524km先の北極星
走れメロスという話がある。
自身の死刑が確定した後、最愛なる妹の結婚式を挙げるべく、親友を人質にめちゃくちゃ走った男の話である。
この話は義務教育で出会った。当時、約8年前の私はこの話が心底嫌いであった。主要登場人物の過半数が、「信じる」という気持ちを判断材料に意思決定していたからだ。私は、情緒で動く彼らとは真反対のような性格だった。
そんな私が、524km先の、ほとんど知らないB2チームに移籍した推しを1シーズン応援した。あんなに嫌っていたメロスになったようなものである。
ヒィヒィ走りながらあれこれ思ったことを、備忘録として残そうと思う。
① 経緯¦私が応援している人に出会うまで
約8年前に遡る。当時中学生だった私は、通っていた塾からチケットを貰った。当時の栃木ブレックスのチケットである。
紆余曲折を経て、私はBREXを熱く応援するようになった。泥臭い守備と、それに湧くアリーナが今も変わらず大好きだ。その中でも遠藤祐亮の守備はとびっきりだった。この地元のチームと、遠藤を応援していくことが当たり前のように時が過ぎていった。
そして、2022-23シーズン。イレギュラーボーイが現れた。笠井康平という男(以下:こへくん)である。
その男は、ジェラピケ顔負けなふわふわ髪の毛をゆらゆらと揺らしティップオフイベントにて私の前に現れた。
こんなにも、プリティーから俺爆誕!!みたいな見た目をしているが、コートの上では猛獣である。噛みちぎるような守備をするのである。ロックオンした相手を、食い散らかすように仕留めてしまう。
血なまぐさい守備をする人だな、と思った。飛びっきりの褒め言葉である。私は泥臭い守備がべらぼうに好きである。こへくんの守備にひとめぼれをしてから、一直線に応援を始めた。
しかし無常にも、シーズンが終わった夏に移籍先が発表された。バンビシャス奈良というチームである。奈良……?関西……?!B2……?!?!
至極真っ当な反応である。なぜなら、私は8年間ブレックスというB1に所属する地元チームしか応援したことがなかったからである。
チームについてひとまず調べると、22-23シーズンは残留争いをしていたことが分かった。
応援しているチームは、ずっと優勝を目標に掲げていた。だから、残留という言葉が私には全く馴染み無かった。B2という知らない世界。ましてや残留争いという馴染みのない言葉。そして何百kmも離れたチーム。
私は果たしてこの人を応援できるのだろうか?
うだるような炎天下の中、頭がゆっくり冷たくなっているのを今でも覚えている。
② バンビシャス奈良というチームカルチャー
不安のまま迎えたホーム開幕。B2のアリーナ、試合事情、ファン層……8年B1チームを応援している身、そこそこ遠征をしている手前あんまり期待しないで訪れた。
しかしながら、私はびっくりすることになる。
ロートアリーナは、私が訪れたことのあるアリーナ屈指のホスピタリティであったからだ!
座席が分からずウロウロキョロキョロしていると、スっ……!とやって来るボランティアさん。
オーセンユニホームの受け取りが分からず、ダメ元でグッズショップの店員さんに聞いたところ、嫌な顔せずむしろ笑顔で「もちろんこちらで大丈夫です!直ぐにお持ちします!」と言ってくれた。何から何まで、暖かさが毛細血管に染み渡るのであった。
また、ブースターの方々も素晴らしいのである。
私は言ってしまえば、初めてB2に来た産まれたての赤子ブースターである。(御歳22歳)
既に出来ているコミニュティがあるに違いない、と私は現地でめちゃくちゃコソコソ1シーズン応援するつもりであった。別に蝶のように舞い、花のように咲く……みたいなことはしたくなかった。それはこへくんが代わりにやってくれますからね。
奈良ブースターの何人かはそんな私のことも見逃さないのである。アウェイ6試合、ほぼ全部隣の奈良ブースターが声をかけてくれるのであった。
こへくんのことを褒めてくれる者、私が感動でビシャビシャに泣いている時におめでとう!と言う者、わざわざ私の席にまで来て「note見てます!」と伝えてくれる者もいた。
皆共通しているのが、「同じものを好きになった人は、みんな仲間!」という意識だった。そしてその意識を偏見なく、心の底から思うからこそ行動に移せるのだと思う。
こへくんをきっかけで出会ったチームであるが、とても愛おしいチームだった。苦しい状況でも前を向く選手たち、そしてそれを懸命に後押しするブースター。みんな「バンビシャス奈良」というチームに誇りを持っていたのを何億回も目の当たりにした。
どうせホームに全然行けないし、蚊帳の外でいいか〜と思う私を輪においで!と手招きするような人が多かった。
③B2リーグという世界
正直、B2チームのエンターテインメント性がこんなにもレベルが高いとは……と驚くことが多かったシーズンだった。
B2降格後も磐石なホスピタリティを持つ新潟、B1チームとも余裕でしのぎを削ることができる演出の福島、圧倒的ホームアドバンテージを提供する静岡。どのアウェイでも、毎度帰り道に勝敗に関わらず満足することが多かった。
特に福島のクリエイティブ力はBリーグ屈指だと感じた。1度、Bリーグファンは福島に行った方がいい。たぶんびっくりすると思う。川崎の演出が好きな人は、すごく満足できるはずだ。
ここからはシンプルな文句であるが、演出やサービス、そして選手のレベルが高いからこそ、B1と共通してHCC(ヘッドコーチチャレンジ)を導入してほしい。
また、バスケットライブはたまにファウル数を表示してほしい。ファウル数を把握出来ない鳥頭なので、いきなり実況が「奈良はもうチームファウルが5つに……」的なことを言うと、たまげていつも自宅で目ん玉ビョイーンしてしまうから
④ 応援とは?
