30「MとRの物語(Aルート)」第二章 7節 潰れた煙草のシーン

なんだかすごい展開になってきた……。
この先、一体どこに向かうのか。作者としても、興味は尽きない。

(目次はこちら)

「MとRの物語(Aルート)」第二章 7節 潰れた煙草のシーン

 その後も難関は続く。
「観察者」である本多と、観察される対象である、
飯沼勲(いいぬま いさお)少年。この2人のどちらかの
視点をからめて、物語が進んでいくシーンはいいのだけど、
そうではなくて、「神風連 史話」のような、
いわゆる「テキスト中 テキスト」と呼ばれる構成の、
入れ子構造になるような部分では、読みづらさが急激に増した。

また、「なぜこのようなシーンが?」、といぶかる描写が
いくつか挿入されていたが、それらのシーンにおける、
情景の見えづらさ、退屈さも異常だった。

・「神風連 史話」P.75~P.130
・ 新河(しんかわ)男爵別荘、晩餐の描写 P.186~P.207
・ 能、「松風」の描写 P.247~P.259
 
 新河男爵の別荘のシーンでは、数人の財界の有力者と
そのご婦人方、そして、豊饒の海・第一巻の主人公であった、
松枝清顕(まつがえきよあき)の両親、などが登場し、
優雅な晩餐の風景と、その合間に語られる政治、経済の話。
そして、特に日本経済において、巨大な影響力と権力を
持つとされる、「蔵原武介(ぶすけ)」に、
特に多くの描写が割かれていることに気づく。
だが、なぜそうなのか、このシーンの意味は何なのかを、
この時点では読者は、全く知る手段がないのだった。

「Mさん、ここ読みづらいよお」、Rはついに、ねをあげた。

MがRの示すページを確認する。

「ああ、ここは……。確かに読みづらいかもしれない。
 俺はね、この第二巻では、推理小説のような楽しみを、
 提供しようとしたんだ。もちろん、それだけじゃないけどね。

 このシーンには、後々起こるある事件の裏を、
 推理するための材料が添(そ)えられているんだ。
 また後々登場するシーンも、ここに先行して描写されている。
 
 つまりこれは、『伏線』だ」

「わかりづらいし、全然面白くない伏線だね><」

苦笑いをするM。

「当時はこういう描写が、センセーショナルだったんだよ。
 庶民から見た政治家なんて、雲の上の存在で、
 今ほど政治家と庶民が、近くはなかったからね。

 それに比べて、今はひどいな。
 政治家のハゲという発言とか、不倫とかが即バレて、
 国民に叩かれ、離党騒ぎにまで至るからね」

「それって、ひどいことなの?」

「まぁね。政治家というのは、国をどう導くかだけで価値が決まる。
 別にその本人が、清廉潔白である必要なんて、本来はない。
 その点、今の政治家叩きは、俺から見れば異常だね。

 そういう懸念は、この第二巻のサブテーマの一つでもあって、
 ここ(P.201)に、蔵原武介が、
 蓋の開いた銀のシガレットケースの上に腰を下ろし、
 気づいた時にはその中の煙草が押しつぶされてしまっていた、
 という描写があるんだけどね……。

 考えてみて欲しい。
 政治・経済の世界で、多大なる権力を持ち、
 しかも多くの貢献をし、多くの人に慕われる蔵原が、
 煙草を押しつぶしてしまった、というこの一件だけで、
 例えば死刑などに処せられるとしたら、どうだろう?

 蔵原がお尻で煙草を押しつぶす、という行為は、
 死に値するほどの罪なのか」

「……。Mさん、何を言ってるの?」

「……、何をって……。サブテーマを……。
 いや、やめておこう。あんまり詳しく説明すると、ネタバレになる。
 ネタバレすると詰まらなくなるのは、推理小説と同じだ。
 できたらこのシーンは、キーワードを拾う程度でさらっと読み流し、
 先に進んで欲しい。そうすれば全て、わかると思う」

「先ってどの辺?」

「そうだなあ、この辺?」

Mは、分厚い小説の、ほぼ最後の最後、数ページを示した。
Rが、深いため息をついた。
「わかった、がんばってみるよ」
再び読書に集中し始めたRを見て、Mは思う。
推理小説というのは、いかに自然に伏線を仕込み、
それを興味深く読ませながらも答えを気づかせないという、
アクロバティックな技術が必要なのだが、
もしかしたら俺には、その技術が足りてなかったのかもしれない。
あるいはそのやり方が、ぞんざい過ぎたか。

空中ブランコを演じるサーカス団員が、
姿勢の美しさにこだわりすぎて地上に落下したり、
安全を重視する余り、伸びやかに演技できず失笑を買ったり、
いくらすばらしく演技していても、
サーチライトが暗くてほとんど見えなかったりすれば、
当然、お客は熱狂できない。
それならと、ピエロに成り切れればいいのだけれど、
プライドの高い俺には、それは不可能だっただろう。

こうやって書かれている文章の、文字の一つ一つが、
空中ブランコに匹敵する緊張感によって書かれるとしたら、
それがたぶん、小説家が最終的に目指すべきものであり、
「純文学」、というものになるのだろう。

だが……。

たかだか文学。そこまでの緊張感をもってなす必要があるのか。
いや、少なくとも俺が生きていた頃には、必要はあったのだ。
だからこそ俺の書いたものは、絶賛されたのだ。
需要は確実にあった。

あの頃価値のあったそれらのものが、なぜ今は、無価値となったのか。
そう考えた瞬間、Mはその答えに行き当たり、
ふっとあきらめの表情を浮かべた。

 そうだ……。
 気付いたからには、認めなければいけない。
 かつては価値のあったものが、無価値となる瞬間があることを。
 もしRが、「松風」のシーンでも詰まるようだったら、
 それを教えてやろう。

Mは腕組みをし、目を閉じた。
寝ているのではない。「文学の役割」についての、
考えを破壊し、構築しなおしていた。
それは例えば神が宇宙を消し去り作り直すほどの、
大仕事であると言ってもよかった。
Mは天才ではなかったが、そのような「国生み」に匹敵する、
難事業をやすやすとこなしてしまうという点では、
「文学の神である」、と言っても過言ではないかもしれない。

Rの読書は続く。夏休みの終わりまで、もう少しだ。

<つづく>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?