それでもお仕事五番勝負は面白い

 ネット上での評判眺めてると結構ゼロワンのお仕事五番勝負ってあんまり評判よろしくないよなー、自分は楽しめてるんだけどなーって感じだったんで、そこらへんをちょっと語ってみたくなって記事を書いてみました。

 大体、お仕事五番勝負って大体批難されるポイントって
①おしごとの話なんてしている場合か(AIとか人類の存亡とかそういうのかけたバトルを敵としてくれ)
②なんか引き伸ばしのための展開にしか見えない
の2つだと思うんですよね。

 個人的には上記の二点、気にならないから楽しめているんだろうなあと思っていて、そこについてちょいと掘り下げて語ってみたいと思います。

①「お仕事の話なんてしている場合か」問題

 AIライダーだと思ってみている方々には非常に残念な話なんですが、仮面ライダーゼロワンってお仕事ライダーなんです。
 お仕事ライダーなんです(大事なことなのでもう一回)。

 だって公式が明言しているんですもん。

https://news.mynavi.jp/article/20191225-946049/3

 このインタビューで大森Pはこう言ってるんですよ。

(以下引用)
『ゼロワン』でいちばんやりたかったのが「お仕事」要素なんです。子どもたちにも馴染みのあるいろいろなお仕事をテーマにして、ストーリーを切り取っていきたいと思っています。もともと、ヒューマギアに自我が芽生えて……みたいな部分は「AIを扱うのなら、そういうことも考えておかなければ」と、くっついてきた要素なんですよ。それでいざ進めてみると「えらく難しい題材に手を出してしまった……」と思うわけですが(笑)。1話完結のエピソードで毎回いろいろな種類の「お仕事」をドラマの中で見せていくことに決めたので、なるべく幅広い人たちをお呼びして、それぞれのものの見方で捉えられる「お仕事」について書いていただこうとしました。これが狙いです。仕事」要素なんです。子どもたちにも馴染みのあるいろいろなお仕事をテーマにして、ストーリーを切り取っていきたいと思っています。

 そもそもこの時点で、完全に視聴者と制作側の意識がかけ離れているよなあって。
 大森Pとしては、仮面ライダーの作中にお仕事要素を登場させるためのフックとして、生活に密着したAI搭載ロボを登場させたわけですね。個人的には、ゼロワンの作劇において、社内の技術者や事務職などといった人物などの企業ドラマ的側面があんまりないなって思ってたんですけど、これもお仕事が主題のライダーであれば納得が行くんですよね。飛電インテリジェンスっていう会社自体もお仕事紹介の物語を展開していくためのギミックだったんだなって。

 しかし、そんな制作側の意図からかけ離れて、視聴者の意識は一話の腹筋崩壊太郎から始まって、心が芽生えたAIの悲劇、そして人類の存亡をかけたバトル…みたいなところに意識が集中していったわけですね。まあ、そういう意味では出来が良すぎたが故の悲劇だったのかもしれません。

 ちなみに個人的には、お仕事要素それ自体は悪いもんじゃないと思うんですよ。子供ってお仕事大好きですからね。だってキッザニアとかしょっちゅう満員御礼だって言うじゃないですか。色んなお仕事をするヒューマギアを劇中で描いて、子供達に興味を持ってもらおうっていう制作側のアプローチは、別に間違いじゃないと思うんですよね。

②「なんか引き伸ばしのための展開にしか見えない」問題

 仮にゼロワンがお仕事ライダーであるという前提が飲み込めた場合、今度は「いくらお仕事ライダーだからってお仕事五番勝負ってなんだよ、あれ!」みたいな話になってくると思うんですよね。大体五番勝負について視聴者から主に出てきている批判は「無駄にストレスフルでワンパターンな話が続く、ストーリーが進んでいるように見えない」ことが原因だと思います。

しかし、個人的には「お仕事五番勝負は物語上重要な要素を提示しており、ストーリーはちゃんと進んでいる。しかし、それが視聴者に伝わりづらかった」と思っています

・お仕事五番勝負のストーリー上における意義

 お仕事五番勝負のストーリー上の重要な意義は「人間とヒューマギアを対立させること」にあると考えています。そのためのギミックが、再起動したアークなわけです。

 お仕事五番勝負は基本的に、買収を仕掛けてきたZAIAが「我々の開発したZAIAスペックをつけた人間と勝負をしよう。お前らが勝ったらそれを取り下げてやる」という話です。会社を買収されるわけにはいかない或人はこれを受けざる得ないですが、ZAIA側からすればそんなことをしなくても別にさっさと買ってしまえばいいわけです。なのに「何故そんな回りくどいことを天津垓はやろうとしているのか、それによって何をしようとしているのか?そして飛電インテリジェンスの運命は?」ということが物語を引っ張る『謎』になるわけです。この謎は1クール目の頃の「人類の存亡、そしてヒューマギアとの絆はどうなってしまうのか!?」というスケールの大きい謎に比べると、どうしても見劣りがしてしまいます。しかし、対決が進むに連れて、天津垓の意図が明らかになってくると様相が変わってきます。そもそもアーク、そして滅亡迅雷自体が天津垓の仕込みだったこと、そして天津垓は仮面ライダーとその関わるものを兵器として売ることが目的だったという明らかになってきます。

