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22「MとRの物語(Aルート)」第一章 18節 接吻と恋文

今回、「M」の正体が明かされます。
彼の書いた名作、「春の雪」の1フレーズも、引用しておきました。
オマージュであり、リスペクトです。

(目次はこちら)

「MとRの物語(Aルート)」第一章 18節 接吻と恋文

 時計を見ると、母が帰ってくるまでには、少し時間があった。私は、仰向けになって目を閉じているMさんに近寄って、恐る恐る、その身体に触れてみた。流れ込んでくるような快感は、もうなかった。

 Mさん、Mさん!

私は、心の中でMさんを呼びながら、その身体を揺すった。もしMさんが幽霊だとしたら、どうやって起こせばいいんだろう。もしこのまま意識を戻さなかったら、お母さんになんて言えばいいんだろう。お母さんには、Mさんが見えるんだろうか? わからないことだらけで、私は混乱していた。でもその混乱に耐えて、私はMさんを、揺さぶり続けた。Mさんは、目を開かなかった。

 ふっと思いついて、顔を上げる。そうだ、Mさんのあの小説を使えないかな。もともと、Mさんが私に興味を引かれて、私の身体に入り込むきっかけになったのは、あの小説だし、それからもずっとMさんは、小説に異常な思い入れを持っている。私は立ち上がって、Mさんの小説を探した。それは私の寝室の、枕元に置かれていた。発見したそれを持って、台所のMさんのそばに膝をつくと、私は心の中で何かを祈りながら、適当なページを開いた。138ページ、第15章。主人公である松枝清顕(まつがえきよあき)に届いた、おさななじみの聡子(さとこ)からの恋文。

  雪の朝のことを思うにつけ、
  晴れ渡ったあくる日も、私の胸のうちには、
  仕合せな雪が振りつづけてやみません。

  その雪の一片一片(ひとひらひとひら)が清様の面影につらなり、
  私は清様を想うために、
  三百六十五日雪の振りつづける
  国に住みたいと願うほどでございます。

私は声に出して、その文章を読んだ。Mさん、Mさん、しっかりして。心の中では、そう強く念じていた。ちらっとMさんを見ると、その手がかすかに動いている。

 Mさん!!

私はMさんの手を握った。もしかして、効果あったの? Mさん、もう少しやってみるよ? 私は小説に視線を戻した。

  
  平安朝の世なら、清様が歌をくださって、
  私が返しをさし上げたところでしょうに、
  幼いころから習った和歌が、
  こんなときには何一つ心を表そうとしないのにおどろきます。
  それはただ私の才が貧しいからでございましょうか?

   ※新潮文庫・「春の雪(豊穣の海・第一巻)」
          三島由紀夫著 P.138より引用、改行位置調整

Mさんの手が、ふるふるっと震えたあと、私の指をしっかりとつかんだ。Mさんは、目を開けていた。まぶしそうに天井を見上げたあと、私を見て、Mさんは言った。

 やめてくれないかな、俺の若い頃の小説を声に出して読むのは。
 闇の中で声が聞こえた。恥ずかしくて、あわてて飛んできたよ。

Mさんが、口をゆがめて笑った。私はMさんにそっと抱きついた。よかった。

 悪いがR、少しだけ気のエネルギーをもらうよ。
 お前の責めで、今の俺は完全に電池切れだ。

 あ、そうだね、ごめん。
 ごほうびとか、いわなきゃよかったね。
 エネルギー? Mさんが必要だったら、いくらでも。

Mさんは私の腰、背中と手を廻して、私の頭に手をそえて、引き寄せた。私は、されるがままに、Mさんの顔に引き寄せられ、その唇に、キスをした。さっきのような、強い快感はもうなかったけど、触れ合った唇から、Mさんの温かさが流れこんでくる。そうか、これが人と人との触れ合いなんだ。なんて優しい、気持ちいい感触。唇に心を集中させると、その快感も、増幅されるみたいだ。身体をずらして、唇と唇がこすれると、そこから軽い、しびれるような感じが伝わって、私の心を軽く喜ばせた。でもそれは、長くは続かなかった。Mさんが私の身体を押し、私は現実に引き戻された。

 Mさん……。

 ありがとう、充分だ。
 いや、別にキスじゃなくてもエネルギーはもらえたんだ。
 悪かった。

 ううん、大丈夫だよ。

Mさんはもう充分、と言ったけど、たぶんそれは嘘だ。Mさんはうめきながら、ゆっくりと慎重に、起き上がった。まるで素早く起き上がると、身体がばらばらになってしまうと思っているかのように。

 もうひとつ。ついでにRの記憶を読ませてもらったよ。
 女神がこの世界に現れるなんて、あまりないことだ。
 何かが起こっているのか……、
 それともペットであるお前がよほど大事なのか……。
 しかし女神のペットとは、どういうことだ。

 うん、私にもわけがわからないよ。
 Mさんにもわからないことって、あるんだね。

 まあね。俺が全部知っていると言っても、
 それは俺の目が届く範囲でのことだ。
 以前言った通り、この世もあの世もシンプル。
 あの世のことわりを知ったからと言って、万能になれるわけでもない。
 それよりR、そろそろ母親が帰ってくる頃だ。
 部屋の汚れと、その服を綺麗にして、
 風呂にでも入っておくとどうかな。

 そうだね……、うん、そうする。
 覗かないでね?

 ああ。
 じゃあ俺は身を隠して、小説のプロットでも考えてみるよ。

Mさんの手のひらに爪を這わせながら、つないだ手を離して、私は立ち上がった。Mさんは、ゆっくりと透明になって、私の身体の中に入ってきた。するっと服を着るような感覚。これが身を隠すということなんだね。でもこれだと、Mさんに内側から覗かれない?

 うん、覗ける。でも覗いても仕方ない。
 男女問わず、すべての人間の記憶を持つ俺は、
 お前の身体に興味はないんだよ。全く興味ない、とは言わないけどね。

 ふうん、ちょっとは興味あるんだ、うれしいよ。

私は時計を見上げた。そろそろ急がないといけない時間。私はお風呂に行き、湯をはるために蛇口をひねった。Mさんの気持ちの緊張が高まって、何かを懸命に考えている様子が、私の心に伝わった。きっと幻の第五巻のプロットだね。かわいいよ、かわいいよMさん、私のMさん。

<つづく>


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