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22年振りのお墓参り

後回しにされた墓参り
その日は高校の同級生と京都で飲みに行く約束があった。
その飲み会が開始されるまでは時間があったので、おじいちゃんとおばあちゃんがの墓がある、京都の阿弥陀寺に行くことにした。
京都で大学生をやってきたが、物心がついてからというもの、お墓参りに行っていなかった。
大阪に住んでいたので、行こうと思えば京都までいけたはずだが、行かなかった理由はいくつか考えられる。
ひとつは、小学校1年生になると、ぼくがサッカーをはじめたこと。サッカーをはじめると、土日は決まって練習や試合が入っており、両親も気を遣って連れていかなかったこと。
もうひとつは、おばあちゃんが足が悪く車椅子生活だったので、なかなか遠出は厳しかったこと、がパッと思い浮かんだ理由だ。
真相は母親にでも聞いてみないとわからない。
大学生ぐらいになれば、自分で行くこともできただろうにそれでも行かなかったのは、そこにお墓があるという「認知」が自分の中に低かったのかとおもう。

阿弥陀寺に向かう
飲み会が開始される1時間前に出町柳の駅に到着し、歩いて阿弥陀寺に向かう。
時刻は17時を過ぎていたが、西日に照らされた京都は、茹だるような蒸し暑さが続いていた。
鴨川の亀石を軽快に渡り、川の西側へと歩いて向かう。
川で遊んでいる人の7割型が、外国人のような気がする。
阿弥陀寺は、出町柳から北西の寺町通り沿いにある。
織田信長の墓があることで有名なお寺だ。
母方の「田中」家家系は、このお寺の檀家なのである。
阿弥陀寺に到着したが、なにせかなり久しぶりに訪問だった。(というよりほとんどお寺の外観を見たところで記憶が蘇ってもこない。)
そのため、お墓がどこにあるのかわからない。
ざっと500はあろうお墓の中から、探し出すのは大変だ。
とりあえずあてもなく、その当時の記憶というよりは景色を呼び戻しながら、ブラブラと歩く。
すると歩き出して3分もしない間に、田中家のお墓が目に飛び込んだ。
横に書かれている建立者の文字におじさんの名前が書かれている。なんだあっさり見つかってしまうものだなと、思って、おじいちゃんとおばあちゃんに感謝を拝む。
一通り拝んだあとに少し心配になり、家族LINEで、お墓の写真と共に
「このお墓であっているのか?」
と確認の連絡をしてみる。
2分も経たないうちに、父親から返事が来た。
「ちがうよ。」と。
なんと、違う田中さんの墓を拝んでいたのだ。まあ、もうそれでも良いかなと思いつつも、やっぱりせっかくきたのだから、おじいちゃんとおばあちゃんが眠る墓を見つけたい。ちゃんと拝みたいという気持ちが湧いてきた。(あたりまえだ)
そのあと、LINEで返信されたアドバイスを頼りにお墓を探す。
「信長の墓を背にして、水汲み場の近くまで歩いてそっからどうのこうの。」
そのアドバイスを参考に歩き続きたが、10分歩き回ってもみつけられなかった。
そこに父親から電話がかかってきた。
ビデオをオンにして、周りの景色を映しながら、父親のアドバイスにそって歩く。電話越しでは父親と母親が「いやそこじゃない、ここじゃない。」という意見の食い違いも見せている。
そうこうしているうちにお墓を探し当てることができた。
宝探しゲームでようやく金塊に辿り着いた気分だった。
現代の文明の力というのは便利なものだ。
ちゃんとした、お墓の前でおじいちゃんと、おばあちゃんに思いを届けることができた。
「きてよかった。」

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