し事をしてることに気付いた。どうしよう、ななかさんたちに問い詰められたら、私……!

「どうしたかこ、すげー汗だぞ!」

 フェリシアちゃんが私を心配そうに覗き込んだ。澄んだ紫色の瞳の奥に、青褪めた私が映ってる。

 私は段々落ち着いてきた。多分自分自身の姿を客観的に見ることができたから。それと……フェリシアちゃんが心配してくれたから、かも。

「なんでもないけど……えっと、やっぱり今のフェリシアちゃん、いなくなっちゃってるんだって」

「えぇ!? 嘘だろ!? かこの言った通りじゃんか!」

「やちよさんたち、きっとすごく心配してるよ……。早めに未来に帰るか、みかづき荘に行くかしたほうがいいんじゃ……」

 みかづき荘で、まるで娘みたいに大事にされてることは、フェリシアちゃん本人から伝え聞くだけでもわかる。そんなフェリシアちゃんが何も言わずにいなくなっちゃうなんて……。私だって突然連絡が取れなくなったら、きっと不安で胸が張り裂けそうになると思う。

「んんー……でもなー……」

 なのに、フェリシアちゃんはいまいち気乗りしないみたいだった。そんなに帰りたくない理由が、未来にはあるの?

「せっかく昔に来たんだから、観光とかしたいしなー……」

 ……観光……!? みんなの安心より、観光を取るの……!?

「お、いいこと考えた! かこ、紙とペン!」

 フェリシアちゃんは手を突き出してきた。わけもわからず渡すと、紙に何事か書き殴り始める。私は肩越しに覗き込んだ。

「……未来に行ってくる……」

「これで完璧だろ!」

 フェリシアちゃんは紙を折って、私に突き出す。

「これ、うちのポストに入れてきてくれ!」

「わたしが!?」

「オレもう着替えちゃったしなあ」

「私だってもうパジャマだよ!」

「それに見つかると面倒じゃんか」

 うぐ。正論だった。でも、だからってこれは……。

「未来に行ってくる、って……」

「今のオレは代わりに未来にいるんだろ? 多分だけど。なら合ってるじゃんか」

 そうかもしれないけど。伝わるかなあ……筆跡は確かに今のフェリシアちゃんとあんまり変わらないけど……。……私は味があって良いと思うよ。

「じゃ、任せたぞー」

 フェリシアちゃんはひらひら手を振った。……未来の私、フェリシアちゃんとよく喧嘩してるんじゃないかな。そんな考えが、ふと浮かんだ。

「もう……。わかりました。お留守番お願いね」

「任せろ! いってらー」

「いってきまーす……」

 玄関から出てお父さんたちに見つかるわけにもいかないから、私は変身して窓を開けた。このまま魔法少女の脚力で屋根を渡って、みかづき荘に届けて、すぐに戻ってくる! 私は神浜の空に身を躍らせた!


◆◆◆◆◆


 まだ一回も行ったことはなかったけど、検索すればマップアプリにも出るから、みかづき荘にはすぐに到着した。門の前に降りて、ポストにフェリシアちゃん謹製のお手紙を投函する。

「ふー……!」

 任務完了。この距離も体力的には苦じゃなかったけど、色々考えちゃって精神的には辛かった。魔法少女は身体能力を魔力でブーストできるけど、精神はどうにもならない。

 とにかく、ここまで来たら後は帰るだけ。私は後ろを振り返って。

 小さな女の子と鉢合わせした。

 女の子の髪は薄めの桃色で、小学生くらいの見た目だった。こんな時間に小さな子が出歩くなんて危ないなあ。大人から見たら私もそうなんだろうけど。お家どこだろう、送ってあげたほうがいいよね。

「魔法、少女……?」

 そのとき、女の子が呟いた。私は咄嗟に自分の姿を見下ろした。変身してる、こんな姿してたら確かにバレる! ……違う、この子、魔法少女を知ってる? 私は女の子の左手中指を見た。そこには指輪が嵌められていて、デザインもほとんど私と同じもの。

「あなたも……!?」

「うん!」

 女の子はソウルジェムを掲げて、確かに変身した。黒を基調とした衣装の、可愛らしい魔法少女に。

「わたし、環ういって言うの!」

 環ういさん……。ういさん? 聞いたことある。確か前にフェリシアちゃんが……。

「あなたは?」

 思い出す前に名前を聞かれて、私は慌てて答える。

「わわ、私、夏目かこって言います!」

「かこさん……聞いたことある! フェリシアさんがよく話してる!」

「そうなの? というより、やっぱりういさんも……!」

「うん! フェリシアさんのお友達!」

 思い出した! 前にフェリシアちゃんが「なんかあいつ気に食わねー」って漏らしてた相手! 話してる感じ、すごく良い子で気に食わない感じなんて全然しないけどなあ。

「そう、フェリシアさん! フェリシアさん知らない?」

 ういさんは改めて思い出したように尋ねてきた。そうだよね、ういさんはフェリシアちゃんを探してたから外に出てたんだよね。でも……。

「ご、ごめんね。私も知らなくて……」

「そっか……」

 ういさんは落ち込んだ表情になった。ななかさんに嘘をついたときは不安でいっぱいだったけど、今は違う感じに心が痛い……! ごめんね、ういさん……。

「あ、え、えーとね! さっき誰かがお手紙入れてたから、ポスト見てみるといいかもしれません!」

「え? うん……」

「それじゃあ、私は帰るね! またお話しようね!」

「うん! またねー!」

 足早に立ち去る私を、ういさんは何も疑わない純粋な笑顔で見送ってくれた。……フェリシアちゃん……私すごく悪い子になっちゃったような気がする……。


◆◆◆◆◆


「おーかこ、おかえりー」

 私が家に帰ってきたとき、フェリシアちゃんはスマートフォンを壁にかざして、プロジェクターみたいに漫画を読んでいた。凄いね、あと5年でそんなに技術発達するんだ。そんなことを言う気にもなれなくて、私は変身を解くと、べしゃりと潰れるみたいに絨毯に落ちる。

「フェリシアちゃん……ういさん、すごく良い子だった……」

「ああ、ういはなんつーか天使みたいだよな」

「全然! 気に食わない子じゃなかった!」

 詰め寄ると、フェリシアちゃんは困惑した表情で後ずさる。

「なんの話だよ! 昔のオレの話か? もう忘れたよ!」

「ういさんに嘘つくの……罪悪感がすごかったぁ……」

「あーそ。よしよし」

 フェリシアちゃんはガシガシと私の頭を撫でた。嬉しくなった自分が嫌になって、私はベッドに頭まで潜り込む。

「もう寝んのか? はえーな……ってもかこはこの時間には結構寝てるか」

 なんで知ってるの。もう問い質すことすら億劫で、私は無視した。

「なー、ところでオレはどこで寝ればいいんだ?」

 フェリシアちゃんが揺さぶってくるから、私は顔を出して、自分の部屋を改めて見回した。部屋は本棚と衣装箪笥、他ベッドとかがほとんどを占めていて、新しく布団を敷く余裕はない。改めて確認すると結構狭いなあ。

「……外」

「おい!」

「冗談だよ!」

 牙を剥き出すフェリシアちゃんを宥めて、真剣に考える。客間で寝てもらう……全然知らない人がいたらお父さんたちも落ち着かないよね……。ホテルのお金を出してあげる……私のおこづかいだと厳しい……。……じゃあ……。

「わーったよ」

 フェリシアちゃんはため息を吐いて、窓を開けた。冷たい空気が流れ込んでくる。

「どうするの?」

「外で寝る」

「でもお金は……」

「だから、その辺の屋根で」

「ダメーっ!」

 窓に足をかけたフェリシアちゃんを掴んで引き止める。

「なんだよ! 道路じゃないだけいいだろ!」

「そういう問題じゃないよ!」

「寝る場所ねーんだろ!」

「わかりました!」

 パン、と私は手を叩いた。フェリシアちゃんはちょっとだけ肩を跳ねさせる。

「私と一緒に寝ましょう!」

「一緒って……そのベッドで?」

「はい。これが最適解です」

「んー……でもなー……」

 フェリシアちゃんは渋い表情をしていた。いつもなら寝床が見つかったって喜びそうなのに、成長して変わったのかな。

「また浮気って言われそうだしなあ」

 フェリシアちゃんはぽつりと呟いた。浮気かあ。……浮気?

