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空白


書こうとして、手を止めて


書き出して、消して


今、書きたいことがネガティブなんじゃないかと不安になり画面を閉じる



あれからこんなことを繰り返しているうちに空白が増えていった。


さっき見終えた映画に感化され、詩的な表現をしたくなったが、

いまいち“詩的”の意味が分からないのでやめた。


今のこの状況で真に元気で健康な人はいるのだろうか。


そもそもどんな状況でも真に元気で健康な人がいるかどうか分からないが。


彼に、会えない日々が増えていく。


一ヶ月、彼に会えていない。


先の記事をご覧いただいた方はご存知でしょうが、


二日に一回は彼に会う生活をしていた。


一ヶ月空くのは本当に久しぶりなことで、


毎日FaceTimeで顔を見て声を聞けていても、


渇きが収まらないようなもどかしさを感じる。


もちろん電話をしているときは、幸せで満たされる気持ちになれるが、


ふと、彼に触れようと画面に手を伸ばしたとき寂しさが溢れる。


画面の中にいる彼はとても小さく、指先でその頬に触れる。


指先で感じる温かさも無ければ、柔らかさも無い。


いつもは手のひらいっぱい彼の頬を包んで、


角張った骨を感じ、髭の残ったざらつきを感じていたのに。


今でも思い出せる。


手のひらの感触も、その時の彼の目も。


毛並みを整えるように指先で撫でてくれる感触も、


抱きしめてくれたときの喉の苦しさも、


手を繋いだときの圧迫感も、


今は思い出すことしかできない。


我慢するしか無いのだが、こんな理不尽許せないのが本音である。


彼と生きるために生きてきて、


彼ともっと一緒に生きられるように努力して、


やっと滑走し始めたところだったのに、


空白。


彼とはより深い関係性になっている実感はあるが、


四月の彼に触れることができなかったことは残念でならない。


私の皮膚覚が彼以外の感触の記憶を増やしていく。


特に最近はツルツルしたものの記憶ばかりだ。


早く彼の皮膚に触れて、胸に顔を埋めて彼の匂いを鼻腔いっぱいに吸い込んで、


吐き出した熱で彼を温めたい。


会えないことを理由に、言葉で満たしてくれと要求する私のわがままにも、


渋々応じてくれる彼は本当に素晴らしい。


私の皮膚覚を満たせなくするこの状況には甚だ困ったものだが、


それ以外の感覚で満たそうとしてくれる彼が愛おしくて堪らない。


こんなにも会いたくて仕方のない人に出会えた私は、


こんな状況でも間違いなく世界一幸せ者である。



愛する者のために、生きような。





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