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小言のこごと、その3

あなたにとってそれは5000メートル規模の小言なら、私にとってそれは366日規模の日々の欠片かも。



GENERATIONS from EXILE TRIBEの小森隼さんがTOKYO HEADLINEで連載中のコラム、「小森の小言」。

https://www.tokyoheadline.com/509385/

第55弾の小言は「空」についてでした。


2018年の5月からこの連載が始まって、気が付けばもう55回も続いていること、いつも更新される度に新鮮に驚く。

連載開始時からは彼が置かれている状況も、世の中に蔓延る不安も大きく変わってしまった。

だけど、それでもこうして締め切りと戦ったり、四苦八苦しながらも言葉を重ねていてくれる事にひっそりと私は救われてる気がする。
数多の事が日々変わりゆく中で、変わらないものは心のバランスを保ってくれるのだ。

「いよいよ小言なのか?と、思うような規模を趣旨を変えて早速テーマにしてみました」

そんなひとことからはじまった彼の空の話に、思わず吹き出してしまった。

どこまでも終わりが見えない空と、何だかちんまり可愛らしい言葉感の「小言」。相反するふたつが仲良く混在して言葉を作る、そんな彼の世界が私は好きだと思う。

なんだって良いんだよ。
両手じゃ足りないくらい大きくても、片手に静かに収まるくらい小さくても、例え触れられない何かでも、あなたが見るもの・映す何かは何だって素敵なんだから、どうか囚われないで居て欲しい。

梅雨明けの喜び、大人たちへのお茶目な疑心と納得、保たれた距離と阻む傘の寂しさ、目醒めた時の空の青さに澄む心、空の自分自身との干渉とか、そういうの全部素敵!

彼の眼で世界を見たらどんな風に見えるんだろう?いつも思う。



私は多分、空が好きなんだと思う。


携帯のカメラロールを開くと、いつ撮ったのか全く記憶の無い空の写真達が何枚も出てくる。
よく晴れた朝の空、雲ひとつない青空、仕事帰りの夕焼け、昼と夜が混ざったオレンジブルーの空。

勿論写真だけじゃない。

寝惚け眼のまま朝バスを降りて見上げた空の青さ、部活帰りに見上げた夜空のちいちゃなひと粒の流れ星、実習の帰り道に独り海辺で眺めた満月。

受験前に真冬の流星群を眺めながら「7つ見つけたら、胸を張って隼くんに会いに行ける」なんて自分におまじないを掛けて、泣きながら星を探した事もあった。(可笑しな話だけれど、この時期は星に縋りたいくらい辛かったのだ)

今まで思い起こされる幾重の記憶に当たり前に空があって、その逆も然り、空を見上げるからこそ思い出す感情が星の数程ある。


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これは去年の4月、福岡で社会人になって独り暮らしを始めた頃にはじめて撮った空。
職場の傍の川沿いの桜がうつくしくて、まだ慣れやしない通勤路で独りひっそりはしゃいだ記憶がある。

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これは大好きな公園での空。
おんなじ場所なのに晴れた夕方と曇りの昼間ではちっとも見せる顔か違って居て、思わず比べては見惚れてしまう。

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忘れもしない去年の7月6日、1年と26日振りに彼の下へと向かった日の空。

飛行機の窓から覗く空が好きだ。

どんなに厚い雲が覆っていたって、大粒の雨が降っていたって、うんと上昇すれば真っ青な空と飛び込みたくなる程柔らかそうな雲が広がっている。旅に出るひとだけが出逢える特別な景色だし、私がこの空と出逢う時の理由には必ず彼が居るから、尚愛おしい。

「この空の下で巡り合う奇跡」
「見上げた虹の向こう 逢いに行くから」

何度このフレーズを聴きながら、窓の外の雲の世界を眺めながら、空の旅で独り囂々と泣いた事か!どこまでも笑えちゃう話だけれど、涙が出る程に大切で、大好きでしょうがないのだ。

「思い立ったら行動」それがどうしても出来ない私の脚と心をいつも前へと動かしてくれるのは、この世で彼だけだなといつも思う。本当に有難う。


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真夏の昼、秋の夕暮れ。
朝起きて、バスに揺られた後に働いて、スーパーに寄り道しながら帰路について、ぼんやりと1日を終える。
特別変わらない毎日の中であまり気付けやしないけれど、空には季節の移ろいがふとした時に表情として映るから凄く凄く好き。

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昨年の12月31日、GENERATIONSがまたひとつ夢を叶えた日の空。