 浮気ってあれだよね。既に恋人がいるのに、他の人といけない関係を持っちゃうあれ。本でもよくテーマになるから、知識としてはよく知ってる。そっか、フェリシアちゃんもそういうこと疑われる側になったんだね。……え?

「フェッフェフェフェリシアちゃん!? 付き合ってる人いるの!?」

「声でけーよ!」

 フェリシアちゃんが私の口を手で覆った。私はその手を退ける。

「誰と!? どんな人なの!? 私の知ってる人!?」

「誰ってそりゃ……」

 フェリシアちゃんは困惑した表情になった。そして、すぐにブンブンと首を横に振った。

「って、言うわけねーだろ! 秘密だ秘密!」

「答えないと寝かせてあげない」

「いーだろ別に! 関係ねーだろ!」

「関係……!」

 関係は、ない。確かにそう。未来のフェリシアちゃんが誰と付き合っていようと、私には関係ないこと。だったらどうして、こんなに気になっちゃうんだろう。友達だから? きっとそれもある。でもそれだけなら、こんな期待と不安の入り混じったドキドキなんてしないはず。どうして私、こんなに……。

「ほら、この話は終わり! オレは外で」

「それだけはダメ!」

 フェリシアちゃんの手をしっかりと掴んで、逃げられないようにする。

「浮気でもいいから、ここで寝て」

 フェリシアちゃんは私をうんざりしたような目で見た。そして、ため息を吐いた。

「かこって昔から頑固だよなあ……。わーかりました。ここで寝りゃいいんだろ」

 フェリシアちゃんは窓を閉めて、ベッドの上に無造作に横になった。良かった。私は半分空いたスペースに潜り込む。

「狭くねーの?」「フェリシアちゃんこそ」「すごくせめー」「だよね。……ふふっ」「ははっ」

 ちょっとおかしくなって、二人でくすくすと笑う。少し肌寒い夜だから、フェリシアちゃんの温度が心地良かった。

「未来のフェリシアちゃんも、みかづき荘に住んでるの?」

「おう。つってもいないときも多いんだけどな。傭兵やってっから」

「傭兵、って……戻っちゃったの?」

「結果的にはな。でも今はあやめも一緒だし、昔みたいに仕方なくやってるわけでもねーし」

「あやめちゃんも傭兵に……。みんな心配してないの?」

「めちゃくちゃしてる。このはなんか、うちのあやめを危険な目に遭わせないでーって、すげー嫌われてるし」

「このはさんの気持ちもわかるよ……。フェリシアちゃんとあやめちゃんが帰って来なかったら、私……」

「オレたちだって死にたくねーから、そのへんは弁えてるよ。こういう話、未来のかこともしたなあ」

「未来の私と、フェリシアちゃんは仲良し?」

「んー? んー……まあ……」

「どうして言い淀んだの……?」

「別になんでも……」


 私たちは色んなことを話した。未来のことを教えてもらって、今のこと……フェリシアちゃんにとっては昔のこと……をたくさん教えた。そのうちに、フェリシアちゃんが先に寝ちゃった。いきなり昔に飛ばされて疲れてたんだろうな。おやすみなさい。……今のフェリシアちゃんとも、そのうちこんなふうに話せるかな……。


◆◆◆◆◆


 ふと、目が覚めた。部屋はまだ暗くて、カーテン越しには眩しいくらいの月も見える。スマートフォンで確認すれば、まだ深夜だった。こういう時間に起きちゃうと、朝眠くなっちゃうんだよね。ちょっとだけ憂鬱になりながら、全身を覆う眠気に再び身を委ねようとする。

「……う……」

 そのとき、小さく呻くような声が聞こえた。 重い瞼を持ち上げて、声の方向を見る。

 フェリシアちゃんだった。フェリシアちゃんの眉間には、苦しそうにシワが寄せられていて。

「フェリシアちゃん……?」

 どうしたんだろう。お腹痛いのかな。起こしたほうがいい? 眠気に回らない頭になんとか喝を入れて、すべきことを考える。

「……いたずら、なんて……あんなねがい、しなけりゃ……!」

 フェリシアちゃんは、掠れた声で呟いた。……私の眠気は、完全に消え去った。寝言の意味を理解したから。フェリシアちゃんは、知ったんだ。魔法少女になった瞬間を。自分の願いを。いくら時間が経ったって、その後悔と苦しみは、簡単に消えはしないんだ。

「……フェリシアちゃん」

 私はフェリシアちゃんを抱きしめた。フェリシアちゃんは悪くないなんて、そんな無責任な慰め方は私にはできない。だけど、せめて、苦しみを和らげてあげたい。支えてあげたい。

 フェリシアちゃんの表情は、やがて安らかなものに変わった。やっぱりフェリシアちゃんには、こういう表情の方が似合う。私は離れようとして。……なんとなく、フェリシアちゃんを観察した。

 まず目についたのは、長い金色の睫毛。次に、新しい本の紙みたいに滑らかな肌。長さは変わったけど今と変わらず跳ねてる、お伽話のお姫様みたいな金色の髪。外国のモデルさんみたいに均整の取れた顔立ち。血色の良い、唇。

 私の意識は、なぜかその唇に吸い寄せられていた。きっと柔らかいんだろうな。どんな感触なんだろう。さわり、たいな。恋人さんは、きっともう触ったんだろうな。……恋人さん。

 気付けば、私とフェリシアちゃんの距離は、数センチしか空いていなかった。あ……危なかった! フェリシアちゃんに背を向けて、爆発しそうな心臓を抑え込むように丸くなる。危なかった。もう少しで、本当に浮気させちゃうところだった。なんで私、あんなことしたんだろう。フェリシアちゃんに、どうして……。

「んー……かこー……」

 後ろから、抱きしめられた。フェリシアちゃんの熱が、背中から広がってくる。……フェリシアちゃん!? どうしたの、起きてるの!? ちょっとだけ振り向いてみると、フェリシアちゃんの瞼は変わらず閉じられている。寝てるみたい。……いや、寝てても問題だよ! どうして私の名前を呼びながら抱きしめてくるの! 真夏にも思えるくらい部屋が暑くて、心臓は破裂しそうなくらいにドキドキしてる。こんなの、絶対、寝れるはずない……!

 …………。

「……んあ」

 背中側から、フェリシアちゃんの声が聞こえた。窓の外からは雀の鳴き声。

「ん、まぶし……」

 フェリシアちゃんは私をぎゅっと強く抱きしめた。……数秒の沈黙。

「うわっ!? かこ!?」

 そして、弾かれたみたいに離れた。私は身体を起こして、フェリシアちゃんを振り向いた。

「やべえ、これ完全に……というかどうしたんだよ、隈すげーし顔もめちゃくちゃ赤いし……」

「フェリシアちゃんの……」

「あ?」

「フェリシアちゃんのバカーーーっ!」

「何がだよ!?」

 結局、あの後私は一睡もできなかった。フェリシアちゃんのせいです。


◆◆◆◆◆


「なーかこー。悪かったって言ってんじゃんかー」

 朝ごはんを食べたり、パジャマから着替えたりが終わった後。部屋に戻ってからも、私は怒ってますって態度を崩さなかった。そんな私に、フェリシアちゃんは大して真剣には謝らないで、面倒そうに本棚に寄りかかっている。

「第一、なんでかこが怒ってんだよ。暑かったからか?」

「違う」

「じゃあなんでなんだよ」

「寝れなかったから」

「オレのせいかよそれ」

 ……違う気がする。寝れなかったのは、勝手に意識しすぎた私自身のせいで。だからこれは、ただの八つ当たりでしかなくて。……まだ子供だなあ、私。

「ごめんね。フェリシアちゃんは悪くないよ」

 私はフェリシアちゃんに頭を下げた。

「睡眠不足で気が短くなってたんだと思う。それでフェリシアちゃんに当たっちゃって……」

「……本当か?」

 フェリシアちゃんは探るような目で私を見ていた。心の奥まで見透かされそうで、私は目を逸らす。

「かこがオレに八つ当たりするなんて……結構あるか」

 ……未来の私、怒りっぽくなってるの?

