7年ぶりの国産実写ゴジラ「ゴジラ-1.0」 が背負うミッション

 いよいよ、その日が来た。
 ゴジラが、東宝が、日本映画界が試される。
 映画「ゴジラ -1.0」の公開である。

 この記事では、そんな「ゴジラ -1.0」が背負う(私が背負わせる)ミッションについて綴っていく。
 このミッション、項目は複数あるも論点はただ一つ。
 「シン・ゴジラに続く国産実写ゴジラを成功させる」である。


① 興行収入面での成功


 知っての通り、怪獣映画というのは一般ウケを狙ってちゃんとしたものを作ろうとすればお金がかかる。
 2004年の「ゴジラ ファイナルウォーズ」で終焉を迎えた国産ゴジラは、2014年のレジェンダリー版「GODZILLA」の成功もあり、復活にあたって着ぐるみではなくCGでの怪獣映画を選択した。CGを駆使した映像といってもクオリティはピンキリではあるが、ハリウッド版と比較しても恥ずかしくない本物の怪獣がいる感覚や、技術的に困難だった表現に挑戦するのであれば当然の選択である。
 故に、お金がかかる。
 それ故に、もっとお金を稼がなくてはいけない。
 「シン・ゴジラ」は、(所説あるが)10億円以上の製作費をかけ、82.5億というゴジラ映画としても破格の大ヒットを記録した。そしてゴジラ映画は、東宝の単独出資であるがゆえにハイリスク・ハイリターン。コケれば痛いが、ウケれば利益を独占できるのだ。
 本作「ゴジラ-1.0」も、「シン・ゴジラ」と同等の製作費がかかっているだろう。82.5億は困難でも、しっかりリクープをして「お金と時間をかけて作った甲斐があった」と東宝のお偉いさんに証明しなければならない。
 でなければ、またしても「さらば、ゴジラ。」である。

② 海外配給での成功


 この「ゴジラ-1.0」、実写の日本映画にしては珍しく日本公開(11/3)からそう離れていない12/1に北米の約1000館で上映が始まる。配給も、東宝自らが「TOHO INTERNATIONAL」という海外法人を通して手掛ける。レジェンダリー版はいわずもがな、東宝は国産ゴジラの海外展開にも商機を見出している。そして今回、国産ゴジラが海外で勝負する機会がめぐってきたのだ。



 「世界で勝負する」というのはまあいささか聞き飽きた宣伝文句だが、これが現実になろうとしている。世界で勝負するということは、当然現地の他の映画と競い合うということなのだ。特撮やCGにかける予算のケタが違うハリウッド映画はもちろん、技巧をこらして賞を総なめするような低予算(といっても日本映画の大作と同等の予算がかかっているのだが)映画とも真っ向勝負することになる。VFX、脚本、本編演出も含め、目の肥えた海外の映画ファンの目前に「ゴジラ-1.0」は曝される。
 厳しい勝負だが、もし「勝つ」ことができれば…大きな収穫である。日本映画界は、国内市場という限られたパイのみで成り立ってきたため、予算も限られる。海外市場というおかわりを得られれば、「よし、もっとすごいものを作ってもっともっとお金を稼ぐぞ」という風により多くの予算を制作現場は得ることができる。大は小を兼ねる、私の好きな言葉です。使えるお金が増えれば、もっとすごい映画が見れれるかもしれない。「ゴジラ-1.0」が背負っているのは、日本映画界そのものだ。


③ 観客の評価面での成功

「シン・ゴジラ」は、知っての通り興行収入面・評価面ともに大成功を収めた。お金に厳しく、「さらば、ゴジラ。」をした東宝もメカゴジラのように掌返し、国産ゴジラ映画が次々作られるように…

 ならなかった。


 「打ちのめされましたね。同作以降、ゴジラ界隈は草も生えない状態になり、下手するとこれでシリーズは終わるぞと思ったくらい、究極的なものが登場したっていうインパクトでした。」
                                    - 山崎貴 フィギュア王309号 P19より

