ここまさロッキーゲーム

「ところでまさらちゃん、明日がなんの日か知ってる?」

 調整を終えた起き抜けに、みたまさんは歌うようにそう尋ねてきた。私はそもそも今日が何日であるかすらすぐには思い出せず、「いいえ」と首を横に振った。

「んもう! ちゃんと考えた?」

「はい。ただ、今日が何日か思い出せなくて……」

「11月10日! 明日は11月11日! これでどう?」

「ああ……」

 そこまで言われれば私にもわかった。そういえば、テレビでも何度かその話題を聞いた。

 明日は11月11日。1という棒状の数字が並んでいることから、ついた記念日が。

「ロッキーの日」

「そう!」

 みたまさんは嬉しそうに手を叩いた。

「それにしても、まさらちゃんが忘れてるなんて意外だったわ」

「……? どうしてですか?」

 自分で言うのも嫌味かもしれないけど、私はそういった浮ついたイベントには、あまり興味を示さないと思われているはず。実際はそんなことはなくて、少し前までは色々なイベントを楽しもうと努力していたけれど。

「だって、とってもいい口実になるじゃない」

「何のですか?」

「それはもちろん~、こころちゃんと急接近の!」

「…………」

 みたまさんを睨みつける。その反応は期待したものとは違って、「まさらちゃんの赤面も見慣れたわねぇ」というもので、あまり効果はなかったけど。

 私とこころは今、付き合っている。きっかけはこころの側から。いつものように机の引き出しに手紙が入っていて、いつものように指定された場所へ向かったら、いつもとは違ってこころがいて、告白された。ずっと前から好きだった私に、断る理由なんてどこにもなかった。

 こころと出会ってから、私の透明だった心に色が付き始めた。最初は黄色、それから他の色も少しずつ。だけど、告白されてからは、ペンキを塗りたくったような一面の黄色と、他の色が少し。私がこんなことを思っていると知れたら、きっとあいみはとても驚くでしょうけど、こころと話せる毎日が楽しくて仕方がなかった。

 ……だからこそ、怖くなってしまい、今の状況に繋がっているわけだけど。

「まさらちゃんたち、未だにキスもしてないんでしょ?」

 そう。みたまさんの言う通り。私たちは、まだ一度もキスをしていない。

 別にする必要がなかったというのもある。こころと話せて、笑ってくれて、手を繋いで歩けて、それだけで浮いてしまいそうなほどに幸せだから。……きっと、それは言い訳。私の心は、こころとのキスの感触を知りたいと、確かに望んでいる。

 でも、私にはできない理由があった。

「こころが嫌がるかもしれませんから……」

 みたまさんは額に手を当てて、大きなため息を吐いた。呆れ返った、態度からその文字がありありと浮いて見えた。

「どうして好きな子、しかも付き合ってる子とのキスを嫌がるのよ」

「こころが好きになったのは、きっと前の私ですから」

 世界で起きていることのほとんどに心を動かさず、いつでも……あいみが言うところの澄ました顔……をしていた、それが前の私。こころの言葉ひとつひとつに一喜一憂して、……あいみが言うところの緩い顔……をしている私に対して、こころは告白したわけじゃない。だから、自分から求めるようなことをしたら、失望されてしまうんじゃないか……それが怖くて仕方なかった。弱くなった。私自身もそう思う。

「はぁ~……」

 もう一度、みたまさんはこれ見よがしにため息を吐いた。そして、私の手を取ると、何かを押し付けてきた。赤いロッキーの箱。

「とにかく、明日こころちゃんとロッキーゲームをすること! みたまお姉さんからの命令です!」

「その……私に、みたまさんの命令を聞く理由がないと思います」

「もう! せっかくお姉さんがきっかけを作ってあげようとしてるのに!」

 余計なお世話です。こころもみたまさんと気まずい関係にはなりたくないだろうから、さすがにそれを言うのはやめておいた。……それに、確かにチャンスだとも思ったから。

「わかりました。……明日するかどうかは別として、これは受け取っておきます」

「するのよ! そのロッキー、消費期限明日なんだから!」

「…………」

 箱を見れば、確かに消費期限に11/11と書いてある。全部私が食べてもいいけれど、そんなにロッキーが好きなわけでもない。誰かと消費したほうが、きっと有意義。

◆◆◆◆◆

「まさらー!」

 翌朝。十字路の角で待つ私のもとに、こころが駆け寄ってくる。頭の両脇で輪っか状に結ばれた髪は、まるでプードルの耳のように跳ねる。一度犬のように甘やかしてみたい……というのは、まだ伝えていない。これからも伝える予定はない。