「ま、いいか! かこの機嫌も直ったし!」

 未来のフェリシアちゃんも、難しいことを深く考えない性格は変わってないみたいだった。八つ当たりしていた自分が、なんとなく恥ずかしくなってくる。

「それより、機嫌直ったなら行こうぜ!」

 フェリシアちゃんは立ち上がった。

「どこに?」

「神浜観光!」

 観光かあ。昨日も言ってたっけ。

「でも5年だよね? そんなに変わってないんじゃ……」

「結構変わったんだよなーそれが。ほら、行こうぜ!」

「わ、わっ!」

 フェエリシアちゃんに手を握られて、無理矢理部屋の外に引っ張られる。

「お、おい、かこ?」

 階段を下りると、ちょうどリビングにいたお父さんが目を丸くした。

「お父さんごめん、今日のお店番お願い!」

「ああ……いいけど……」

 お父さんは呆気に取られたまま、外出する私たちを見送った。ごめんなさい、お父さん。


「うっし、じゃあまずあの公園からだな!」

「待って、待って!」

 早速歩き出そうとしたフェリシアちゃんを止める。

「あー? なんだよ」

「変装とかしないとバレちゃうよ! もしななかさんたちに会ったら……」

「あー、そういやそうか」

 フェリシアちゃんはポケットを探った。取り出されたのはサングラスだった。

「これでバレねーだろ!」

 フェリシアちゃんは、そのサングラスを装着した。私は感心のあまり呻きそうになった。

 なんて完璧な変装なんだろう。これであの宝石みたいな瞳を見られなくなった。綺麗な金色の髪も合わさって、お忍びのモデルさんにしか見えない! これが成長したフェリシアちゃん……!

「どしたー?」

 フェリシアちゃんが不思議そうに私を見る。いけない、固まっちゃってた。「なんでもない!」って言って、私はフェリシアちゃんの後ろについていった。


◆◆◆◆◆


「おー、懐かしー!」

 フェリシアちゃんはジャングルジムに手をかけて、風みたいに上っていく。「危ないよー!」って声をかけたけど、聞こえてないみたい。

 最初に来たのは、3人でよく遊ぶ公園だった。未来のフェリシアちゃんがまず行きたい場所としてここを選んだのが、結構嬉しい。

「んー……けっこー低いな」

 あっという間に頂上に着いたフェリシアちゃんは、危なげにゆらゆら立ちながら、辺りを見回していた。いくら魔法少女だからって、ああいうことされると怖いなあ。いつももっと危ないことしてるのはわかってるんだけど……。

「ん? そこの台、なんで歪んでんだ?」

 フェリシアちゃんが指差した先には、歪んだテーブルがあった。ああ、懐かしいなあ。

「あれはフェリシアちゃんがあやめちゃんと腕相撲したときのだよ」

「腕相撲? そういやしたような……。まあオレが勝ったんだろうけど」

「違うよ。引き分け」

「引き分けぇ!? っとと!」

 バランスを崩したフェリシアちゃんは、あえてジャンプして私の横に着地する。

「くっそー、言われてみりゃ昔から引き分けばっかだ」

「未来では……一緒に傭兵してるんだっけ」

「ああ。時々スコア競うんだけど、勝って負けて引き分けての繰り返しでさー。今シーズンは3勝3敗3引き分け」

「シーズンとかあるんだ……」

「ここではっきり覚えてんのは、かこがオレたち止めようと必死だったのと、あの鉄塔だなー」

 フェリシアちゃんの視線を追って、私も鉄塔を見上げる。かけっこって言って上り始めて、魔女の反応がしたから駆け付けたら、突然仲良くなって戻ってきたんだっけ。喧嘩してるときも含めて、二人は波長が合ってるんだろうなあ。それが時々、ほんの少しだけ、寂しくなることもあるけど。

「そういえば、あやめちゃんには会わないの?」

 微かに浮上した暗い感情を隠して、フェリシアちゃんに尋ねる。

「あやめかー。会いたいけど、あいつ隠し事とか苦手だしなあ」

「ああ……」

 確かに、成長したフェリシアちゃんに会ったことを、なんの悪意もなく葉月さんたちに話しちゃいそう。タイムパラドックス、避けたいもんね。

「かこ! 時間測ってくれ!」

「え?」

 フェリシアちゃんの突然のお願いに、私はわけもわからず時計アプリを起動する。

「なんで?」

「ちょっとあれ上ってくる!」

「なんで!?」

「うおおー!」

 フェリシアちゃんは一目散に鉄塔を駆け上がって行ってしまった。後に残された私は、小さくなっていくその背中をただ眺めるしかできなかった。

 少しして下りてきたフェリシアちゃんは、タイムを聞いて嬉しそうに笑った。……変わらないね、フェリシアちゃん。


◆◆◆◆◆


「おー、やっぱたけー!」

 フェリシアちゃんは手すりから身を乗り出した。鉄棒みたいに前回りしそうなくらいだったから、「危ないよ」ってやめさせる。

 私たちが次に来たのは、市内で一番高い電波塔だった。途中が展望フロアとして開放されていて、街並みを一望することができる。神浜はすごく発展してるところから、田んぼとか畑しかないところまであるから、ずっと見てても飽きにくい。今日はお休みの日だから、私たちの他にも結構なお客さんで賑わっていた。私は双眼鏡を覗くフェリシアちゃんに尋ねる。

「ねえ、フェリシアちゃん」

「んー?」

「どうしてここに来たの?」

 この電波塔は、一時期女の子のすすり泣きが聞こえるっていう悪い噂も立ったけど、今では再び普通の観光地になっている。私は一度だけお父さんたちと一緒に来たことがあるけど、それだけ。フェリシアちゃんにとっては思い出深い場所なのかな。

「そりゃー、ここじゃ色々あったしな。ウワサ倒してさな助けたり、アリナと戦ったり……」

 フェリシアちゃんは少し真面目な表情になった。ウワサ……って、もしかしてあのウワサだったのかな。マギウスが作っていたっていう。

「それに……」

 フェリシアちゃんは私を見た。なんだろう。

「……まあ、色々あったんだよ。もう立入禁止だし」

 フェリシアちゃんは双眼鏡に視線を戻した。何か隠された気がする。

「立入禁止? 壊れちゃったとか?」

「いや。1年くらい前に、気付いたら蒼海幇の所有地とか言われて。ななかも美雨も安全のためとかはぐらかすし」

 蒼海幇が? どういうことだろう。今のあの人たちがそんなことするとは思えないけど……。5年の間で何かあったのかな。

「……あー、かこはさ」

 双眼鏡を覗きながら、フェリシアちゃんが尋ねてくる。どこか歯切れが悪かった。

「あー……もしここで告白されるとしたらさ、どういう感じにされたいんだ?」

 ……え?

「え、ええええ、こ、こっこく」

「おい」

 大声出すなよ、と目で制される。いや、でも、でも!

「な……なんでそんなこと聞くの……?」

「興味本位だよ、興味本位」

 興味本位でなんてこと聞くんだろう。しかも、私は友達って言っても5年前の夏目かこで、13歳。フェリシアちゃんはもう18歳。この年齢差は大きい。

「……フェリシアちゃんのロリコン」

「なっ……!」

 フェリシアちゃんが大声を上げそうになって、セルフで口を押さえた。

「なんでそうなるんだよ!」

「だって、私、まだ13歳なのに……」

「だからなんだよ」

「ロリコン」

「わけわかんねーよ!」

「ふん」

 私はそっぽを向いた。「あーもう、次行くぞ次」ってフェリシアちゃんが私の手を引っ張る。私は頬の膨らみは維持したまま付いていく。

 ……どんな告白をされたいか、か。正面から気持ちを伝えてくれたら、それで十分幸せかも。……ねえ、フェリシアちゃんは、どうしてそんなこと聞いたの?


