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#勇気の芸術 16 『げいじゅつコミュニケーション』~自分の豊かさを他人に任せてはならない~

勇気の芸術というテーマで、
文化芸術に隠されている




・自分を生きること
・人間力って何なのか
・人それぞれの知覚と学びがある 
・天才と自由の総量
・承認されると腐っていく  など


そんなお話をツラツラと書いてきました。

ここからは
第2章『コミュニケーション』について、僕の研究してきたコトをお話していきたいと思います。

第2章  主なテーマ

・本当に人の話聞いたことある?
・"自分ゼロ"という聞く技術
・『自分を話す』ことすら芸術です
・日本人の妄想力の出どころは『対話』
・『コミュニケーションのために生きている』は大げさか?
・怒るな
・『僕らはみんなで生きている』


その前に、今回は自分について少し整理します。


▪️職能を通して『表現』を手にいれてきただけ

僕という人は、
和太鼓の音楽家でもあるし、日本文化や芸術について話す人でもあり、料理人をしていたときもありました。

それらについては職という枠の中でやってきたという見方もありますが、ただそれがやりたいという"衝動"として、一つひとつやってきたという見方も間違ってないと思います。

職以外の活動ではどうかというと、
詩を書いたり、文章を書いたりしながら、時折旅に出て自分の知覚でいろんなことにであうことを大切にしています。


つまり、何が言いたいかというと、

いろんなことやってきたけど結構実は自分のことを人に分かりやすく、説明したり伝えることがめちゃくちゃ苦手なシャイのかたまりだといっても過言ではなくて、職や活動から"職能を手にいれて"やっとこ真鍋徹也という人を表現できているだけなのです。


▪️「あれ?それさっきから言ってたんだけどな」という寂しい瞬間

学生のころなんかは、
周りの人の表現力や、素直な説明力なんかを見ていて、自分にはそれができなくて、くやしさや劣等感を感じ続けていたのです。

人の発言がとてもイイ発言だったと評価されるときに「あれ、それはさっきから俺が言ってたことなんだけれども」「(でも恥ずかしくてボソボソとしか言ってなかったよな)」なんてことがよくありました。

人間が好きでイイ関係をきずきたい。
なのに、恥ずかしくて上手く表現ができない。伝えるのにきっと人の4倍は掛かる。好きな女の子ほど名前を呼べない。雑なコミュニケーションで逃げる(わりとそっちの方がモテる)。

つまりは自分を明るく見せておきながら、素直なコミュニケーションにハードルがありすぎた。


そんな自分はなんていくじがないやつなんだと、数えきれないほどの情けない瞬間を繰り返していました。
でも自分をあきらめられないものだから、可換にいろんなことに興味を持ち、挑み、舞台に立ち、バチを握り、ペンを握り、料理をつくり、表現をしてきたのかもしれません。


舞台で表現をすることは、受けてくださる人がいるということがほとんどで、舞台の力を借りればそこでは僕は"なにか"に変身できる。

自分が自分であることは変わらないけど"なにか"に変身できるチャンスがあって、それを使って表現をするからたくさんのコミュニケーションを取れてきたのです。

大きな舞台だけじゃない、日常たとえどんなに小さくてもいいから、"自分の舞台"を大切にしたいのです。

▪️『自分の豊かさを他人に任せてはならない』

コミュニケーションという言葉の持つ意味というのは、どんどん生まれ変わってきているように思うのです。

仕事や活動で人と一緒にやるためにコミュニケーションをとっているのですが、その実、コミュニケーションを取るために、誰かと仕事や活動をともにしてるのではないかと、さかさまになってきているようにすら思うのです。

人間は、人と人との関わりの間で初めて人として生きることができ、生き方を学ぶことができる。その一方で、全ての悩みの根源は対人関係にあるはずです。だから対人関係がこじれると、ことさらに人生というのはキツい。

それは、
上手に自分をしゃべれるようになりなさいとか、たくさんの人と出会って話しなさいとか、
何とかの交流会に行けばコミュニケーションを覚えれるよとか、
そういう従来のハウツーのことをここで話したいのではなく。

一人ひとりの奥の方にある、
何かこうキラキラギラギラっと光るような、
その人らしい美しさに火がついて、それがみるみる膨れ上がって自分をみずみずしくしてくれるような、その人のコミュニケーションが見てみたいのです。


そんな純粋な自分のことは、隠してしまっておかなくていいのです。

いきいきとする人がもっと多くなったら、素敵な世界になると思うし、それがないところにお金や政治や制度があったところで、何が豊かなのかと。

今まで、順番が逆だったと思うのです。

▪️『やらない理由』よりも『自分を主語とした行動』。そして行動の前に"存在"。

イイモノも、ワルイモノも、便利なモノも、受ける側の人間の力、生きようとする生命力次第で、どうとでも変化していきます。

音楽や絵画は、観る人それぞれの感性によって価値のあるモノになるかどうかが大きく違います。

同じように、どなたかが一所懸命に未来を明るくしても、感度全開の受け手がいないことには何も変わらないのです。

行動は大事です。

しかし、
行動よりも前に『そういう変化が社会で起きている、楽しそうだなあ。』と思う人の存在が増えることに価値があると、こういうわけです。

~自分の豊かさを、他人に任せてはいけない~これを僕は自由でオープンに、誰もが感じることができるように確かに、宣言したいのです。



自分で何かをつくりだすということは、
とても勇気のいることです。

自分から出てくる何かをつくってみないと、人が一所懸命つくったモノに、何が含まれているか気付けないのです。

何かをつくるというのは、
単純なことだけど、簡単じゃないのです。


他人がつくったコトを、
ただそのままやり続ける理由を上手に説明する人が世の中を席巻しています。
『ルール』『スジ』『こうあるべき』とか、そういった言葉で。
自分で何かをつくる勇気を持たない理由ばかりが、豊かさの余白を埋めまくっているのです。
(ハッキリ言って僕は"説明"では負けてしまいます笑)

そして、"人"が悪いワケではなく
いつの間にか出来てしまった習慣や社会構造が問題で、それに気付けないところまでやってきているということが問題だと思っています。



いつも話を聞いてくれる皆さん、ありがとうございます。

みんながみずみずしく生きるための、新しいリベラルアーツをつくれたらいいなと思って研究していることを発信していきますので、また聞いてくれると嬉しいです。

では、また。

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