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私の夢見が悪いのよ

グルーヴ感を重視して、特に校正などせずアップしました。そのため、呼称ミスや誤字、微妙な表現があるかもしれません。恐らく未来の自分が直します。ごあんしんください。



 雨が上がってくれたせいで、持ってきた2本目の傘が無駄になってしまった。背中に護身用の棒を背負って、両手に1本ずつ傘を持つ私は多分滑稽に見えると思う。それでもきっと、隣を歩くこの子と比べたら印象は霞んでしまうでしょうけれど。

 真冬の新雪のように白く、それでいて高級なアクセサリーのように輝く銀色の髪。柔らかそうだけれど決して丸いわけではない整った顔。……コスプレのようなやけに露出度の高い灰色のフリフリの服。どれを取っても人間のものとは思えない。いや……実際、この子は人間じゃない。瞳の奥に映る天使の意匠。右腕から現れたおかしな銃。この子はアンドロイドだ。それも、意思を持った。

 意思を持ったアンドロイドの話は、ほとんどが血なまぐさい事件と一緒に語られる。この子はどうなんだろう。誰かを殺してきたのだろうか。私のことも、そのうち殺すのだろうか。

 一言の会話もなく、私たちは家に……みかづき荘に着いた。玄関扉を開けて中に入ろうとしたところで、あの子が隣にいないことに気がついた。振り向くと、敷地の外でもじもじとしている。

「どうかした?」

 問い詰めるような口調にならないよう、できるだけ優しく尋ねる。

「その……本当によろしいんですか?」

 自分がアンドロイドだということを負い目に感じているのかしら。私は傘を二本とも片手で持って、落ち着きのない手をもう片方の手で握って、そのまま引っ張った。

「あなたみたいな子をそんな姿のまま放置したら、私の夢見が悪いのよ」

 今度こそ玄関扉を開けて中に入る。思ったよりも濡れてしまった。「おばあちゃん!」と叫んで助けを乞うと、おばあちゃんはすぐに来てくれた。

「おかえり……あらまあ、ずぶ濡れじゃないの。その子は?」

「えっと……そこで倒れてて。それよりお風呂沸かしてくれない?」

「それはちょうどよかった。かなえちゃんも濡れてきてね、さっきまでお風呂入れようとしてたところなのよ」

「入れようとしてた?」

「それがねえ、いきなりやっぱりこのままじゃ練習に間に合わないって言って、ウチのビニール傘とギターケース? 手にして飛び出して行っちゃったのよ」

「……傘は貸したのよね?」

「当たり前でしょうに」

 かなえの不思議な行動は今度会った時に聞くとして。私は隣で居心地悪そうにしている子を見る。

「沸いてるみたいだから、先に入りなさい」

「でも、悪いです。あなたが先に」

「平気よ、鍛えてるから」

 そこまで言ったところで、鼻の奥がむず痒くなる感覚があった。まずい。止めようとしたけれど、一瞬遅かった。私の口から「くしゅん」とくしゃみが出た。

「ほら、やっぱり」

 表情は心配するようなものだけれど、声色に微かに得意げな色が混じっていたのを私は聞き逃さなかった。私もなんとなくムキになってしまう。

「あなたが入らなくていい理由にはならないわ」

「ワタシは大丈夫です。だってワタシは――」

「もう、面倒だね!」

 突然、おばあちゃんがパンと手を叩いた。私は呆気にとられてそっちを向いた。この子も同様みたいだった。

「そんなに言い争うくらいなら、一緒に入れば解決! ほら、行った行った!」

「ちょ、っと!」

 おばあちゃんが私とあの子の背中を押してくる。抗議しようとしたけれど、こうなるとおばあちゃんは多分私の言うことを聞いてくれない。だからって、初対面の子と一緒にお風呂に入るのはどう考えてもおかしい。相手が不審者だったらどうするのよ。孫の危機よ。