「おはよー、おまたせ!」

「おはよう。行きましょう」

「うん!」

 並んで中央学園への通学路を歩く。二人の通学路が重なっているから、付き合う前から自然とこうなっていた。

「昨日調整屋さん行ったんだよね。どうだった? 強くなった自覚ってある?」

「さあ……自分だと正直あまり……」

 何気ない普段と同じ会話をしながらも、私の意識が向かうのはスクールバッグの中。忍ばせてきたロッキー。

 結局、昨日は箱の開封すらしなかった。今日中に中身を空っぽにしないと、残ったロッキーはゴミ箱に行くしかなくなる。消費期限が切れても数日なら大丈夫かもしれないけれど、昔の私は期限切れの牛乳に人生の楽しさを見出そうとして、一日苦しむ羽目になった経験がある。

 だけど、問題は、これをいつ提案するか。ロッキーゲームをしましょうと取り出すのはあからさま過ぎるし、きっとこころの好きな私じゃない。普通に二人で美味しく頂くという選択もある。けれど、それはそれでチャンスを無駄にしてしまうような躊躇いがある。昨日帰ってから今日こころが来るまでずっと悩み続けたのに、決断はできていなかった。

 考えているうちに学校に到着する。教室に入ると、みんなは普段通りだった。ロッキーの日だと浮かれている雰囲気はない。水面下で何を考えているかはわからないけれど。きっとあいみ辺りは……。

 その時、教室と廊下を隔てるガラス越しに、あいみと伊勢崎くんが歩いているのが見えた。スクールバッグは開いているようで、赤い箱が少しだけ顔を出している。

 こころを見ると、同じくあいみを見ていたようで、「うまくいくといいね」と言ってきた。私は「そうね」と返した。私のほうも、そうなればいいけれど。

 …………。

 昼休み。こころが私の机にお弁当を広げて、二人で食べる。

「まさらはさっきのわかった? 私微妙で……」

「後で教えてあげるわ」

「ほんと!? ありがとね、まさら!」

 私はスクールバッグを一瞥した。中を見られたくないから、ファスナーは閉じてある。

 まさか教室でロッキーゲームを始めるわけにはいかない。だからといって、空き教室にこころを連れ出しでもすれば、怖がられて嫌われてしまうかもしれない。……それに、こころなしか、見える範囲での生徒の密度が低い。同じようなことを考えている子たちが、他にもいるのだろう。

 昼休みは無理ね。私はお弁当を食べつつそう考えた。

 …………。

 いつにも増して放課後までが長かったようで、あっという間だったようで、やっぱり長かったような気がした。授業の終わった開放感に、教室はざわざわと喧騒に包まれている。その喧騒がいつもより大きい気がするのは、私の考えすぎかしら。

「まーさらっ」

 帰り支度を済ませたこころが、私の席までやってくる。この季節は水泳部もないから、よほど特別な事態が起こらない限りは、基本的に一緒に帰っている。私は立ち上がった。

 外に出ると、走り込みをしている野球部の掛け声や、ドリブル練習をしているサッカー部の声が聞こえる。あれが正しい学生の放課後なのだろう。魔法少女だって青春を送れないわけじゃない、私だって水泳部に所属している。それでも、魔法少女には使命がある。彼女たちの声に背中を向けて、私とこころは校門を出た。

「今日はどの辺りを探索する?」

「うーん、北のほうは前に行ったから……今日は南かなあ」

「わかった」

 こころはソウルジェムを卵型に戻して、掌の上に起きながら歩く。普通の人にはソウルジェムは見えないから、きっとおかしな光景に見えているはず。とはいえ、こっちは命がけだから、世間体にまで気を使ってはいられない。

 もっとも、私はソウルジェムを使わずとも、魔力を感知することができる。魔法少女になりたての頃は、こころと同じようにしていたけれど、いつからか魔力が「聞こえる」ようになった。それからはソウルジェムを見るのも面倒で、魔女を探すときは耳に意識を集中するようにしている。

 ……なのだけど。

「うーん、いるような気がするんだけど……まさらはどう?」

「いえ……」

 今日の私は、まったく魔力を聞けていなかった。それもそのはず。まったく魔女探しに集中できていないから。

 ひとけのない路地裏や、廃屋となっていそうな建物を見るたびに、脳裏には余計な思考が閃く。あそこなら暗がりだから大丈夫、あそこなら覗く人もいないだろうから大丈夫、あそこなら……。私はいつから、こんなにも煩悩に溢れた人間になってしまったんだろう。知ればきっとこころは失望するはず。そう考えると、少し気分が落ち込んでくる。