・私なりの解釈
1シーズン遠い地から応援した私。ずっと「応援」という行為にひたすら向き合った。こんなにも離れてしまって、毎回高い交通費を払ってまで私はなぜ「応援」するんだろうか?と。
1シーズン考え私なりに解釈した結果、応援することは「対象が少しでも『明るい』場所にいてほしい」と願う気持ちだと思う。
ここでの『明るい』は人によって違う。トロフィーの輝き、勝利、笑顔、健康人それぞれだ。私はこへくんが自分らしいプレーをして勝利し、満足している『明るい顔』を見たくて、後押ししたくて応援していた。
もしこのnoteを読んでる人がいたら、たまに向き合ってほしい。応援って何だろう?と。また応援の可能性が広がるのではないだろうか?
・応援を取り巻く人々
応援に対する価値観が変わった1シーズンになった。私は基本的に、1人でひっそり応援するタイプだ。自分の信念と応援している選手に集中したいのが、理由の一つだ。
ただ、本心は他人から向けられる感情があんまり得意じゃないからだ。
私は人から人に直接的に何らかの感情が向けられることを「矢印(ベクトル)」とみなしている。矢印の向き、大きさ、質感……それは感情の向き、気持ちの度合いを表すと解釈している。
その矢印がチクチク自分に刺さる感覚がどうも苦手なのであった。むず痒いのである。挙句、鋭利な矢印は大抵心を傷つけるものばかりである。
だから自分に向けられる矢印には鈍感になるようにしていた。鈍感になることに慣れてから、あまり人から向けられる感情を意識することが無くなった。
けれども、奈良の応援を通して自分にチクチクした矢印を向ける人が少ないのでは?と思い始めた。むしろ暖かい気持ちが私に向いてることが大抵であった。
そして、有難いことに応援している人が私に矢印を向けていた。サイン会で私が何も言わずとも「宇都宮からだね」と、発したこへくん。一方通行上等〜!のマインドで応援していたのに、まさかこちらに矢印が向いていたとは思わなかった。
別に人から向けられる感情は怖いものばかりでないのかもしれない、と学んだ。
注意することは大切だけど、全部をシャットアウトしなくてもいいのかなと思った。
終わりに
人の数だけ、応援があることが分かったシーズンだった。同じ赤色でも、トマトと郵便ポストと止まれの標識だと絶妙に違う。応援ってきっとそんな感覚なのかな、と。
そして、大切なことを学ぶきっかけになったこへくんには改めて感謝したいと思う。
こへくんを応援しなければ、素敵なチームとブースターの方々に出会うことはなかったと思う。また、全国各地の文化やその土地に根付くBリーグチームに触れることもなかった。
宇都宮からロートアリーナまでの524kmは思った以上に遠く感じた。蚊帳の外な気分を何回か味わった。ホームが遠征な私に対して、宇都宮の試合会場で「かわいそう、虚しくないの?」とバカにしてくる人もいた。
しかし、遠くても眩い光で輝き続ける選手だった。昔、方角が分からない人々は北極星を頼りに行先を明らかにしていたという。その気持ちがとても分かった。
どんなに遠くても、違うチームに移籍してしまっても変わらずに輝く北極星のような存在だったから気持ちが折れそうになっても、ぶれずに応援を続けていけたのだと思う。
来季、こへくんはどこで戦うかまだ分からない。プレーを続ける限り、私はまた応援に行こうと思う。
私なりの応援で、誇りを持ってこへくんを『明るい場所』、CSやPOへ後押ししたい。
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