「ほら、やちよ! それと、ええと……」

 おばあちゃんは言葉を詰まらせ、ややあって「名前、なんてったっけ?」と尋ねた。そういえば、私も名前を知らない。そちらに気を取られて、その子の顔を見た。

「ええ、と……みふゆ、と言います」

「ふうん。美しいに冬?」

「いえ、ひらがなで……」

 みふゆ。おばあちゃんたちの会話を聞きながら、なんとはなしに、私は頭の中でその名前を反芻した。この子にぴったりの名前だと思った。みふゆ。

「そ、みふゆちゃん。ほら着いた!」

 いつの間にか私たちは脱衣所。ここまで来れば、もう私たちの負けは覆らないだろう。

「わかったわよ……着替え持ってきてよ!」

「はいよ。みふゆちゃんはやちよの服で大丈夫かい?」

「えっと……はい」

 私の許可は取らないのね。別にいいけれど。

「しっかりあったまるんだよ!」

 おばあちゃんは念を押して脱衣所の扉を閉めた。私は鍵を閉めてため息をつく。おばあちゃんのほうがあの与太者トリオなんかよりもよほど強い。

「さっさと入っちゃいましょう」

「は、はい」

 みふゆは頷いた。私は服に手をかけて、ふと気付いた。初対面の相手の前で裸になるの、もしかして凄く恥ずかしくない? いえ、初対面相手じゃなくても恥ずかしいのよ、初対面相手なんて答えは決まってるじゃない! 隣を見ると、みふゆも同じだったみたいで、頬を赤くしていた。リアルな造りね、そんなややズレた感想を抱く。

「……さっさと入っちゃいましょう」

「……はい」

 私たちはお互いを見ないようにして服を脱いだ。それでも服の擦れる音が耳に入ってくるのは止められなかった。



 最初のシャワーの押し付け合いは私が負けた。とりあえず体を流して先に湯船に浸かって、みふゆが体を洗うのを眺める。変態みたいだという自覚はあったけれど、アンドロイドへの好奇心や、現役モデルとしてのちょっとした対抗心には勝てなかった。

 みふゆの体型は完璧だった。あの顔とこの身体、それだけでアンドロイドであることの証明は充分だと思えるほどに。……胸も、私よりもある。今はモデルの仕事もアンドロイドに奪われ始めてきているし、アイドルもアンドロイドを遠隔操作する憑依式……降霊術……二人羽織……が出現し始めた。確かに、これじゃ商売上がったりなのも頷ける。

 体を洗い終えたみふゆがシャワーノズルをホルダーに掛けて、湯船に入ろうとする素振りを見せた。入れ替わるために、私も湯船から立ち上がる。目が合うと、みふゆはなぜか非難するような視線を私に向けていた。

「どうかした?」

「……いえ、別に」

 みふゆは明らかに憮然とした態度のまま湯船に身を沈めた。少しムッとしたけれど、我慢して湯船を上がって、体を洗い始める。……そして、気付いた。みふゆの態度の意味を。

 視線を感じる。とても強い圧力の視線を。間違いなくみふゆの目が私を見ている。みふゆは私からのこんな圧力を感じながら、ずっと体を洗っていたのね。

「……ごめんなさいね」

 無意識の内に、私の口からは謝罪の言葉が零れていた。「えっ?」とみふゆの困惑した声が聞こえる。

「見られることには慣れてるつもりだったけど……こんなに辛いものだったのね」

「……あっ! いえ、私こそ見てしまって……えっと、その……」

 みふゆは口ごもった。……そういえば。

「自己紹介、してなかったわね」

「……はい」

 私は一旦体を洗うのをやめて、みふゆと向き合った。みふゆも姿勢を正してこちらを向く。

「七海やちよよ。人間で、モデルをしてるわ」

「みふゆです。アンドロイドで……逃げてきました」

 最後のほうは怯えるような声音だった。以前いた場所がそんなに恐ろしかったのか、ここを今すぐ追い出されるのが怖いのか……それはわからなかったけれど、他人の暗い顔は見たくないから、興味はあるけれど深く掘らないことにした。代わりに他に気になったことを尋ねる。

