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どちらかが相手の舌を噛み切らないと出られない部屋

というわけで書きました。3000文字くらいで気軽に終わらせようと思ってたんですが、予想外に長くなりました。 pixiv版は↓




 目の前のファンシーでふざけた壁を、5秒魔力をチャージしたトンファーで殴りつけた。壁は水面のように揺らいだけれど、インパクトの瞬間の感覚も音もまるで軽いもので、嘲笑われているようですらあった。苛立ちが募り、私はもう数回乱暴に殴りつけた。当然、そんなので壊れるならばとっくにこんな場所から去っている。

「気は済んだ?」

 背中側から冷めた声が聞こえてくる。それがまた私の心をささくれ立たせて、返事をせずに魔力をチャージして、今度は10秒待って打った。結果は変わらない。

「何度しても同じよ」

「同じじゃないかもしれない! わからないだけで、ダメージが蓄積してる可能性だってある!」

「可能性、ね」

「……どうしてそんなに平気なの」

 私は振り向いて、反対側の壁に背を預けるまさらをまっすぐに見た。まさらの態度はまるで自分たちの陥った状況を理解していないように見えるくらい平然としたもの。対照的な私はさぞ滑稽に見えるだろう。

「可能性なんていうものに縋らなくても、確実な解決策があるからよ」

 まさらは指さした。そっちを見れば、憎たらしいくらいにピカピカな鏡と、そのすぐ上に人の四肢で書かれた「13:49」の数字がある。魔女の結界で見るよくわからない文字だけれど、私たちにはなぜかわかる。その数字が1秒ごとに減っていることも。

 まさらは壁から背中を離すと、鏡の前に立った。鏡の中、映るまさらの口から血が溢れだした。口を開ければ、舌が切られていて、口内の血溜まりに切られた舌が浮かんでいる。でも、その舌は恐らくまさら自身のものじゃない。グロテスクな光景に、やっと収まった吐き気がぶり返すのを感じながら、私はまさらのほうへと歩く。

 こちらを首だけ振り向いた現実のまさらの口には、赤黒い血なんて少しもない。それでも私の目は吸い寄せられる。私に向かって残酷なことを言うその口と、血で書かれた魔女の文字を浮かべる鏡に。

「こころ、私の舌を噛み切りなさい」

『相手の舌を噛み切れ』

 私は怒りを乗せて鏡を殴った。壁を殴ったときと同じ、嘲るような感触と音が返ってきただけだった。



 いやにリアルな人間の足のついた小さな青い箱の使い魔がタックルを仕掛けてきた。私はかわさず、魔力をチャージしたスタンガントンファーで真正面から殴りつけた。電撃と化した魔力の塊を喰らった使い魔は飛び散って消え去る。

「こころ、魔力は大事にしなさい」

 ふっと、まるで風に乗ってきたみたいに突然私の3メートルくらい上に“出現した”まさらは、人間の目を生やした浮遊する使い魔の目を貫きながら忠告をくれた。

「わかってるけど、これくらいしないと威力が出ないの!」

「調整しなさい」

「もー! そっちだって捨て鉢な戦い方直して!」

 あくまでクールなまさらに、私は地団駄を踏みたい気分になった。もちろん実際にはやらないけど。それにまさらの言うことは正しい。私の武器は見た目に反して威力が高いわけじゃない。この大きなスタンガントンファーは質量こそあれど、私の力だと単にぶつけるくらいじゃ使い魔さえ一撃とはいかない。だから一匹一匹、私は丹念に魔力と心をこめて使い魔を倒してる。でもこの武器だって悪いことばかりじゃない。

「周りが邪魔ね」

 まさらは使い魔のボスを……魔女を見ていた。魔女は使い魔の特徴、というよりも人間のパーツ全部乗せといった見た目で、人間の手やら足やら耳やらが箱に乱雑に生えまくっている。気持ち悪い。その周りに守るように使い魔が集合している。更に気持ち悪い。

 だけど、何より気持ち悪いのはその箱の青さだった。快晴の空みたいな青さなのに、どこか周りの光まで暗くしてしまうような……いろいろな欲望が集まった青さ……そんな感じがした。

「任せて!」

 まさらの武器は短剣で多対一は得意じゃないから、一旦退いてきたんだろう。私はスタンガントンファーに魔力を多めに集中させながら跳び上がって、勢いを乗せて地面を殴りつけた。地面が揺れる。その揺れは魔女の方向に移っていく。魔女が何かに感づいたように下を向いた。