「ううーん……!」

 こころは目を閉じて唸った。そんなに魔女の気配がするのだろうか。私はなんとか雑念を追い払って、魔力の流れに集中してみる。…………。……聞こえた。

「あっちね」「あっち!」

 私とこころは同時に同じ方向を指差した。私たちは顔を見合わせ、頷き、感知した方向に走った。今日は随分腑抜けてしまっていたけれど、魔女退治では手を抜きはしない。こころを危険な目には遭わせない。思考が澄み渡る。いつもの感覚が戻ってくる。行ける。私は変身して、目の前に現れた結界の入り口を斬り下ろした。

 …………。

 魔女はさほど強くもなく、二人がかりであれば簡単に倒せる相手だった。落ちてきたグリーフシードで自分のソウルジェムを浄化してから、こころに手渡す。以前はまず最初にこころに渡そうとしていたけれど、何回繰り返しても「まずまさらが先!」と断るから、最近は諦めた。

「あんまり魔力使わないで済んだね」

「ええ。弱かったから」

 こころは微妙な表情をした。魔女の元となった魔法少女に思いを馳せているのかもしれない。どうして会ったこともない相手のことを、そんなにも気にするのだろう。口に出せば怒るのは目に見えているから、わざわざ言いはしない。

「んー……もう結構遅いね」

 こころがスマートフォンを確認する。同じように時間を確認すると、確かにそろそろ帰ったほうが良い時間だった。解散の空気が漂う。

 ずしり、と思い出したように鞄が重くなった。このままだと、消費期限が今日のロッキーは、すべて私が食べないといけなくなる。……いえ、それでもいいのかもしれない。こころを傷付けてしまうよりは、よっぽど良い選択には違いない。みたまさんには悪いけれど、それでも捨てるわけではないのだから許してほしい。そもそも、みたまさんに許される必要もないけれど。

「…………」

 だけど、こころは帰る素振りを見せなかった。もじもじと足元を見下ろして、時々ちらりと私を見てくる。

「どうしたの?」

「あー、えっとー……うーん……」

 今までになく、こころの歯切れが悪かった。だけど、それほど深刻な表情なわけでもない。聞き出したほうがいいのかしら。……いえ、待ちましょう。勘違いかもしれないし。

「んー、と……その、よかったらでいいんだけど……私の家、寄っていかない?」

「……どういう意味?」

 こころの申し出は、私の思考を一瞬停止させるには充分だった。こころは「だから!」と繰り返す。

「なんとなく、今日は話したい気分っていうか……」

「……でも、こころの家は反対方向みたいだし……」

「それでも!」

 こころはなぜか強情だった。このモードに入ると、私が言うことを聞かない限り、絶対に退こうとしない。

「……そこまで言うのなら」

「やった!」

 努めて冷静な表情を保ってはいるけれど、魔女と相対しているときなんかよりも、私の心臓は遥かに速いリズムを刻んでいる。こころからの思いがけないアシストのおかげで、ロッキーにもっと有意義な終わり方をさせてあげられるかもしれないから。

◆◆◆◆◆

 こころの部屋は、きっと一般的な女の子はこんな部屋に住んでいるんだろうというような、ごく普通の内装。机の上には家族で撮ったのであろう写真と、山で撮った私たち二人が写った写真が並べて置かれてる。あの写真は私の部屋にも置いてある。

 こころは鞄を置いて、ベッドに腰掛けた。私も同じようにする。射し込む夕日がこころの横顔を照らす。彼女はよく自分を卑下するけれど、私からすればよほど……。

 こころが私を見てはにかんだ。そこで見つめてしまっていたことに初めて気が付いた。目を逸らすけれど、きっとなんの誤魔化しにもならない。

 そのまま、無言の時間が流れる。普段ならこころの側から色々話してくれるのに、今日は少しもそんな素振りを見せないで、ただ俯いてる。その頬は微かに赤らんでいるように見えるけれど、夕日との区別がつきにくい。