◆◆◆◆◆


 それから。


「いい? フェリシアちゃん。ここのラーメンはまずスープの風味をゆっくり楽しむの。そうすると魚介出汁の風味がすーっと鼻を通って……」

「オレもう100回以上それ聞いたぞ」

 私行きつけのラーメン屋でお昼ご飯を食べたり。


「これとかかこに似合うんじゃねーの?」

「可愛い……! けど派手すぎるかなあ……」

「そうかー?」

 お洋服を見たり。


「おー、天然の味がする」

「天然の……? 天然じゃないのってあるの?」

「こっちじゃバイオタピオカがメジャーになっててさ、なんつーかケミカル? な味がすんの」

「ばいお……たぴおか……?」

 タピオカミルクティーを飲んだり。


 色々な場所を見て回った。


◆◆◆◆◆


「久々にめちゃくちゃ遊んだー!」

「私はもうへとへと……」

 空のほとんどが橙色に染まって、東には月が見え始めた時間。一日中遊び尽くした私たちは、家への帰路についていた。もし魔法少女じゃなかったら、明日は筋肉痛で動けなかったかも。そう思うくらいあちこちを回った。

「にしても、やっぱりかこもまだ子供なんだな。今……というか未来か? と比べると」

「13歳だもん。未来の私はどんな感じなの?」

「今のかこは……ってやべ!」

 フェリシアちゃんが私の手を引いて、狭い路地に入った。誰かから隠れるような動きとか、握られた手とか、突然の状況に思考が空回りを始める。

「ど、どうしたの……!?」

「やちよたちがいた」

 フェリシアちゃんは上を見上げた。左右は高いマンションのコンクリート壁に挟まれていて、空は細長い長方形に切り取られている。フェリシアちゃんはジャンプすると、壁を蹴って屋上に消えた。離れた手の温度にちょっとだけ寂しさを感じつつ、私はその後を追った。

 屋上に着くと、転落防止用の柵越しに、フェリシアちゃんは下を見ていた。隣に立って視線を追うと、そこには確かに、5人で歩くやちよさんたちがいた。昨日会ったういさんもいる。魔力で聴力を調節して、会話に耳をそばだてる。

「……から言ったでしょう? あそこは一ヶ月に一度、究極のスーパーになるの」

「は、はぁ……」

「最強のわたしよりも!?」

「鶴乃さんは究極で最強なの?」

「ういちゃん……良い子だね……」

 5人はまるで家族みたいに、他愛もない会話をしていた。私たちのチームの近付きすぎない感じも好きだけど、ああいう空気にもちょっとだけ憧れる。

「みんなまだちっちぇーな」

 フェリシアちゃんが面白そうに笑った。私はその横顔を見る。

「フェリシアちゃんは大きくなったよね」

「おう! 背も胸もやちよ超えたしな! あ、胸は元からか」

 その時、下から凍てついた殺気が吹いた気がした。私たちは同時にしゃがみこんだ。

「どうかしたんですか?」

「……いえ……今、フェリシアにバカにされたような気がして……」

 ……フェリシアちゃん、愛されてるね。当の本人は「やっぱやちよヤベえ」って震えてるけど。ななかさんも時々怖いけど、やちよさんも怖いね。

「……大丈夫だよ! フェリシアのことだから、未来からおみやげ持って、ひょっこり帰ってくるよ!」

「……ええ。そうね。未来に行ってるだけだものね」

 私たちはそろそろと下を覗いた。5人とも笑顔のままだけど、隠しきれない寂しさの色が滲み出てる。

 5人は角を曲がって、私たちからは見えなくなった。私はフェリシアちゃんを見た。フェリシアちゃんは複雑な表情をしていた。

「やちよさんたち、寂しそうだったよ」

 私の言葉に、フェリシアちゃんは「だな」って頷いた。そして、乱暴に頭をかいた。そのまま「だよな」とか、「んんー」とか呟いて、立ち上がった。

「よし。帰る」

「……未来に?」

「おう。観光も十分済ませたしな」

「でも……どうやって帰るの?」

「どうやってって、そりゃ……」

 柵をよじ登るフェリシアちゃんの動きが止まった。フェリシアちゃんはすっと下りると、私を振り向いた。真っ青な顔で。

「オレ、どうやって帰りゃいいんだ……!?」

「ええええ!? 帰り方わからないの!?」

「だってオレ、巻き込まれただけだし! 帰るための道具みてーなもんも渡されてねーし……!」

 ……灯花さん、ねむさん。この時間旅行って片道切符だったの?

「落ち着いて……まずは手順を思い出そう。何かヒントがあるかも」

「おし! 手順だよな、手順……」

 フェリシアちゃんは両こめかみに人差し指を当てて、むむむって唸り始める。

「まず……あれだ。オレは灯花たちに呼び出されて……タイムマシンがなんだの、ポータルがなんだの言われて……」

「うんうん!」

「そんで、面白そうだからついてって……ミラーズの奥の方まで来て……これが装置って小さいライターみたいなもの見せられて、マギアストーン持たされて……気付いたらオレはミラーズに一人で……外に出たらなんか知らねーけど5年前で……」

「マギアストーンは? もうないの?」

「ああ。気付いたらなくなってた」

 果てなしのミラーズ……小さな装置……マギアストーン。ミラーズならあるけど、他の二つが……。

「とりあえず、ミラーズ行ってみようぜ。もしかしたらすんなり帰れるかもしんねーし」

「うん……」

 フェリシアちゃんは下に人がいないのを確認して、ひらりと飛び降りた。私もその後に続いて着地して、空を見上げた。7割くらいが夜の青に覆われていた。


◆◆◆◆◆


 果てなしのミラーズ。至るところに鏡が置いてあって、壁の所々にも埋め込まれてる。空間はそれ自体が青く光っていて、一歩進むごとに姿を変える。あんまり来たことのない場所だし、今後もそうであってほしい。

「はぐれんなよ。いつ偽物とすり替わるかわかんねーし」

 フェリシアちゃんは私の手を取って前を進む。私はその背中を見つめながら「うん」って返事をした。ここに飛ばされた時点で型は取られちゃったみたいだから、いつ偽物が襲ってきてもおかしくはなかった。

 道中、何体かのコピーと戦った。だけどそんなに強くはなかったから、私でも倒すことができた。フェリシアちゃんは「かこの戦闘訓練だな!」って基本後ろに下がって、時々援護してくれるだけだった。なんで。

「……ん……なんか覚えのある感じ……」

 結構深くまで潜ったところで、フェリシアちゃんはふんふんとにおいを嗅ぎ始めた。魔法少女は魔力を感じるとき、基本的にはソウルジェムの反応を頼りにする。慣れてくれば、目で見たり耳で聞いたり、肌で感じたり、特徴が出てくるらしい。フェリシアちゃんは鼻で嗅ぐタイプなのかな。

「んんー……」

 フェリシアちゃんはまっすぐ歩いた。いくつかの鏡を通り過ぎて、「お、あれだ!」一方向を指差した。その方向には、魔力の渦……円形の穴……が空中に浮かんでいた。もしかして、あれがタイムマシンなのかな。胸の高鳴りを感じながら近付く。

『……えるかい』

 気だるげな声が、渦から微かに聞こえた。もしかして、この渦喋るの!?

「あ、ねむじゃんか。おーい! ねむ!」

 フェリシアちゃんが渦に向かって呼びかけた。この渦ってねむさんっていう名前が……あ、違うよね。柊ねむさんのことだよね。向こう側にいるのかな。試しに裏側に回ってみたけど、当然誰もいなかった。

『その声はフェリシアだね。良かった、声は届くみた』『おい、未来のオレ! どんな姿なんだ!?』

 ねむさんを遮って、ずっと聞いていたようで聞いていなかった声がした。

「フェリシアちゃん!」

『おお、かこもそこにいるのか!』

 私の呼びかけに、向こうのフェリシアちゃんが反応してくれた。姿は見えないけど、声だけで嬉しくなってくれたってわかる。

『今わたくしたちが話してるんだから、子供は邪魔しないでー!』

『なんだよ、お前らのほうがガキじゃねーか!』

『もう深月フェリシアより年上ですよーだ』

『んだとー!』

『騒がしくてかなわないね……。そっちのフェリシア、ポータルの様子はどう?』

「ん? この輪っかか? んー……渦巻いてるな」

『安定してるってことだね。そしたら、マギアストーンは持っているかい?』

「あー、失くしちまったんだよなーあれ。つーかこっち着いた時点でなくなってた」

『なるほどね……。通行料みたいなものかな。僕の見立てでは、この時代に帰ってくるにはマギアストーンが必要だ。そっちで調達してきてくれないかい?』

「えー? オレがこっち来たときみたいに、そっちのオレが輪っか通れば戻れるんじゃねーの?」

『そういうわけにもいかない。実際、5年前の君はポータルの中で気を失っていて、ほとんど消滅寸前だったんだ。桜子が引っ張り上げてくれなかったら、今の君も消えてたかもね』