「苗字は?」

「ありません。みふゆ、とだけ名前を付けられて出荷されたので」

「……そう」

 こっちも聞いたらまずいことだったかもしれない。表情を見る限りはあまり気にしてないようだけれど。むしろ、気まずい表情になった私に対して慌ててるようにも見える。

「あっ! じゃあ、やちよさんが苗字を付けてください!」

 さも名案を思いついたみたいな表情をするみふゆ。でもみふゆには悪いけれど、まったく共感できない。

「そもそも、苗字欲しいの?」

「ヒトの社会に溶け込もうと思ったら、苗字が要求されることも多いでしょうし」

 確かにそうだけど。でも、ひとつ重要なことを忘れている気がする。

「私たち、これが初対面よ? いいの? よく知らない人間に自分の苗字を付けられるなんて」

「気に入らなければ変えればいいですから!」

 さっぱりしている。そういうところはいいと思うわ。ただ口には気をつけなさいね。

「そうね……」

 体を洗うのを再開しながら、一応真面目にみふゆの苗字を考える。まさかこの歳で名付け親になるなんて思わなかった。……というか、決めるのが苗字って。名前なら意味を込めたりも出来るけれど、苗字なんて普通は親から意味もなく与えられたものでしかない。

「……思いついた苗字を言っていくから、自分で決めてくれない?」

「面倒くさくなりました?」

 なんで初対面なのにそこまでわかるのよ。

「でも、いいですよ。確かに、大事なことは自分で決めたいです」

 みふゆは頷いた。私はとりあえず思いついた苗字を片っ端から口にする。

「矢吹」

「んん……」

「北沢」

「んん……」

「佐伯」

「んん……」

「梓」

「んん……」

「箱崎」

「んん……」

 この後10個くらい思いついたものを言ったけれど、みふゆは微妙な反応を繰り返していた。確かに、ピンとくるものを選んで、それを自分の苗字にしろだなんて。難題にも程がある。

「気に入ったのなかった?」

「ううん、そうですね……」

 みふゆは目を閉じた。そのまま10秒近く固まった。あまりにも人間離れした硬直をするものだから、一瞬またシャットダウンしたんじゃないかと思って焦った。

「梓にします」

 みふゆは目を開いて、そう宣言した。私は体を流しながら最終確認する。

「いいのね?」

「はい。ワタシは梓です。梓みふゆ……ふふっ。あずさ。ワタシは、あずさ、みふゆです」

 みふゆは楽しそうな顔をしていた。こんな顔されて、明日には別の名前になってたらちょっと落ち込むけれど。ひとまず、喜んでくれて良かったっていうことにしておきましょう。

「私はもう一度お風呂入ってから出るわ。みふゆはどうする?」

「そうですね……先に上がってます」

「ええ。着替えは多分置いてあると思うから」

「はい。ありがとうございます」

 みふゆは控えめにお辞儀をして脱衣所に消えていった。私はお風呂に肩まで浸かって息を吐く。ようやく人心地ついた気がした。みふゆが倒れてるのを見つけてから、ずっと緊張しっぱなしだった。与太者たちに絡まれたのも失敗だった。新西区は治安が良いから油断していた。みふゆがいなかったら危ないところだったかもしれない。

 みふゆ。完全に信用したわけではないけれど、害意はなさそうに見えた。意思を持ったアンドロイドだからって警戒しすぎたかもしれない。どうして逃げてきたのだろう。買われたアンドロイドがどういう扱いを受けるのかは噂で知っているくらいだけれど、みふゆもそういった扱いを受けて来たのだろうか。精密機器なのに、お風呂なんて入って大丈夫だったのかしら……。