 決して気まずいわけではないけれど、なんとなく落ち着かない。それはきっと鞄に忍ばせたままのロッキーのせいでもある。

「……その、こころ」

「っ、なに?」

「えっと……。何か用事があったのではないの?」

 何か話題をと思って話しかけたけれど、すぐに自分がどれだけ的外れな質問をしたかに気付く。なんとなく話したい気分だったと言っていたのに。

「ん、んー……そうでも……そうなのかな?」

 だけど、こころの反応は曖昧なものだった。本当は用事があった? いったい何の? 私の目が無意識に鞄へと向かい、慌ててこころに戻す。勘違いだったらこころを傷付ける。

 こころはそれ以上続けず、しつこく聞くのもどうかと思えて、私たちは再び無言になった。

 緩やかに、けれど確実に時間が過ぎていく。夕日も既に隠れてしまい、空が藍色の闇に染まってきている。照明をつけるタイミングを逃したせいで、こころの顔も見辛くなってしまった。魔法少女の脚力を使うとしても、そろそろ帰ったほうが良い時間帯に思える。これ以上長居しても、きっと何も起こらない。それは私が一番よくわかっている。

「そろそろ帰るわ」

 ベッドから立ち上がる。自分が情けなく思えて、こころの方向は見られない。鞄を持つと、まるで鉄の塊が入っているような重さだった。ロッキーは私が責任を持って、今夜のうちに全部食べるしかなさそう。みたまさんには笑われるだろうか、それとも呆れられるだろうか。

「それじゃあ……」

「もう!」

 こころの部屋を出ようと、ドアを開けた瞬間だった。背中側から、抱き着かれた感触があった。誰に? 決まってる。こころに。

「まさらから言ってほしかったんだけどなあ」

 そんな呟きが聞こえた。こころの息が首筋をくすぐる。言ってほしかった、って、なんのことを言っているの?

「まさら、ロッキー持ってきてるでしょ」

 どうして、こころがそれを。

「まさらと、ロッキーゲーム……したいなあ、なんて……」

 心臓が強く打っているのを感じる。これは、こころの、それとも、私の? 振り解こうとこころの手を取ったけど、こころの力が強いのか、私の力が弱すぎるのか、びくともしない。

「……持ってる、から。離して……」

「ロッキーゲームしてくれる?」

「……するわ。だから……」

 こころは最後に強く抱きしめると、私から離れた。振り返ると、微かに見えるこころの顔が、確かに赤く染まっているのがわかった。きっとそれは私も同じ。

 鞄を開けて、私はロッキーの箱を取り出した。開封しようとして数回失敗し、ようやく一番外側の箱を開ける。内側の小分けにされた袋は更に強敵で、手が滑って全然開けることができなかった。こころに「開けよっか?」と尋ねられたけれど、これ以上格好悪いところを見せられないと思って断った。格好の良さなんて、こころと出会う前は一度も気にしたことがなかった気がする。

 10回目近いトライで、やっと袋の口を開くことができた。取り出したロッキーは、なんの変哲もない普通の見た目。だけど、これがもしかしたら、私たちの初めてに。

「……あ、あはは。緊張するね」

 こころが誤魔化すみたいに笑った。私は「ええ」とだけ返事をして、ロッキーの先端を差し出した。こころは啄むように咥えた。薄闇の中、私の目は唇に引き寄せられる。こころの唇は、どれだけ柔らかいのだろう。どんな感触なのだろう。こころもロッキーゲームを望んでいる、それを知って余裕の生まれた心には、新たに好奇心が膨らみ始めていた。

 少し屈んで、反対側の端を咥える。私たちは目で開始の合図をした。けれど、そのまま少しの間見つめ合った。

 さくり。やがて、最初の口の中でロッキーの折られる音が聞こえた。こころが目を瞑って、ロッキーを食べ進め始めた。暗いせいか、少し距離感を掴みにくい。だからといって、今から照明をつけようとしようものなら、こころが怒るのは目に見えている。私はただそのまま、こころの唇の感触を待った。

 こころが微かに目を開き、責めるように私を見た。理由がわからなかったから、テレパシーで尋ねてみる。

『どうしたの?』

『どうしてまさらのほうからは来ないの?』

『だって、あなたが食べ進めれば自動的に……』

 キスできるもの。言わなかったけれど、こころには伝わったようだった。渋い表情をされたから。

 こころは再び目を閉じた。そのまま、少しも進んでこなくなった。私から来てほしいっていうメッセージ、でいいのかしら。このままでもキスはできたのに。仕方がないから、今度は私の側から進む。口にロッキーの甘みが広がる。やっぱりあのままこころの側から続けていたほうが、チョコの甘みも堪能できて一石二鳥だったんじゃないかしら。こころはきっと怒るでしょうから言わない。