『|頑張った|』

「げ……それがタイムパラドックスってやつか」

『5年分成長しているだけあるね。5年前の君は、いくら説明しても理解してくれなかったよ』

『今オレのことバカにしたろ!』

『だから、そっちでマギアストーンを手に入れないことには、君を未来に戻って来させることはできない』

『聞けよ!』

『桜子』

『|ねむが話してるから|』

『離せー!』

 ザリザリ、と向こうからノイズが聞こえた。フェリシアちゃんが暴れてるんだろうなあ。

「ちぇー……仕方ねーか。つっても、5年前じゃまだねーだろ」

『そうでもないさ。実は、その頃の僕たちは既にマギアストーンを所有していた』

「はぁ!? 初めて聞いたぞ!」

『言ってないからね。希少だったし、下手に扱われて壊されでもしたらたまらなかったし』

「くっそ……お前ら、昔からいけ好かねー」

『僕たちも同意見だよ。首輪で繋いでも、杭ごと引き抜いて走っていく狂犬』

「がるるるる……」『がるるるる……』

 二人のフェリシアちゃんの唸り声が重なった。これ以上喧嘩にならないように、慌てて軌道修正する。

「えっと、今のねむさんたちに会って、マギアストーンを貰えばいいんですよね?」

『うん。ただ、そうやすやすとは渡してくれないだろうから、そこは気を付けて。タイムトラベルのことも、可能な限り話さないでくれると嬉しい』

「はい……」

 私たちにできるかなあ。灯花さんとねむさんって、すごく頭良いみたいだし。

「ま、なんとかなるだろ。行こーぜ、かこ」

 フェリシアちゃんはお買い物に行くみたいな気軽さで踵を返した。私は「えと、行ってきます!」って渦に言い残して、追いかけようとした。

『フェリシアちゃん!』

 その時、渦の向こうから、私の声が聞こえた。私のだけど、ほんのちょっとだけ低くて、大人びてる気がする。フェリシアちゃんは足を止めて、渦を振り向いた。

『……帰ってきてね!』

 渦の向こうの私が言った。フェリシアちゃんは親指を立てた。

「おう!」

 ……フェリシアちゃんの声は、今までに聞いたどんな声よりも力強くて、優しさがこもっていた。向こうの私を大切に思っているのが伝わってきた。ねえ、フェリシアちゃん。私、そんなに鈍いほうじゃないと思うよ。自惚れかな。でもね、そうとしか思えないんだ。……フェリシアちゃん、付き合ってる人がいるんだよね。それって、もしかして。


◆◆◆◆◆


「……わあ……」

「でけーよなー」

 太陽が完全に西に沈んで、空が水色と紺色のグラデーションみたいになった頃。私たちは里見灯花さんの家の前に来ていた。お家……というより、お屋敷。……世界って、広いね……。

「んじゃ、任せたぞ」

 ぽん、とフェリシアちゃんが肩を叩いてきた。……え、待って。

「私一人!?」

「ねむだって言ってたろ。タイムパラドックスは」

「避けたい……だよね……」

 理屈は理解できる。でも、初めてまともに会話する子たち(しかも天才!)と、いきなり交渉なんて……。こういうのはななかさんは得意そうだけど、私には……。

 キンコーン。門の横のドアベルが鳴った。フェリシアちゃんがボタンを押したから。

「フェリ……!」

「頑張れよー」

 私の気持ちなんて露知らず、フェリシアちゃんはそそくさと路地に隠れた。丸投げ……!

『はーい』

 フェリシアちゃんに対していろんな感情が渦巻いてる間に、インターフォンから声が……多分灯花さんの……が聞こえた。

「あっあああの、夏目かこです!」

『知ってるよー。開いてるから勝手に入ってー』

「は、はいっ!」

 年下の子相手なのに、すごく緊張する。というか、こんなお屋敷に住んでるのに開けっ放しなんて大丈夫なのかなあ。すごい警備員がいるとか……?

 ……フェリシアちゃん、ピンチになったら助けてくれるかなあ。……くれない気がするなあ……。


◆◆◆◆◆


「いらっしゃい、夏目かこ!」

 私が通されたのは、応接間みたいな部屋……応接間そのもの……? だった。お金持ちって、すごい。普段本を読んでるのに、浮かんできた感想は小学生が言いそうなものだった。

「よく来たねー」

「歓迎するよ」

 でも、目の前にいるのはその小学生なんだ。住んでる世界、本当に同じなのかな。灯花さんとねむさんが座るソファの背後には、ねむさんのお姉さんという柊桜子さんが立っている。足の不自由なねむさんの介助をしてるらしいけど、その立ち姿はボディガードさながらだし、どこか浮世離れした雰囲気も相まって、視線が少し怖かった。

「それで、わたくしたちに直接会って話したいことってなーに?」

 灯花さんが首を傾げる。そんな小さな所作にも気品があって、これがお嬢様なんだって感じさせられる。この感覚はななかさんと話してるときのものに近い。

「えっと……実は。折り入ってお願いがありまして……」

「ふむ」

「その……マギアストーンを頂けませんか?」

 その瞬間、二人の目つきが変わった。……なんてことはなかった。灯花さんとねむさんは、揃って首を傾げていた。

「なんだい? そのマギアストーンって」

「聞いたことないにゃー」

 え……あれ!? この時代の灯花さんたち、既に持ってたはずなんじゃ……。嘘をつかれてる? でもそんな雰囲気もないし……。

「あの……とても赤い石……らしくて……」

「らしいって、君も実物を見たことはないのかい?」

「う……そうなんですけど……」

 ねむさんが呆れたような視線を向けてきた。こういう視線……特に年下の子にされると、すごく心に来る……!

「あ……ねむ、もしかしてあれじゃない?」

「あれって?」

「ほら、この前ミラーズ調査してるときに……」

「ミラーズ……ああ、あれのこと? あれはマギアストーンと呼ぶんだね」

「|取ってくる|」

「うん、お願い」

 桜子さんが部屋を出た。二人は桜子さんを見送って……私を見た。心の中まで覗き込むような目だった。

「それで、どうしてかこがそれを知ってたの?」

「僕たちしか知らないはずなんだけど」

 来た。絶対に来ると思ってた質問。だけど、結局有効な答えは見つからなくて。

「えっと……。ある人に、教えてもらって……」

「それは誰だい?」

「……その……」

「……そうか」

 ねむさんはため息を吐いた。

「残念だけど、渡すわけにはいかないね」

「っ……」

 こうなる可能性は、予期できていた。こんな話、怪しくて乗れるはずがないのは当然。でも、ここから挽回する策も、私には思い浮かばなくて……。

「いーんじゃないの?」

 その時、灯花さんがあっけらかんとして言った。私だけじゃなくて、ねむさんもひどく驚いているみたいだった。

「どういうつもり? こんなの怪しすぎる」

「だってあの石、一応拾ったはいいけど、全然使い方わからないんだもん。わたくしたちが持っててもしょうがないでしょ?」

「だけど……」

「そのかわり!」

 灯花さんはにんまりと笑みを浮かべた。絶対悪巧みしてるっていうのがよくわかる表情だった。

「どうやって使うのか見せてよ!」

「……そういうことか」

 ねむさんは納得したように頷いた。

「マギアストーン、だっけ? あなたにあげる! その代わり、どうやって使うのか、誰から知ったのか。それを教えるのが条件! くふふっ!」

「……まあ、それなら僕も異論はないよ。むふっ」

 この流れは、私にとって良いのかな、それとも悪いのかな。拒否されるのが最悪だから、それに比べたら良いのかも。扉を開けて、桜子さんが戻ってくる。手には箱が握られている。灯花さんは受け取って、蓋を開けた。

「これが、マギアストーンだよ」

 その石は宝石みたいに澄んでいて、ルビーよりもややピンクがかった見た目だった。

 これで、フェリシアちゃんは未来に帰って行って、未来から帰ってくるんだ。


◆◆◆◆◆


 結局、私は条件を飲むことにした。他に良い案も思い浮かばなかったから、飲むしかなかった。私たちは屋敷を出た。暗いから危ないと思ったけど、桜子さんがいるから大丈夫らしい。……もし不審者が現れたら、躊躇なく命を狙いそうな雰囲気出してるけど、大丈夫なのかな。

「それで、どこに行けばいーの?」

「えっと、ミラーズ、ですかね」

「またミラーズか……。あそこはいろんな騒ぎの中心地だね」

「あはは……」

「ミラーズなら桜子連れてきて大正解だねー。わたくしたち変身できないし」

「そうだね。頼んだよ、桜子」

 ……桜子さんの返事はなかった。

「いや、お前らは来なくていい」

 返ってきたのは、フェリシアちゃんの声だった。振り向くと、桜子さんは頭を掴まれていた。紫色の魔力を、流し込まれてる。流れが止まると、桜子さんはフェリシアちゃんにその場に横たえられて、眠るように目を閉じた。