「もう遅い!」

 魔女の真下の地面から、電撃の柱が貫いた。それは一本ではなく、まるで雨のように何本もあった。魔女を囲む使い魔の数体が巻き込まれて消滅した。魔女の守りが崩れた。まさらは既に私の隣にはいない。

「終わりにしましょう」

 魔女の真上、まさらは現れた。その短剣は、箱の中心を過たず貫いていた。相変わらず凄腕アサシンみたいな強さと正確さ。

 ピシピシと箱に亀裂が入る。まさらは短剣を抜いて、私をちらりと見た。魔女を倒した後、まさらはこっちを見る癖があるみたいだった。最初はよくわからなかったけど、みたまさんに訊いたら「きっと猫ちゃんみたいに、自分が獲った獲物だって自慢したいんじゃないかしら」なんて推測していた。けれどなんとなく合点がいったのでその考え方を採用することにした。なので、あの癖はつまり、魔女にとどめを刺したのを私に自慢しているということなのだ。

 なんだか思考がずれた。まさらは魔女に背を向けて私のほうへと歩いてくる。魔女の亀裂からはどす黒いもやが漏れていた。

 今思えば、私たちには残心が足りなかったんだと思う。命のやり取りをしているというのにこの体たらくなんて、ベテラン魔法少女が見たら笑うかもしれない。ともかく、私たちはちゃんと息の根を止めるべきだった。黒いもやが急激に広がる前に。

「まさら!」

 私は駆け出した。まさらも背後からの急激な魔力の奔流に気がついたみたいで、振り向いて驚いた表情をしていた。抵抗の暇すらなく、黒いもやが私たちを包みこんだ。



 まず最初に感じたのは頭の重さだった。頭を抱えながら起き上がって、気絶していたらしいことを認識する。そのせいか変身が解けている。

「起きた?」

 声の方向を見やれば、魔法少女姿のままのまさらが鏡の前に立っていた。未だ覚めきっておらず危機感の足りなかった私の脳みそは、鏡まさらなんていうくだらない冗談を考えていた。

「ごめん。ここ……なに?」

 どこ、じゃなかったのは、現実離れした光景に囲まれていたからだ。天井から床まで一面趣味の悪いパッチワークキルトで覆われていて、そうじゃないところといえば壁に埋め込まれた新品みたいな姿鏡と、姿鏡の上の文字だった。魔女の結界でよく見る文字だけど、普通は人の四肢を折り曲げて作られたものじゃないし、私は学者先生じゃないから解読はできない。

「にじゅう……ぜろぜろ……二十分?」

 そのはずだったのに、日本語に訳された言葉が私の口からついて出てきた。「20:00」。私の脳は、なぜかいとも簡単に魔女文字を解読していた。

 まさらにそのことを伝えようとした瞬間、その文字は変わった。「19:59」に。「19:58」、「19:57」、「19:56」。右側の二桁の数字が減っていく。

「制限時間、かしらね。さっきまで動いてなかったんだけど」

 私の視線を追ったまさらがそう言った。彼女にもその数字は読めているみたいだった。

「悪趣味な芸術家に監禁された……わけじゃないよね。この空間全体から魔力がするし」

「悪趣味な芸術家の魔女、の可能性もあるけどね」

「お得だね」

 ソウルジェムがあることを確認して、私は再び変身した。なんにせよ、魔女の手の内にいるというのは落ち着かない。私はスタンガントンファーに魔力をチャージして、壁に対して殴りつけた。

 返ってきたのは私が予想した感触じゃなかった。てっきりコンクリートの壁のように硬い感触が返ってくると思っていた。けれど、それは柔らかい布団や水面のように、物理的な衝撃と、魔力を吸収した。嫌な感覚。

「私も試したけど、どうやら壁を壊して抜け出すのは無理みたいね」

「……先に言ってよ」

「言う前にやったんじゃない」

 まさらの無感情な視線がどことなく見下げるようなものに思えて、私はなんとなく目を逸らす。

「条件を満たせば出られるみたいよ」

 まさらが手招きした。言われるがままにそちらに向かうと、場所を譲るようにまさらは鏡の前から離れた。

「条件って……」

 鏡の前に立つと、魔法少女姿の私がいた。まさらを見ると、そのまま鏡のほうを向くよう手振りで示される。

「いったい……っ!」

 数秒待つと、私の口から血が溢れ出し始めた。思わず私は口を手で覆ったけれど、指の隙間から血はどんどん流れ落ちていく。出血が止まらない、多すぎる。

 なぜ、いつ攻撃を喰らった。鏡を見ると血を取られてしまう? 鏡を見たせいで? どうしてまさらは私に鏡を見せた? こうなることを狙っていた? 魔女の作り出した偽物? それとも操られている?