 ここからは推測ですが、天津垓のお仕事五番勝負の目的は「人間をヒューマギアと対決させることにより、人間に危機感と敵愾心を植え付け、それを利用して兵器販売を円滑に行う」ということにあるのではないかと考えています。ライダーシステムが優れた兵器であったとしても、国相手に商売しようとすると色々と面倒も多いし、国際情勢次第では需要が大きく縮小する可能性があるわけです。しかし、ヒューマギアが人類と敵対し、さらにそれがアークによって自動的に大量生産されるようになれば恒常的な戦争状態になるわけですからZAIAとしてもウッハウハなわけです。(まあ一歩間違えると令ジェネみたいなことになるんですが…)そう考えると、五番勝負で出てきた最初の人間二人が、人間性に難を抱えてる人物がチョイスされているのも非常に納得が行くんですよね。だってヒューマギアに悪意をぶつけてくれないと困るわけですから。そういう意味では人類の底なしの悪意ですら経済活動に利用しようとする、そしてそのために十数年単位で徹底的に仕込みをしてく姿勢は天津垓のいろいろな非凡さを表現上手く出来ているんじゃないかなあと思っていて結構好きです。

 ちなみに、ヒューマギアがアークに雑に接続してあっさり暴走するという展開に不満を感じる方も結構いらっしゃるようですが、個人的にはむしろリアリティを感じます。
 ヒューマギアというのは作中でも名言されている通り、学習ベースのAIが搭載されています。現在の学習ベースのAIを作成する手法は、人間が予め大量のデータに対して正解を設定し、そのデータを学習プログラムに食わせるとどういうわけか特定の刺激に対して人間が想定するリアクションを返すAIが出来上がる…というものになっています。つまり、人間が予めどういう正解を与えるかが重要になるわけです。なので「人間が悪意を向けてきたらやり返せ」ってデータで学習させられたらそりゃまあそうなりますよねって。それにまあ、人間の感情のデータは善意こそが素晴らしく、悪意はとんでもない代物であり、ヒューマギアがそれに対抗出来ないという視点は人間の都合でしかないですよ。ヒューマギアから見ればどっちもラベルのくっついたデータでしかないわけです。まあこういうこというと「Drオミゴトはハッキングに耐えて職務を全うしたじゃないか!」みたいにおっしゃられる方もいると思うんですが、今となってはアレも不破=人外の伏線という意図で描かれたシーンなんじゃないかって…。余談ですが、現実社会でも「差別を反映したデータを学習したAIは人種差別を行ってしまうようになる」という警鐘は以前から鳴らされています。(グーグルの「ヘイト監視AI」が人種差別を助長する皮肉な結果 https://forbesjapan.com/articles/detail/29068)
 また、天津垓が偏ったデータばかりをアークに学習させたことについて意見が色々あるようですが、情報セキュリティ的な観点から見た場合、データが流出したりとか、意図しないデータに書き換えられると言った事例は組織内部の人間の手による事例が多いので、まあ納得感はそれなりにあると思うんですよね。先日もこんな騒ぎがあったばっかりですし(元従業員による求人サイト不正アクセス・改ざんで“大炎上” Dr.ストレッチ加盟店運営企業社長が「辞任」へ (1/2) - ITmedia ビジネスオンライン https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2003/13/news071.html
 ちなみにこの人間ヘイトデータを運んでくるアーク君ですが、もともとゼアの前身となるシステムであるため、ヒューマギアと接続できる事自体は問題ないと思います。まあ、アークからの接続弾くようなセキュリティアップデートって作れんのかい!?っていう疑問はあるんですけど、そこらへん主題にすると途端に興味ない人には辛い話になりそうですし、エンタメ的判断で説明とかされなさそうな気はしないでもなかったり。

・お仕事五番勝負のテーマ的な意義 

 こういった要素を散りばめながらゼロワンが描こうとしているものは「技術を通してみる自分自身の生き方・仕事との向きあい方」という話なんじゃないかって思うんですよね。お仕事五番勝負の最初の二試合は、対戦相手の人間の手によってヒューマギアが暴走させられるわけですが、この対戦者達には「自身の仕事が何かを見失っている」という共通点があるんですよね。華道の師範は家元として実績を積むことばかりこだわり過ぎて、花で自身の心を表現することという華道家としてのあり方を忘れてしまっています。また、住宅営業マンは高い値段で家を売りつけることばかりに固執しすぎて、家を買った顧客達の生活や幸せを考えるという営業マンとしての本文を見失ってしまっています。そんな彼らはAI搭載機器を装備し、能力を向上させたとしても、ヒューマギアに楽に勝てるわけではなかった。だからこそ焦った彼らはヒューマギアに対して、天津垓の筋書き通りに敵意をぶつけて暴走させてしまうわけです。逆に、検事や消防士のように自身の仕事に真摯に向き合っている人間たちはヒューマギアを暴走させることはないわけです。 ヒューマギアは優れたAIを搭載しています。そして、学習した結果を純粋に人間に返してきます。しかし、優れており、純粋だからこそ人間は自身の仕事や生き方を見つめ直さなければいけないのではないか、でなければ天津垓のような男に利用をされてしまう…そういった話のように思えるんですよね。

 と、いうわけで仮面ライダーゼロワンのお仕事五番勝負は個人的には少なくとも描きたいテーマに合わせてキャラクターなどを配置し、ストーリーがちゃんと展開されているのではないかなあと個人的には思うわけなんですけどね、どうでしょう。そこらへんが天津垓と対戦相手の不快さばかりに目が行きやすい構成になって、伝わりにくくなってるんじゃないかなあという印象を受けるんですよ。なんでまあ、エンタメ的に爽快感足りんとか、自分には話の方向性が合わないなんて人はやっぱいるのはしょうがないとは思うんですけどねー。それ差っ引いてもそこまで酷評される出来なのかなぁとか思うんですが、どうでしょうか