待ちに待った大晦日に世間は穏やかに弾んでいて、そんな最中「紅白歌合戦」への初出場を成した夜。
今どんな気持ちなんだろう、こんな親孝行ってきっと無いな、あなた方の人生は美しいな、どうか良い瞬間になりますように、なんて、そんな事遠い福岡からずっと願ってた。

夜の帳が下りようとしている空まで彼らを祝福しているような気がして、歩道橋の上で眺めながら瞼が熱くなった記憶がある。

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1月の夕暮れと2月の青空。
彼がスタートラインとゴールテープを切った朗読劇の最終日の空の写真。

1月公演の最終日も、2月公演の最終日も朝や前日は嵐の様な土砂降りで、それはもう「本当に飛行機、飛ぶの?大丈夫?」「何かあったら連絡しなさいね」なんて職場の先輩方から心配された程。(当日遅れに遅れた飛行機に乗れるまでずっと心配して連絡を頂いてたの、嬉しかったな)

天気予報だって、傘のマークがずらりと並ぶだけだった。

なのに、いつだって彼の大切な日はすっかり晴れ渡る。
あの日「雨の中お集まり頂いて...」と彼が目の前の数多の観客を優しく気遣った頃、実は空を覆った重苦しい雲は去って、一面は暖かくてうつくしいオレンジブルーに染まっていたのだ。

雨の日も嫌いじゃないけど、快晴の空も好き。

(「も」という言葉を挟む辺りが、なんとも彼らしくて好きだ。優しいな。どこまでも。)

彼の大切な日は太陽が顔を見せるという事、きっといつだって空は彼の味方をしてるんだろうな、なんて私は結構本気で思ったりしている。雨の日も嫌いじゃないけれど、快晴の空だって愛する頑張り屋さんの彼を祝福している気がするのだ。

そうだと良いな、そうだって信じてる。


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今年の夏の夢、「海まで朝陽を見に行く」を叶えた日の空。


アラーム通りに4時に起きる、カーテンの隙間からまだ外が暗い事を確認して身支度をする、大好きな麻のワンピースを見に纏う。
お気に入りのトートバッグにお財布、家の鍵、読みかけの本、ちいちゃなハンカチ、フィルムカメラを詰める。
(本当は朝ご飯にサンドイッチを作ってたのに、台所に忘れて悲しくなったのは笑い話)

玄関を開けると空がほんの少し白み始めていて、朝陽に置いて行かれないようにお下がりの古い自転車のペダルをぐうと漕ぎ出す。ワンピースの裾と髪を揺らす朝の風の優しさにひとり小さく感動してみたり。

言ってしまえば普通の支度をした朝なのに、あの日の私にはひとつひとつの過程が神聖に思えて仕方なかったから不思議。全部を何故だか覚えていたいな、とそう思った。


ざざあ、と静かに波が揺れる中で夜空が静かに燃える様に、朝がじんわり混ざりはじめて、ゆっくり、ゆっくり一筋の陽が差す。

朝陽が水平線から光の矢を放ち
ふたりを包んでいくの、瑠璃色の地球

大好きな歌詞は今朝の、この景色の為にこの世に生まれたんじゃないかと思ううつくしさだった。


早朝から浜辺でビーチバレーにはしゃぐ学生、内緒話をする様に小さく寄り添うカップルや朝帰りの連れ合い。堅実に、丁寧にウォーキングする大人達。

それぞれが互いの名前も何にも知りやしないのに、確かに同じ場所で、同じ朝陽を見ている不思議ったら!
彼がいう様に、私達はどうしたって独りで生きてないんだな、と知った瞬間だった。本当の独りぼっちには、多分なれやしないのだ。



ああ私は多分じゃなく、空が好きなんだな。


書き始めは曖昧だったけれど、空の写真と記憶を思い返しながら独りでしみじみ確信したりしている。良いなあ、好きだ。空の記憶もぼうっと眺めるもの、全部大切なのだ。


今日の天気は雲ひとつ無い晴天、もうここ暫くずっと晴れ続きだ。

茹だるような暑さが続くけれど、暦の上では少しずつ次の季節へ向かっていて、カレンダーを見る度にそれが小さな救いになっていたりする。
入道雲が佇む真夏の空が好き!でもおぼろげな秋の空も好き。
飛行機の窓から想いを馳せる空も、帰り道にぼうっと見上げる冬の夜空だって好きだ。


私には会いたい空が、見たい空が多過ぎる。
だからどうか季節よ、確かに巡って、もっともっと豊かな空の表情を私に見せて。

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