 とりとめのないことをそのまま5分くらい考えて、私はお風呂から上がることにした。ドアを開けると、少し離れたところに私の服を着たみふゆが立っている。

「どうしたの?」

「いえ、勝手に歩き回って良いものかわからなくて。それと」

 みふゆはシャツの胸元を緩く引っ張った。……ああ。

「ここが少しキツくて」

「我慢しなさい」

「……なんだか不機嫌になってませんか?」

「別に」

 私は体を拭いて服を着た。私の体に合うものを買ったのだから、当然、胸元がキツいだなんてことはなかった。



 着替えを終えてみふゆと一緒にリビングに行くと、同じタイミングでおばあちゃんが湯呑みをふたつテーブルに置いていた。おばあちゃんは私たちに気付いて破顔する。

「ああ、ちょうど良かった。お茶淹れたから飲みなさい。みふゆちゃんも」

「あ……はい。ありがとうございます」

「ありがと」

 みふゆは両手で湯呑みを持って、良家の娘みたいな上品さでお茶を飲んだ。こうしていると、本当にアンドロイドには見えない。

「それで、みふゆちゃん」

「はい」

「親御さんの電話番号は?」

「……え?」

「何かあったんだとは思うけど、それでも娘は娘。家出なんてしたら、きっと親御さんも心配してるよ」

「ええと……」

 みふゆは困ったように私を見た。完全に家出娘と勘違いされている。間違ってはいないけれど、実態はもう少しシリアスね。

「……実は、家出ではなくて……家がないんです」

「まあ……」

 おばあちゃんは口元を押さえた。

「でも、大丈夫です」

 みふゆは私を一瞥した。なぜか、あの笑顔に嫌な予感がした。

「やちよさんが、一緒に住もうって言ってくれましたから!」

「まあ!」

「……ハァ!?」

 この子は何を言っているのだろう。そんなこと、一言でも言った覚えはない。

「おばあちゃん! 嘘よ! みふゆは嘘をついてる!」

「嘘じゃありませんよ! 言ってくれたじゃないですか、ウチに来るかって。放置したら夢見が悪いとも!」

「あれは事情とかありそうだから一旦ウチに寄っていくかって意味よ! 落ち着いたら帰ってもらうつもりだったわよ!」

「帰れないって言ったじゃないですか!」

「さっきね!」

 私たちは肩で息をしながら睨み合った。みふゆは譲るつもりはないみたいだった。確かに、ここを出たところで帰る場所なんてないんだから、必死になるのも頷ける。ここを発ったとして、出会ったときと同じようにまた倒れてしまうかもしれない。その時は今回のように運良く行かないかもしれない。みふゆみたいに綺麗なアンドロイド、欲しい人はいくらでもいるでしょうから。

「いいじゃないの、ウチに住ませてあげたら」

 私たちのやり取りを静かに見ていたおばあちゃんが、軽い口調でそう提案した。おばあちゃんならそう言うと思った。でも、アンドロイドを一人受け入れるのは、犬や猫を飼うのとは勝手が違いすぎる。

「部屋はどうするの?」

「空いてるじゃないの」

「でもこの子家賃払えないわよ」

「いいじゃないの、家賃なんて」

「破産しちゃうわよ……」

「じゃあ、住み込みのお手伝いさんね!」

 おばあちゃんはこれで解決とでも言うように、満足げに頷いた。今の瞬間に何が解決したと言うのかしら。

「アタシもトシだから。家事がキツくなってきてね」

 私がやるって言ってるのに、勝手に洗濯物したりしてるのは誰よ。

「みふゆちゃんが手伝ってくれたら助かるんだけど」

「はい! やります!」

 2対1。完全に流れがみふゆのほうに傾いてしまった。……まあ、みふゆが知らない人に酷く扱われるのは私だって嫌だ。苗字だって付けたし、ね。

「わかったわよ。降参」

「みふゆちゃん、やったね!」

「はい!」

 おばあちゃんとみふゆがハイタッチをした。仲良くなりすぎじゃないかしら?

「ちゃんと働きなさいよ? 私は容赦なく追い出すからね」

「任せてください!」

 みふゆは胸を張った。確かにアンドロイドはお手伝いとか得意そうだけど。でも、お手伝いなんて結局逃げ出す前とやること変わってないんじゃないかしら。

「おばあちゃん。部屋私が決めていい?」

「ええ。後で教えてね」

「わかったわ。こっち」

 立ち上がってみふゆを手招きする。みふゆは立ち上がって後ろに付いてくる。階段を上がって賃借人の住むエリアへ。

「やちよさん!」

 背中側から声をかけてくる。「なに?」と振り返ると、満面の笑みを湛えたみふゆがそこにいた。

「これから、よろしくお願いしますね!」

「……ええ、よろしく」

 かくして、私は一人のアンドロイドを拾って、一緒に住むことになった。不安なこともあるけれど、決まってしまったものは仕方がない。人間とアンドロイド……壁はあるけれど、良い関係を築きたいものね。

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