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クソ真面目アンビエント

ジョンケージの「4分33秒」という作品があります。右時間の間「無音」が流れるという楽曲です。サブスクでもそれなりの再生回数を誇る現代音史「名曲」に残る名曲だそうです。

同曲をめぐる著作物性の議論はよく見られますが、「無音」は「創作性に表現したもの」とは認められず著作物性が認められないとするのが一般的なようです。もっとも同曲はJASRACの管理曲であり(http://www2.jasrac.or.jp/eJwid/main?trxID=F20101&WORKS_CD=0F178111&subSessionID=001&subSession=start)

管理下にある権利を利用した場合には使用料が発生するものと考えられます。今のところは著作物として扱われているということでしょうか。

また2002年にはMike Battの"Classical Graffiti" に収録されているA One Minute Silenceという曲が”4分33秒”の著作権を侵害しているとして訴訟に発展しMike Battが和解金を支払うという形で終了していますが事実上Mike Battの曲は著作権侵害であったという認識をされているようです。

となるとどのような理屈で無音に著作物性を認めているのか気になります。著作物性を認めない主な理由は上記の通り「無音」自体は何かを表現したものではなく「アイデア」に過ぎないととらえているためであると思われます。ここで音を鳴らさない行為が直ちに表現行為でないととらえることには少々違和感がありました。

まずは静寂を楽しむ行為も音を楽しむ行為の1つであること、そもそもこういった環境音楽や実験音楽の文脈では音楽は耳から聞くものに留まらず五官で感じるものだという認識がそれなりに共通しているような印象があります。このような発想を出発とすれば、無音を演奏することも表現行為の一つととらえることに違和感はありません。もっとも音と音が間に存在することで初めて「無音」を「聴く」ことが可能になるのだとすれば、1曲を通して終始音がない曲は「無音」の表現ではないのかもしれません。

現代音楽としての文脈からも「4分33秒」は単なる奇抜な楽曲ではなく、時代とともに複雑になりすぎていた現代音楽に対する新たな価値の提示、いわばカウンター的な発想から来たものであり現代音楽史上極めてセンセーショナルな出来事であったようです。そうだとすれば現代音楽周辺の者にとっては「4分33秒」は芸術作品として評価されるに値するものであってあらゆる公演で野放しに「演奏」されることにはむしろ違和感を覚える現象でしょう。しかし「無音」を実質的に表現する手段がない以上、現段階で「アイデア」として整理するしかないのだと思います。

ここまで考えてみると個人的には「4分33秒」は少なくともある程度の規模の公演で使用される場合には保護されるに値する価値を有すると考えています。しかし「無」であるが故に世に出しても「有」と分類できずアイデアにとどまってしまうというジレンマが立ちはだかっています。これは立法論ではなく、価値判断の次元の話ですが「間」や「静寂」をふんだんに使った音数の極めて少ない音楽を「表現」として捉えることが出来ないかと最近は考えています。(もしくは特定のアイデアを一体の期間保護するなど)

次に環境音楽の文脈で著作物性を考えると自分が好きなアルバムの1つにRain Recordingsというレーベルから出ている作品がありますが、これらは文字通り様々なシチュエーションの雨を録音したものです。この音源を使用しようとすれば当然原盤権は存在しますが、音楽著作権はやはり「一定の方法での雨の音の録音」に過ぎずアイデアにあたるとして保護されない、または「ありふれた表現」として創作性が否定されると考えるのが一般的であるでしょう。つまりレコード会社は収益を得られますが、このトラックを作った本人には何の権利も発生しないと考えられます。


例えば下記の1曲目はバックヤードの屋根?に当たる雨音を録音したものだと考えられます。こういう風に聞こえる音を場所、物、当たり方を研究した結果このような心地のいい音になったのだと思いますが、この条件さえ知ることが出来るとすれば、基本的に同じ条件で自分で録音すれば同じものを制作して自由に使えることになります。仮に使用されれば特定できるほど特徴的な音であったとしても「そこら中でなっている音楽」(ありふれた表現)として権利を一蹴されてしまう恐れがある以上、ジャンルとしての足枷になってしまうことには違いありません。

環境音楽はEric Satie, Brian Enoとつながり、こういったフィールドレコーディングとしての単純な環境音も上記の環境音楽の進化の一つであるものには違いがないのに雨音以外をそぎ落としてしまった結果、一般的な音楽の定義から離れすぎて著作権法上の問題を生じさせてしまっています。

ジャンルとして一定程度発展するとこのような奇抜な表現が出てくるのは文化の逃れられない過程の一つだと思いますが、進化すればするほど法的保護を受けにくくなるような上記の例は個人的に興味深かったです。

「表現とアイデアの境界」のテーマの一つとして今後も追っていければと思います。



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