「落ち着きなさい」

 肩を掴まれて揺さぶられる。弾かれたように振り返ると、普段通りのまさら。

「自分の手を見なさい。血なんてどこにもないでしょう」

 まさらに促されて、私は恐る恐る口元に当てた手を離した。鏡に映っていた溢れるほどの血は一滴もなかった。

「精神攻撃でしょうね。私も最初は驚いた。でも……きっとこれが条件」

 まさらは私の肩越しに鏡を凝視していた。その視線を追うと、鏡の上部に血で書かれた魔女文字があった。制限時間の数字と同じように、私はそれを読むことができた。『相手の舌を噛み切れ』という文字を。

「趣味悪すぎ……」

 思わずそう呟きが漏れた。鏡の中では、今度はまさらの口から血が溢れ出ていた。口を開ければ、血の川の根元に切断された舌。

 ……けれど、私の口からは何も出ていなかった。鏡と現実両方のまさらが眉をひそめた。

「こころ、口を開けてみて」

 鏡から目を離さず、まさらはそう言ってきた。私は言われた通りに口を開けた。そして、口の中にあるものを見た。私自身の舌の上に、もうひとつ、切断された舌が乗っていた。前歯で噛み切ったような切断面。自分のじゃない。

「うっ……!」

 胃の奥からこみ上げて来るものを、咄嗟に口を押さえて留めた。自分の口から血が溢れ出る光景でさえ最悪なのに、どうして、まさらの舌が口内にあるのを見なければいけないのだろう。

「そういうことね」

 まさらはひとり得心したように頷いている。まさらだって今の光景を見たはずなのに、どうしてそんなに平然としていられるんだろう。

「どうやら両方じゃなくて、片方の舌だけでいいみたい。これなら簡単ね」

 簡単? 口を挟もうとしたけれど、まさらは続けて言った。

「こころ、私の舌を噛み切ってくれる?」

 平然と、まるでお弁当の中身を訊くような響きで告げられたその言葉に、私の思考は止まった。

「……な……」

 数秒か、数十秒か、一分かわからないけれど、それくらいして感情がようやく追いついてきた。悲しみ、困惑、恐怖……胸の中で色々な感情が渾然一体となっていた。

「なに言ってるの!? そんなこと……」

「この状況を解決するには、こうするのが最善だからよ。幸い私たちは魔法少女、舌を噛み切られても死なないわ」

「そう、だけど……」

 私はまさらの言葉を反芻した。私“たち”は魔法少女。つまり、まさらが痛い思いをする必要はない。

「なら、私の舌を噛み切って」

「それはだめよ」

 私の提案は一瞬で突っぱねられた。予想してたみたいに。

「ううん、だめじゃない。もしこれで部屋から出られたとして、生き残ってた魔女が襲ってくるかもしれない。そうなったら強いほうが万全だったほうがいい」

 私の提案はある程度理に適っているはずだった。けれど、まさらは少し考える様子を見せたあと、首を横に振った。

「とにかくだめ。あなたが私の舌を噛み切って」

「私だって、まさらの血は見たくないんだよ」

 まさらは目を見開いた。普段感情を見せない彼女からこんな反応を引き出せたことに対して、今は喜びなんて感じなかった。代わりに、沸々と胸の内に湧き上がってくるものがあった。

「私が傷つくのを見て自分が傷つきたくないから、迷わず犠牲になるのを選択する……自分勝手だよ」

 それは怒りだった。この部屋に漂う魔女の絶望が、私たちに少なからず悪影響を及ぼしている。まさらだって例外じゃない。

「舌を失わずに済むんだからいいじゃない。こころ、あなたはいつも感情的になりすぎる」

「まさらこそ、いつも自分の身体を代わりのきくパーツみたいに扱うのやめて!」

「パーツよ。ある程度ならすぐに治せるもの」

 私たちはお互いに睨み合った。まさらのいつもの鉄面皮は珍しく鳴りを潜めて、苛立ちを露わにしている。

「……何を言われようと、私はあなたの舌を噛み切るつもりはない。出たいなら早くして」

 まさらは腕組みをして、頑なな態度を崩さなかった。そんなまさらを見ていると、私の頭はかえって冷静になってきた。もちろん、怒りが鎮まったわけじゃない。

「別の手を探す。時間はまだある」

 魔女文字の時計を見る。「14:49」。恐らく時間切れになるまでは、少なくとも生存は保証されるはず。それまでに、なんとしても魔女の思い通りにならない方法を見つける。