「……フェリシアちゃん?」

 フェリシアちゃんは変身していた。闇の中、両方の瞳が紫色に光ってる。

「深月フェリシア!?」

「なんの真似かな……!」

「あんまりオレを知られるなってのが、あいつらのお願いでな。守る義理はねーけど、ヘソ曲げられんのは面倒なんだ」

 フェリシアちゃんは二人の頭を掴んだ。魔力が流し込まれて、桜子さんと同じように気絶する。フェリシアちゃんは二人を横たえると、次に私を見た。私は上げかけた悲鳴を飲み込んだ。

 出会ってから初めて、フェリシアちゃんのことを怖いと思った。あんな目で凝視されたことない。あんな魔法を使うフェリシアちゃんを見たこともない。フェリシアちゃんが、近付いてくる。やだ、誰か、怖い、助けて――

「ひゅー、危なかったなー!」

 フェリシアちゃんは変身を解いて、額を拭った。そして、私に手を差し出してきた。

「なに尻餅ついてんだよ。こけたのか?」

「え? いや……えと……」

 今のフェリシアちゃんからは、さっきまでの怖い雰囲気は全然感じられなかった。ちょっと警戒しつつ、手を掴んで立ち上がる。

「灯花さんたちは……」

「ああ、忘却魔法をかけた。もうかこから電話が来たことすら忘れてるぜ」

 そういえば、フェリシアちゃんの能力って忘却だっけ。叩いたりしなくても使えるようになったんだ。……でも……。

「大丈夫……? 気絶してるけど……他の記憶まで忘れてたり……」

「余計なこともたくさん覚えてるし、忘れるくらいで丁度いいだろ」

 暴論……!

「この3人はどうするの?」

「んー、ほっとくのもあぶねーしなあ……。一人だけ起こして、急いで逃げるとかか」

「力技……」


 とはいえ他に良い案も思い浮かばなかったから、言う通りにした。

「灯花さーん……灯花さーん」

「みゅう……」

 灯花さんを揺さぶると、不快そうな呻き声が漏れた。私たちはダッシュで離れて、角から様子を見守る。灯花さんが2人を起こした。3人は困惑していたみたいだけど、最終的に家へと帰っていった。ごめんね、灯花さん、ねむさん、桜子さんも。


◆◆◆◆◆


 マギアストーンを(ちょっと強引な方法で)手に入れた私たちは、再びミラーズに足を踏み入れていた。あと少しで、未来のフェリシアちゃんともお別れ。今のフェリシアちゃんが帰ってくるんだから、喜ぶべきことのはずなのに、どうしてかそういう気分にはなれなかった。

 フェリシアちゃんも何も話さないから、私たちは無言のまま奥へと進む。話したいこととか聞きたいこと、まだあったはずなのにな。ひとつも浮かんでこない。

「……ん」

 フェリシアちゃんがハンマーを生成した。私も槍を構える。

「コピー?」

「んん……戦いのにおいがする」

 フェリシアちゃんは私の手を握って走り始める。言われた通り、確かに戦闘の音が聞こえてきた。そして、音の発生源を発見した。

「なーもう! このはと葉月がいればー!」

 戦っていたのはあやめちゃんだった。その周りを、5人の魔法少女が取り囲んでいる。魔法少女じゃない、あれは、ミラーズのコピー!

 あやめちゃんは強いけど、5対1だとさすがに後手に回るしかないみたいだった。助けないと! 私は槍の先端に魔力を溜めて、加勢しようとした。だけど、フェリシアちゃんがそれを遮った。

「ヤバそうだ。オレがやる」

 そう言って、フェリシアちゃんはあやめちゃんのもとへと向かった。紫色の稲妻みたいな速さだった。振り返る暇すらなく、ハンマーがやちよさんのコピーを吹き飛ばして、消滅させた。

「あんだあんだぁ?」「曲者かぁ~!」

 残った4体が警戒する。あやめちゃんがフェリシアちゃんを見て、目を見開いた。

「フェリシア…じゃない!?」

 フェリシアちゃんは不敵に口元を歪めると、ハンマーをもう一つ生成した。二刀流!?

「来いよ! 一人潰れただけで怯えてなんもできねーか!」

「ぬか~せ~! 我が絶対の秘技、円月輪舞踏斬をくら~ええええぃ!」

 銀髪のお姉さん……確かみふゆさん? のコピーが大きなチャクラムを手に襲いかかってくる。フェリシアちゃんは左ハンマーを振って、いとも容易くチャクラムを破壊した。

「ばか~なぁ~!」

「全然似てねーな、お前!」

 そして、右ハンマーで叩き潰した。魔力の粒子がハンマーと床の間から煙のように立ち昇る。

「キエアハー!」

 白髪のお姉さん……十七夜さん? のコピーが頭の上で乗馬鞭を振りながら迫る。

「お前も大概だな!」

 雷のように速い振り下ろしが、一瞬でコピーを消滅させた。残り2体。

「中々のツワモノ……心して参らん」

「……敵排除是私之役目」

 ななかさんと美雨さんのコピーがフェリシアちゃんを挟み込んだ。フェリシアちゃんは腰を深く落とす。

「我々はそこらの三下ではないぞ。後悔するといい」

「ハン! 雑魚がちょっと強くなったところで、雑魚なのは同じだろ」

「笑止!」

 ななかさんと美雨さんが同時に仕掛けた! フェリシアちゃんはバックキックで美雨さんを牽制、横薙ぎのハンマーを振るう! ななかさんは回転ジャンプ回避、逆手の刀を振り下ろす! フェリシアちゃんは転がって避けた! そこへ美雨さんの追撃!

「隙有!」「どこにだ!」

 フェリシアちゃんは頭を下にしたブレイクダンスのようなウィンドミル回転、爪を弾く! そのまま蹴り飛ばした!

「AAARGH!」

 美雨さんは受け身を取った。「悲鳴はインチキくせー感じじゃねーんだな!」とフェリシアちゃんはハンマーを構え直す。ハンマーは片方しかない。もう片方はななかさんの近くに放り捨てられている。

「どうした、強がりに翳りが見えるぞ」

「そりゃお前の願望だろ?」

「フ……か弱き者が足掻く姿はそれなりに心地良い」

「あっそ。オレはどうでもいいぜ」

 フェリシアちゃんを中心として、ななかさんたちは円を描くように動く。フェリシアちゃんは美雨さんに注意を向けつつも、主にななかさんのほうを見ている。

「フフ……ハンマーが恋しいのではないか?」

 ななかさんは捨て置かれたハンマーに足をかける。

「いらねーよ」

「いらぬか。しかしこれがなくては戦闘力も半減ではないかな?」

「だからいらねーって」

 ……ハンマーは、微かに紫色に光っている気がした。フェリシアちゃんは掌を向けた。気のせいじゃない、紫色は強くなってる!

「お前に、やるよ!」

 そして、振り上げた! ハンマーはひとりでに宙に浮いた! ななかさんがバランスを崩す!

「バカなー!」

「おら、よッ!」

 フェリシアちゃんは手を振り下ろした! 同時にハンマーが打ち下ろされて、ななかさんのコピーを潰す! コピーは魔力の粒子と化して消滅した!

「貴様! 不絶許! 緩嬲拷問後殺!」

 美雨さんがジグザグの軌道を描いて迫る! 速い! ハンマーを振った瞬間には、既にフェリシアちゃんの背後!

「お前も、いい加減うるせえ!」

 爪が振るわれるよりも早く、フェリシアちゃんはハンマーを手放し、美雨さんの顔を掴んだ!

「A……AAAARGH!?」

 美雨さんは叫び声を上げたけど、抵抗はしなかった。まるで仕方を忘れちゃったみたいに。フェリシアちゃんの手を通して、紫の魔力が流れ込んでる。

「んじゃ、さよなら!」

 フェリシアちゃんはハンマーを握り直して、思いっ切り振るった! 美雨さんのコピーは消滅!