 距離はどんどん近付いて、鼻先が触れ合う距離になった。唇を少しでも突き出せば、きっとくっつく。少し姿勢が辛くなって、こころの肩に触れた。すると、こころの肩が大きく跳ねた。ロッキーはギリギリのところで折れずに済む。最後の一口はいいのかしら。そう思って待ったけれど、こころはぎゅっと目を瞑ったまま動かない。微かに震えるその姿はとても可愛かった。私も目を閉じて、最後の一口を食べた。

 唇が触れ合った。

 付き合い始めてからずっと躊躇ってきたこの期間は、いとも呆気なく終わった。でも、私は直感した。別のものが始まると。こころの唇は、これまでに触れたどんなものよりも柔らかかった。

「……っ」

 こころが唇を離した。肩を上下させる彼女の吐息は、焼けるように熱い。

「……あ、はは。しちゃった、ね」

「……ええ」

 こころは潤んだ瞳で、私を上目遣いに見上げる。多分、これは勘違いじゃない。こころも、次を望んでる。

 二本目のロッキーを取り出して、端を咥える。こころはもう片端を咥える。再び距離が近付く……。


エピローグ


「夕べはお楽しみだったわね!」

 みたまは満面の笑みで言い放った。来訪者……粟根こころは恥ずかしそうに顔を背ける。

「別に楽しんでたわけじゃ……」

「じゃあ楽しくなかったの?」

「そういうわけでも、ありませんけど……もう!」

「あら、こころちゃんが怒っちゃった」

 みたまはわざとらしく仰け反った。こころはため息をついて、頭を下げる。

「でも、ありがとうございます。協力してくれて」

「いいのよ。調整屋さん、ヘタレの子の背中押すの好きだから」

 こころの脳裏に金髪のポニーテールが閃いたが、口には出さなかった。

 協力とはどういうことか? 答えはこうだ。11月9日、こころは調整屋を訪れた。そこで、不注意にも言ってしまったのだ。まさらがまったく手を出してくれないと。手を繋ぐのも、抱きしめるのも、いつも自分からだと。もしかしたら、自分とまさらの気持ちには致命的な断絶があるのではないか……。みたまは静かにしていれば雰囲気が柔らかく、声も可愛らしいため、つい彼女は不安を吐露してしまった。

 そして、提案されたのがロッキーゲーム作戦だった。まさらを騙すような真似はしたくないと一度は突っぱねたが、みたまの巧み極まりない話術により、丸め込まれてしまったのだ。それは結果的に、彼女たちの仲を進展させることになったが……。

「それにしても、こころちゃんはこれから大変ねえ」

 みたまは気遣うように言った。対するこころは、きょとんと首を傾げる。

「何がですか?」

「何がって、まさらちゃんよ。あの子はもうこころちゃんとのキスの味を覚えちゃったのよ。ロッキーがなくなるまでしたんでしょう?」

 みたまの言葉に、こころは顔を赤らめる。

「それは……その……はい」

「そしたらもう確実よ。寝不足になったらうちに来てね。安眠の方法を教えてあげる。お代はまさらちゃんの可愛いエピソード一個!」

「寝不足って、そんなことなりませんよ。まさらですもん。それより、調整お願いします」

 こころはグリーフシードとソウルジェムを差し出して、寝台に横になった。みたまは手を合わせ、祈りを捧げるような動きをした。この先の出来事を楽観視する少女への、せめてもの手向けである。


 ……数日後。

「こころ……」

「だめ、まさら……! 人通っちゃうかも……!」

「大丈夫。たとえ通ったとしても、暗くてよく見えないはずだから」

「そういう問題じゃ……んっ……!」

 こころはみたまの言葉を強く噛み締め、また、聞き流してしまったことを心の中で謝罪した。

 あの日から、まさらはあらゆる場所でこころを求めるようになった。家は当然、学校でも、外でもである。最初は夢中になる姿が可愛いと思っていたこころも、そろそろ誰かに見つかる心配が上回ってきた。あいみには一度見つかりかけ、誤魔化せたのか微妙なところだ。

(私に夢中になってくれるのは嬉しいけど……)

 後ろの壁の硬さと、前の唇の柔らかさに思考能力を奪われながら、こころは薄く瞼を押し上げた。まさらもまた目を薄く開いていて、蕩けたような瞳が目に入った。

 まさらが、私だけに見せてくれる表情。そう感じるだけで、こころはまさらを許してしまう。そうして明日以降も、彼女たちのキスは続いていく。

 キスがそれ以上のことに変わる日は、決して遠くないだろう。

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