                                          -ゲームクリエイター ヨコオタロウ

 シン・ゴジラが、あまりにも完璧で究極の映画だったのだ。

・ゴジラが人を超えた破壊神だからいい
・CGがいい。ハリウッド版に比べると低予算でもそれを感じさせないからいい
・足を引っ張るキャラがほぼ存在せず、政治家や研究者、自衛官が知恵をもちよって戦う様がいい
・現実にあるもので怪獣と戦うのがいい
・綿密な取材に基づいた描写をしているから、対怪獣シミュレーションとしてクオリティが高く、まさに怪獣のいる世界に自分がいるかのような感覚を味わえるからいい
・すぐに泣いたり叫ぶような湿っぽいドラマがないからいい
・かといって未知の脅威と対峙する登場人物の心境の変化もくどくなくそれでいてしっかりと描かれているからいい
・東日本大震災の体験を絡めて語れるからいい
・大人の鑑賞に堪えるからいい
・凡百の原作人気に頼った実写邦画よりもずっと面白いからいい
・日本映画でここまでやれることを示したからいい
・庵野秀明のこだわりが隅々まで行き届いているから気持ちいい

 高評価の理由は、こんなところである。そして82.5億という興行収入はシリーズでも稀な、ものすごい額である。
 だから、「この映画はゴジラだから成功したんじゃない。脚本・総監督の庵野秀明だから成功したんだ(=ゴジラ自身の成功ではない)」という言説も出回った。
 この作品の後で、やる人がいないのも無理はない。
 「シン・ゴジラ」だから、「庵野秀明」だからウケたんだ。
 自分がやってもウケない。
 キングギドラやモスラをだして戦わせても。
 メーサー殺獣光線車やメカゴジラを出しても。
 「リアリティがない」だのなんだのと、「シン・ゴジラ」に好みが最適化されてしまったファンにこき下ろされ、失望されるに違いない。

 故に、「ゴジラ-1.0」は、厳しい戦いに挑むことになるの。
 監督の山崎貴は、VFXを駆使した映像表現で、2000年代以降の日本映画を支えてきた人である。映像制作会社「白組」とともに、ロボも、昭和の街並みも、モンスターも、宇宙船も、何もかも映像化してきた人である。

 一方で、「すぐに泣いたり叫ぶような湿っぽいドラマ」「凡百の原作人気に頼った実写邦画」と酷評されるような映画を撮ってきたのも事実である。
 「エヴァで社会現象を巻き起こし、人々を熱狂させてきた天才・庵野秀明」VS「確かにヒット作を出してきてるしCGはすごいけど、つまらない邦画を量産している山崎貴」という対戦カードが成立しているのである。

          (この動画は、期間限定公開なので観るならお早めに) 

 確かに私も、山崎貴監督作品には「ジュブナイル」「リターナー」「寄生獣」「鎌倉ものがたり」「アルキメデスの大戦」「ゴーストブック おばけずかん」のようなお気に入りがある一方で、どっちがより好きか…というと庵野秀明である。
 正直、この「ゴジラ-1.0」が、「シン・ゴジラ」のような熱狂を産むとは思えない。「従来のつまらない邦画だ」とこき下ろす声も聞こえてくるだろう。ライムスター宇多丸さんにも酷評されるかもしれない。

 だがこの勝負、「勝た」なくてはゴジラに未来がないのだ。
 リアリティを追及しきれていなくても。
 お涙頂戴な人間ドラマでも。
 そして庵野監督でなくともゴジラ映画は面白い、ということを「シン・ゴジラ」しか観ない、観たことない人に体感させてやらなければならないのだ。

まとめ

 「ゴジラ-1.0」が「勝た」なければ、「やっぱり庵野秀明でないとダメだ」という声は更に高まるだろう。庵野監督は、ゴジラを「一度きりの挑戦」としてまた手掛けるつもりはなく、思い入れの強いウルトラマンの映画「シン・ウルトラマン」のシリーズ化を計画している。東宝もゴジラを作るのをやめ、そのお金と人員を全て「シン・ウルトラマン」のほうにつぎ込むようになるかもしれない。そうなればまたしても「さらば、ゴジラ。」である。

 だが勝てば、展望が見えてくる。「あの庵野秀明の次なんて無理だけど、『あの』山崎貴の次ならやってもいい。自分に出来ない筈はない」という人材が出てくるはずだ。
 ゴジラの設定的にも続編を作ることが実質不可能な「シン・ゴジラ」よりは「ゴジラ-1.0」のほうが世界を広げるような続編も作りやすいだろう。他の怪獣やスーパーメカを出して、戦わせる怪獣映画が日本でようやくかなうのだ。

 私はそれが観たい。観させてくれ。

 完璧で究極な「シン・ゴジラ」の、その先のステップを見せてほしい。



 身長50.1mの怪獣が背負っているものは、とてつもなく大きい。
 だがゴジラ、君なら…出来るよね? 
 出来てほしいなあ。頼むよお~

 今日は11/3。ゴジラが、東宝が、日本映画界が試される


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?