 5体のコピー全部を、これで倒した。フェリシアちゃんが一人で。私はしばらく唖然としていたけど、はっと気付いてあやめちゃんのもとに駆け寄る。

「あやめちゃん! 大丈夫!?」

 返事はなかった。あやめちゃんはフェリシアちゃんを見ていた。キラキラと輝いた目で。

「す……すっげーー!」

 あやめちゃんはフェリシアちゃんに駆け寄った。「おー、あやめ!」とフェリシアちゃんは頭をガシガシ撫でる。身長差のせいか、私の目にはまるで姉妹のごく自然な光景に映った。

「え、フェリシアだよね!? いつそんなでっかくなったの!? 葉月みたい!」

「あー……いや、オレはフェリシアの姉のミライっつー名前で」

「ウソだ! 雰囲気とか魔力とか色々フェリシアじゃん! あちしは騙されないぞ!」

「だよなあ」

 フェリシアちゃんは笑った。「へへーん!」とあやめちゃんも笑った。

「オレのことはいいよ。それより、なんでこんな時間にミラーズにいんだ」

 フェリシアちゃんは強引に誤魔化した。さすがにそれは無茶だと思ったけど、あやめちゃんは表情を曇らせる。

「それが……もっと早くに上がるつもりだったんだけど。このはたちとはぐれちゃって……今日みんなで肉食べる予定だったのに……」

「迷子のあやめちゃんってわけか」

「ぁあ!? そっちこそなんでかこといるのさ!」

「オレのことはいいっつったろ。このはたちか……入り口には戻ったのか?」

「ううん、まだ……」

「んじゃ、一度戻ってみたらどうだ。案外待ってるかも……ん……」

 フェリシアちゃんは耳をそばだてた。私とあやめちゃんは顔を見合わせて、同じようにする。

「……めー……や……」

「このはの声だ!」

 遠くから聞こえてきた声に、あやめちゃんは表情を明るくした。フェリシアちゃんはその背中を押した。

「行ってやれよ」

「フェリシアたちは? まだ上がらないの?」

「オレたちはもうちょっと奥まで行くよ。ほら、このはたちと肉食うんだろ?」

「でも……」

「……家族は大事にしろよ」

「……うん。わかった!」

 あやめちゃんはさっきこのはさんの声が聞こえた方向に走った。途中で止まって、振り返る。

「そうだ! フェリシアが大人になってる理由、次会ったらちゃんと聞くからなー!」

「おー! そのときまで覚えとけー!」

 あやめちゃんは今度こそ振り向かずに走り去っていった。「帰る前に話せて良かったよ」と笑って、フェリシアちゃんは反対方向に再び歩き始めた。私はその横を歩く。歩きながら、迷う。尋ねていいものかどうか。

「……ねえ、フェリシアちゃん」

「んー?」

 さっきの家族を大事にって、やっぱり、そういうことだよね? 寝言でも言ってたし。……なんて、聞けるわけない。それに聞いてどうしようっていうんだろう。やめよう。私は誤魔化そうとした。

「思い出したよ」

 それよりも先に、フェリシアちゃんが口を開いた。

「オレの願いも。あのとき、何をしちまったのかも。全部な」

 言葉が見つからなかった。どうして私、こんなこと気にしちゃったんだろう。後悔が全身を駆け巡ってる。身体が重い。

「……ごめんね、フェリシアちゃん」

「何がだ?」

「私、知ってたのに。フェリシアちゃんに言わなくて」

「未来でも謝られたよ、それ」

 フェリシアちゃんは面白そうに言った。

「確かにあん時はめちゃくちゃ怒ったな。もう二度と口きかねーとも思った」

 当然だと思う。あんなに大事なことを、どんな理由があろうと私は隠していたんだから。

「でもさ、かこはそれ以上に支えてくれたんだよ。オレにすげー謝って、すげー慰めて、一回すげー怒って」

「え……私、怒ったの?」

 未来の私が理解できなかった。フェリシアちゃんに対して怒る権利も、理由すらもどこにもないのに。

「ああ。引っ叩かれて取っ組み合いの喧嘩になった。危うくあのまま絶交だったな」

 本当に何してるんだろう。隠し事してたのがバレて叩くなんて、逆切れにも程がある。

「えっと……未来の私がごめんね?」

「別に恨んでねーよ。5年前じゃ、まだ真実を受け止められるほど強くもなかったし。……だから、かこには感謝してるんだ。本当に」

 フェリシアちゃんは、愛おしむような目で前を向いていた。前を向きながら、別の何かを……誰かを見ていた。

 真実を黙ってることの後ろめたさは少なからずある。いつか決定的な亀裂が生まれてしまうんじゃないかっていう恐怖もあった。でも、未来の私たちはそれを乗り越えた上で、一緒にいられてる。私は「そっか」って返事をした。


◆◆◆◆◆


 やがて、私たちはさっきの場所に戻ってきた。魔力の渦は変わらず安定してるように見えた。

『にゃー! 昔のフェリシア生意気すぎー! わたくしお姉さんなんだよ!』

『トシがなんだってんだよ! まだまだお子ちゃまにしか見えねーな。なぁかこ!』

『もう、フェリシアちゃん。年上でも年下でも、そういうこと言っちゃダメだよ』

『う……なんだよ……。……ごめん』

『かこに従順なのは今も昔も変わらずか』

『|仲良し|』

 向こう側は随分賑やかだった。フェリシアちゃんが声を張り上げる。

「おーい! 戻ってきたぞー!」

『ん、お帰り。マギアストーンは持って来たかい』

「おう。バッチリ!」

 フェリシアちゃんはマギアストーンを取り出した。渦の魔力の流れが、ちょっとだけ変わった気がする。

『よくやったね。過去の僕たちに乱暴なことはしてないだろうね?』

「当たり前だろ!」

 ……そうだね。ちょっと忘却魔法使ったりはしたけど、乱暴はしてなかったもんね。

『それならいいけど。それじゃ、最後の一仕事だ』

「ん?」

 フェリシアちゃんは首を傾げた。まだやらないといけないことあるんだ。タイムトラベルって大変なんだね。

『そっちの夏目かこの記憶を消すんだ』

 うん、私の記憶を……。……え?

 どういうこと? フェリシアちゃんは渦を見ていて、こっちを向いてくれない。

『君は恐らく夏目かこと随分接触しただろう。当然だけど、タイムパラドックスの危険は接触の多さに比例して増大する。幸い、記憶を消すのはお手の物だろう?』

「…………」

 フェリシアちゃんは何も言わずに私を見た。あの時みたいに、瞳には微かに紫色が光ってる。私は後ずさった。

 忘れさせられちゃうの? 未来のフェリシアちゃんが、うちに来てからの出来事を。未来のお話を。神浜を見て回ったことも。何もかも、全部。

『おい! そっちのオレ! かこに何しようとしてんだ!』

 向こうのフェリシアちゃんの叫びが聞こえた。こっちのフェリシアちゃんは、目だけを渦に向けた。

『君の記憶も消しておかないとね……。忘却のウワサでも作るしかないかな。灯花』

『うん! わたくしがしっかり見届けるよー』

『勝手なこと言うな! 何がタイム、ドッグだよ!』

『君は甘く見ている。一人の少女が石につまづいただけで運命が変わる、それが世界だ。記憶を持ち帰ったせいで、君が……君の大切にしている人が死ぬ。その可能性だってないとは言えないんだよ』

『だから全部忘れて、この未来を目指せってのか!』

 声だけで、フェリシアちゃんの激情がこっちまで伝わって来た。……火が、燃え広がる。

『不満があるのかい? この未来は君にとって最善とも言えるものだと思うけど』

『だからなんだよ! 決めつけんな!』

「私も、忘れたくない」

 火は、私の口から溢れ出した。こっちのフェリシアちゃんが私を見た。

「それに、たとえ私たちが記憶を持ったままでいたとして、そっちの歴史が変わるとは限りません」

『……そっちは単なる過去の世界じゃなくて、並行した別世界だと言いたいわけだね』

『それを夏目かこは証明できるの? わたくしたちに影響がないって』

「できません。ですがもし、石につまづくだけで運命が変わるなら。13歳のフェリシアちゃんが行方不明ってことを知ってる人は何人もいますし、私以外にもこのフェリシアちゃんと話した人はいます。私の記憶を消したところで、必ずどこかで綻びが生まれます」

『気付いていないだけで、僕たちの世界は既に変わっている可能性もあると』

『その影響をできるだけ小さくしようとするのは当然じゃないかにゃー』

 噛み合わない。それも当然かもしれない。向こうの人たちにとって、私たちがこれから歩む未来は、既に通って来た過去。それが良いものであればあるほど、変えたくないに決まってる。私たちの主張は我儘にしか聞こえてないんだと思う。それでも私は、このフェリシアちゃんの記憶を、忘れたくない!