「……そう」

 まさらはそれだけ言って、口を閉じた。



 10分ほどが過ぎた。残り時間は「3:13」。壁は壊れない。

「そろそろ時間切れよ」

 まさらの声が焦りに拍車をかける。私はソウルジェムを見た。穢れが多くなっている。強力な一撃は危険だろう。それとも一縷の望みをかけて、全魔力をこめて壁を破壊する? ……きっとこれまでと同じ結果だろう。およそ10分に及ぶ試みの中で、私はそれを認めなければならなかった。

「ねえ、どうしてもまさらの舌を噛み切らないとダメ?」

 まさらの答えはわかりきっていた。

「ダメよ。あなたの舌を噛み切るのは……多分、私には出来ないから」

「……そっか」

 私も、もう諦めていた。まさらは私の舌を噛み切ってくれない。それなら、ここから出る方法は、きっとひとつしかないのだろう。

「わかった」

 私はまさらを見た。まさらは頷いた。

「出来るだけ、すぐ治すから」

 私はまさらのほうへと歩いて、肩に手を乗せた。まさらの肩が小さく跳ねた。まさらだって怖くないわけではないのだろう。痛いのは誰だって好きじゃない。私だって嫌だ。

 でも、やっぱり、舌を噛み切られるのが私ならどれだけ気が楽だったか。そう思わずにはいられなかった。

 残り時間「1:00」。まさらは口を大きく開けて舌を出した。ともすれば間の抜けた光景だけど、少ししたらこれが凄惨なものに早変わりするのだと思うと、少しおかしくなった。

「魔女が生きてたら、私の舌よりそっちを優先しなさい」

「今そんなこと考えなくていいから」

 残り時間「0:30」。私は顔を近づけて、歯でまさらの舌を挟んだ。舌はブニョブニョとしていた。唇同士が触れ合ったけど、残念ながら少しも意識になかった。

「ごめんね」

 私は一言謝った。そして、まさらの舌を噛み切った。血が溢れ出し、口の中で別の舌が躍った。

「っ……! おえっ……」

 今度こそ耐えきれず、私は膝をつき、吐いた。びしゃびしゃと吐瀉物が床に落ちていく。情けなくて視界が滲んでくる。

 床の模様が変わっていく。それは趣味の悪いパッチワークキルトから、なんの変哲もないアスファルトになった。私は朦朧とした視界で辺りを見回す。魔女の姿は……あった。けれどそれはちょうど爆発するところだった。最後の力を振り絞った魔法があの部屋だったのだろうか。

 私は急いでまさらを見た。口を押さえる指の隙間から血が溢れ出している。その顔はいつもより更に青白い。

「まさら!」

 私は屈んで、右手に握っていたものをまさらの口の中に入れた。それはまさらの切断された舌だった。

 吐いてしまう前、私は咄嗟に口の中から舌を取り出して、右手に持った。まさらの舌を私の吐瀉物で汚さないためだ。右手は血まみれになったけれど、狙いは達成できた。

 切断面同士を合わせながら治癒魔法をかける。イチから作り出すよりは、こうしてくっつけてしまったほうが遥かに早い。数秒で出血は止まった。

「大丈夫?」

 私の問いかけに、まさらは全く大丈夫じゃなさそうな顔で頷く。

「少し貧血ってくらい。それよりも、あなたのほうがひどい顔よ」

 まさらは手に魔力をこめて、私の口元を手のひらで拭った。

「そっちだって」

 私もまたまさらの口元を魔力で拭いながら、精一杯笑みを作った。吐瀉物と血にまみれた口元は確かにひどい見た目だっただろうけど、まさらが感じた痛みに比べればなんでもない。

「帰ろっか」

「ええ」

 私たちは手を繋いで帰路に就いた。その日はまさらの家に泊まった。




Photo by Joel Filipe on Unsplash

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