 私は槍を構えた。勝てないのはわかってる。せめて、これだけの覚悟があるって示したいだけ。

「おい!」

 フェリシアちゃんが渦に向かって呼びかけた。

「かこは……紛らわしいな。未来のかこはどう思う!」

 向こうの私は、ややあって、答えた。

『私は、今が好きだよ。この思い出が変わっちゃったり、無くなっちゃったりしたら、自覚できなくてもとっても悲しいと思う。……でも、私って昔から頑固だったみたいだから。きっと止められないよ』

「……だな。オレも同感だ」

 フェリシアちゃんのまとう空気が、ふっと緩んだ。瞳の紫色の光も消えている。

「灯花、ねむ! オレはこのまま帰る。かこの記憶は消さない」

『随分な贔屓目を感じるね』

「なんとでも言え。そっちのオレも、そんないけすかねー奴らの言いなりになることねーぞ!」

『あたりめーだろ!』

『むううう……! 桜子!』

『|灯花、力ずくは感心しない|』

『桜子はねむに似すぎー!』

 向こうの空気もまとまったみたいだった。これで忘れずにいられる。たとえ未来のフェリシアちゃんとのものでも、大切さは変わらない。

「で、どうやって戻りゃいいんだ?」

『ちょっと待ってて。こっちで装置を作動させるから。そっちのフェリシアはマギアストーンを持ってじっとしてて。こっちのフェリシアがポータルを潜ったら、そっちも自動的に飛ばされるはず』

「そっちのタイミング次第か。こえーな」

『装置はスタンバイ状態だから、完全に起動するのは1分で済む。その間にお別れの挨拶でもしておくといい』

 あと1分くらいで、今のフェリシアちゃんが戻ってくる。それはすごく嬉しいこと。でも、未来のフェリシアちゃんとはお別れ。それがどうしようもなく、寂しい。たった1日、一緒に過ごしただけなのに。

「別れの挨拶だってよ。なんかあるか?」

 フェリシアちゃんが尋ねてくる。いっぱいある。でも、ありすぎてごちゃごちゃしてる。何を言えばいいんだろう。

「……わからない」

「……そうか。じゃ、オレから先に」

 フェリシアちゃんは深呼吸した。そして、ちょっと照れ臭そうな表情で私の目を見た。

「ありがとな。オレが未来から来た深月フェリシアって信じてくれて」

「そんなこと……」

「マジで不安だったんだよ。いきなり一人で昔に飛ばされて、事情を知ってる相手なんて誰もいなくてさ。もしあの時かこに拒絶されてたら、結構ヤバかったと思う」

「……うん」

「だから、ホント、ありがとう」

 フェリシアちゃんは頭を下げた。さすがにやり過ぎだと思ったから、顔を上げてもらう。

「……そしたら、私の番だね」

 何を言おう。楽しかったよ? 寂しい? また会える? どう伝えたらいい? 考えがまとまらない。フェリシアちゃんは、ただ黙って待ってくれている。渦の向こう側からの声が遠い。

 きっと笑顔で送り出してあげるのが一番。なのに、どうしてこんなに、涙が溢れそうになるの?

『起動完了したよー! ……って、ちょっと!』

『っしゃー! じゃ、かこ! ついでに灯花たちも! また会おうぜ!』

「昔のオレって落ち着きねーな。……お」

 苦笑するフェリシアちゃんの全身が、マギアストーンと連動するみたいに赤く光り始めた。時間切れだ。言わなきゃ、何か。行っちゃう!

「んじゃ、元気で――」

「フェリシアちゃん!」

 手を上げかけたフェリシアちゃんが、びっくりした表情をする。

「未来で、また会おうね!」

「……おう!」

 フェリシアちゃんは太陽みたいに笑った。そして、赤い光の塊になって、渦に吸い込まれて、消えた。私は、渦をただ眺めた。涙が頬を伝っている気がした。


 ……バチバチ、と渦が音を発した。正しい動作、なのかな。

『灯……ポータルが不安定……何が……』

『わから……なこと……』

 渦からノイズ混じりの焦った声が聞こえる。……不安定? 何か良くないことが、起きてる? 向こうに呼びかける。

「どうしたんですか!? 何が起こってるんですか!?」

『……しのかこ……なんらかの……フェリシアたちがあぶ……』

 フェリシアちゃんたちが……危ない? そんなことって……!

「どうすればいいんですか!? できることは……!」

『……呼びかける……自我が流さ……いように……』

 ザリザリザリザリ。ノイズが悪化して、向こうの声が何も聞こえなくなった。呼びかける。それが、私にできることなら……!

「フェリシアちゃん! 帰ってきて!」

 私はそれをするだけ! 私は必死に呼びかけた。喉なんていくらでも潰れていい。フェリシアちゃんが帰ってくるならその程度!

「フェリシアちゃん! 私はここだよ! 未来で、5年先でまた会うんだよ! フェリシアちゃん!」

 叫び続けた。喉が痛かった。血の味がした。関係ない。力の限り呼びかけ続けた。

 何分、何時間経っただろう。それとも、また数秒しか経ってないのかな。わからない。フェリシアちゃんはまだ帰ってこない。ダメ、疑っちゃいけない。

「フェリシアちゃん……!」

 途中から、私の叫びは祈りに変わっていた。まだ何も話してない。まだ何もフェリシアちゃんのこと知らない。まだ、想いも伝えてない!

 バチバチバチ、と渦が一際強く歪んだ。手が、渦から伸びてきた。見間違えるはずない。この手は。

「フェリシアちゃん!」

 私はその手を掴んだ。そして、思いっきり引っ張った。濁流の中から引き上げるみたいに。


 そして、13歳の彼女は、渦の中から帰ってきた。

「おわあああーっ!?」

 フェリシアちゃんは勢い良く飛び出してきて、受け止めきれずに私たちは一緒に倒れた。

「いッてー……」

 フェリシアちゃんは私の上で呻いた。私はフェリシアちゃんを抱きしめた。

「フェリシアちゃん……」

「つー……お?」

「……おかえり!」

「おう! ただいま!」

 フェリシアちゃんは太陽みたいに笑った。



エピローグ


「ぬ、わっつつつ!?」

 ポータルから飛び出したフェリシアは、空中でバランスを取ろうとしたが間に合わず、ミラーズの床をゴロゴロと転がった。彼女は呻きながら立ち上がる。

「くっそ……誰か受け止めてくれたって良かっただろ」

「生きて帰ってこれたんだから良かったじゃないか」

「死ぬとこだったよ! お前ら昔から見通し甘過ぎるんだよ!」

「ふむ。やはり5年も経てば知能も上がるみたいだね」

 フェリシアに詰め寄られるが、ねむは涼しい表情を崩さない。

「まあ、なんにせよ今回の実験はこれきりだ」

「なんでそう言える」

 ねむはポータルのあった場所で手を振ってみせた。そして顔を覆って屈み込んだ。彼女の脚部は、赤いラメ入りめいて煌めく黒地のタイツで覆われている。

「いいプロットが浮かんでたのに、全部泡沫のように吹き飛んだよ……」

「わたくしだってそうだけど、ねむはヘコみすぎー」

 灯花はねむを引っ張り上げ、放り投げた。桜子がキャッチし、お姫様抱っこの状態で抱える。

「それに、最初に面白そうって割り込んできたのはフェリシアでしょー。最初はねむが行く予定だったのに」

「むぐぐ!」

「わたくしたちの相手をするより、恋人さんの相手してあげたほうがいいんじゃないかにゃー」

 桜子とその腕に抱えられるねむと共に、灯花はその場を後にした。フェリシアは歯ぎしりしてその背中を眺めていたが、やがて諦めたように溜め息をつき、振り返った。

「ただいま、かこ」

「おかえり、フェリシアちゃん。5年ぶりかな」

 18歳の夏目かこは、いたずらっぽく笑った。髪は腰の辺りまで伸び、まとう雰囲気は更に穏やかなものとなっている。だが、その瞳の奥に宿る意志の強さは少しも衰えず、より磨かれた状態でそこにあった。

「昔のかこに会ったぜ。あんなにおてんばだったんだな」

「私も昔のフェリシアちゃんに会ったよ。元気いっぱいすぎてびっくりした。……まだ、いっぱい話したいことはあるけど」

 かこはフェリシアの手を取った。

「まずは、帰ろ?」

「だな!」

 二人は並んで歩いた。少しして、かこが思い出したように口を開く。

「そういえば、昔の私と浮気しなかった?」

「し……てねーよ!」

「あ! 今の沈黙なに!」

「してねーってば!オレはちゃんと断ったし!」

「本当に? でもこの前だって鶴乃さんと……」

「鶴乃は親友だって100回は言ったろ! それにあいつには……!」

 二人は歩きながら言い争いを続ける。それでも、決してどちらからも、その絡め合った指を離そうとはしなかった。


また、未来でね おわり

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